農協マーク 特 集 - 農 協 マ ー ク の 牛 乳 瓶

主要作物を表す稲穂と「協」の字を、農業の頭文字「の」で丸く囲んだ、懐かしい農協マーク。昭和23年、農業協同組合記章図案の公募により決定したシンボルだ。農協直営の工場であっても、牛乳瓶のデザインに必ず採用するわけでなく、全体数は意外と少ない。現行CIの「JA」ロゴは平成4年から。街の看板もすっかり入れ替わってしまった。


三春牛乳三春牛乳 本郷牛乳本郷牛乳 南酪牛乳南酪牛乳
三春牛乳

御木沢農協三春ミルクプラント
福島県田村郡三春町大字平沢字担橋
酪王牛乳に統合(昭和50年)・廃止
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代初期〜中期
本郷牛乳

本郷農業協同組合
長野県東筑摩郡本郷村浅間91-1
八ヶ岳酪農に営業譲渡(昭和34年)・廃止
石塚硝子製・市乳180c.c.底面陰刻
昭和20年代後期〜30年代初期
南酪牛乳

南部酪農協⇒南日本酪農協同(株)
宮崎県都城市東中野町2622
市乳事業合同分社化(昭和35年)・廃止
石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期

農協系ミルクプラントは、運営母体の統廃合が激しい。市乳事業(処理施設・販売権)を別の組合に移管しても、元の組織は生乳出荷団体として存続しながら、委託製造や合併改称の変転が続くため、追跡が少し厄介だ。

例えば御木沢農協・酪農部の三春牛乳(⇒別掲の後継瓶装)は、昭和50年に市乳事業を福島県酪連(現・福島県酪/酪王乳業)に引き渡し、別途、近隣の諸組合と合併。のち合併後の組織も統合に至り、最後はみんな県酪連へ集約。県下の会津酪農さんや西白河酪農さんも同様の流れで、過去の独自ブランド展開状況を辿りにくい。


ホモゲン坊やの本郷牛乳。村農協の発足時は森永へ生乳出荷、しかし卸値に満足できず昭和25年、自ら処理工場を建設し「本郷ホモゲン牛乳」を発売。ホモ(牛乳)は森永の登録商標だったので、ホモゲナイズド(均質化)の違う略称を考えたのだろう。赤ちゃんの絵は製瓶会社/資材代理店の素材。安曇野の山本牛乳さんも同じ図案を用いる。

組合の起こりは戦後、農地改革を巡り、浅間温泉の旅館経営者や地主らの富裕層と、零細の小作農民の対立が激化、部落単位6つの農協へ分裂したことによる。本郷村農協は後者、同志連帯色の濃い所で、財政面は貧弱だった。

昭和34年、八ヶ岳酪農協同(現・八ヶ岳乳業)に工場と営業権を売却、同・松本工場に転換。八酪は雪印系列の会社で、本郷の銘は消滅。その工場も短命で、39年の委託契約解消にともない閉鎖された。村農協自身は拡大路線が行き詰まり、41年に破産。新体制の本郷農協を興して再発足の運びへ。

いっぽう昭和40〜43年頃は本郷牛乳(株)が同地に操業、一時は復活の形跡が残るも、仔細は不詳。やがて村内に乱立した組合の統合機運高まり、昭和48年に4組合が合併、改めて本郷村農協が始動している。


タペストリー風の組合旗をあしらった南酪牛乳。のちには南日本酪農協同(南日本/デーリィ牛乳)の中核を担う、宮崎県南部酪農協・往年の独自ブランドだ。もとは宮崎県酪(宮崎牛乳)の都城支所(都城処理場)だったが、他の支所と軋轢が生じ、昭和27年に県酪を脱退。自主路線の道を選んだ。

都城支所のメンバーは牧場経営に長け、士官学校出身者、県会議員や町村長、農協長など、地域の有力者や資産家が揃い、端から独立志向が強かった。しかし自前のブランドを掲げ、飲用牛乳に新規参入したことは波紋を呼ぶ。特に政府の酪農政策に基づく生乳の一元集荷や乳業工場の整理を巡り、後段の霧島集約酪連との確執が永きに渡った。

商圏は集約酪連の酪連牛乳、日向農民公社の都城牛乳と競争状態にあり、一地方の弱小ミルクプラントの形では存続が危うい。規模拡大・安定を求めて昭和35年、宮崎・鹿児島両県の3酪農協とともに南日本酪農協同(株)を設立、南酪牛乳を廃止。その後デーリィ牛乳は大躍進を遂げ、今や西日本一帯に確固たる営業基盤を築く。


酪連牛乳(霧島集約酪連)酪連牛乳(霧島集約酪連) 静岡牛乳静岡牛乳 クミアイ牛乳クミアイ牛乳
酪連牛乳(霧島集約酪連)

霧島集約酪農業協同組合連合会
宮崎県都城市郡元町字尾曲4593
雪印乳業に営業譲渡(昭和36年)・廃止
山村硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期
静岡牛乳

静岡県経済農業協組連/静岡県乳業(株)
静岡県静岡市中田町1941
クミアイ牛乳へ銘柄変更(昭和45年頃)
山村硝子製・正180cc側面陽刻
昭和40年代初期
クミアイ牛乳

静岡県経済農業協組連/静岡県乳業(株)
静岡県志太郡大井川町相川1200-6
三協乳業へ工場貸借(昭和49年)・委託
東洋ガラス製・正200cc側面陽刻
200cc移行後〜昭和50年代

酪連牛乳は、県下の総合農協22団体加盟による、霧島集約酪農業協同組合連合会の統一ブランド。当地に授かった高度集約酪農振興計画(酪農振興法)の指定に応じた呼称である。

昭和31年の発足当初、集約酪連は生乳集荷の一元化に注力、基幹工場には雪印乳業の誘致を決定。商いは中央資本に任せる構えだった。雪印は小林開拓農村工業農協(霧島乳業)の加工施設を買収・拡張して32年に霧島工場の操業を見る。しかし日向農民公社ほか、既存の有力メーカーは集乳系統の併合に難色を示し続けた。

とりわけ南部酪農協との対立が深刻で、解決の目途が立たない。昭和34年、集約酪連は膠着を打破すべく、雪印への譲渡を前提に、自らの都城集乳所にミルクプラントを併設、「酪連牛乳」の直売に踏み切る。翌年には雪印製品の受託処理を開始、36年に工場・営業権の一切を売却したため、独自銘柄は早々に消滅した。

南部酪農協が南日本酪農協同を樹立した後は、序列も変わって摩擦は収束。なお、霧島集約酪連は昭和40年に尾鈴集約酪連と合併して宮崎県酪連となり、さらに平成13年、宮崎経済連に統合されている。


「経済連」(静岡県経済農業協同組合連合会)の団体名称が、ちょっとお堅い印象の静岡牛乳(⇒別掲の初期瓶装)。一般に馴染みは薄いが、農協は市町村単位・生産者単位の集まり、経済連は都道府県単位・農協単位の連合体だ。

当事者の遷移はややこしい。発端は戦後、県下の酪農家と業者さんらで結成した協同組合。経済連への事業移管、静岡県乳業(株)の設立を経て、組織・商流・銘柄の再編が行われる。県乳業は出荷系列別に異なるブランド、「クミアイ牛乳(静岡牛乳の後継)」と「県乳ミルク/ケンニューMILK」を並行生産した。

昭和49年、三協乳業(サンキョー牛乳)がミルクプラントを全部借り上げ、各者の商品製造を一括受託の業態に。そして同社が市乳事業から撤退した平成11年以降、クミアイはフクロイ乳業へ、ケンニューは静岡牛乳協同組合(⇒大庭牛乳)に委託先を振り替え、オリジナルブランドをなお堅持する。仔細は各銘柄の項に記載した。


成羽牛乳成羽牛乳 岐西牛乳岐西牛乳 農協牛乳(本巣酪農)農協牛乳(本巣酪農)
成羽牛乳

成羽町農業協同組合
岡山県川上郡成羽町大字下原435
市乳事業撤退・廃止(昭和49年前後)
山村硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期
岐西牛乳

岐西酪農協組⇒本巣酪農協組
岐阜県本巣郡糸貫村仏生寺880-3
工場閉鎖・銘柄廃止(平成12年頃)
石塚硝子製・市乳180c.c.底面陰刻
昭和30年代初期〜中期
農協牛乳(本巣酪農)

本巣酪農農業協同組合
岐阜県本巣郡糸貫町仏生寺713
工場閉鎖・銘柄廃止(平成12年頃)
東洋ガラス製・正200cc側面陽刻
200cc移行後〜昭和50年代

正面に銘柄標示、背面に農協マークの王道デザインを往く成羽牛乳。当地の畜産事情は全般的に低調で、戦前に特筆すべき展開は見られない。成羽町と農業委員会は昭和26年頃、山村に豊富な草資源の活用を検討し、酪農事業の推進を決定。27年末に最初の乳牛9頭を導入したという。

昭和30年、成羽町農協に牛乳処理施設を設け、ここに成羽牛乳が誕生。日量は約2000本、悪くない滑り出し。32年に備中西部集約酪農地域の指定を受け、牛飼いの営みにも弾みがつく。組合の一風変わった試みは39年、農山漁村電気導入促進法の助成で、新成羽川ダムに附随する羽山水力発電所の建設を実施した。

酪業はそれなりに順調な伸びを示すも、乳業界の競争激化・大手進出の荒波に呑まれ、昭和49年前後に自家製造・独自銘柄を廃止。以降は生乳出荷団体の立ち回りになったようだ。その後、平成16年に近在の川上町農協(川上牛乳)、備中町農協さんと共にびほく農協へ合流合併、現在に至る。


岐西酪農さんの岐西牛乳は、サインペンで気軽に描いたような、ユル目の農協マークが目印。昭和41年前後に近隣団体と合併して本巣酪農に進展、牛乳工場は居抜きで同組合に引き継がれた。本巣酪農の主力は農協牛乳ながら、合わせて岐西牛乳も商われており、複数ブランドの取り扱いだったらしい。

平成12年、長らく操業した糸貫町のミルクプラントは、乳業再編施設整備事業によって廃止。美濃酪農農業協同組合連合会(ひるがの牛乳)・北濃工場へ処理を集約。前後して岐西〜本巣系の独自銘柄は消滅したようだ。その他、諸組合の東酪牛乳城山牛乳といった伝統の銘も、同時期に整理統合の途を辿っている。


米内沢農協 農協牛乳(高原町農協)農協牛乳(高原町農協) 農協牛乳(北阿萬農協)農協牛乳(北阿萬農協)
米内沢農協

米内沢農協酪農部
秋田県北秋田郡森吉町米内沢字上野
森永乳業に営業譲渡(昭和36年)・廃止
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期
農協牛乳(高原町農協)

高原町農協⇒小林地区農協
宮崎県西諸県郡高原町大字西麓555-1
市乳事業撤退(平成16年)・廃止
広島硝子工業製・正180cc側面陽刻
昭和40年代初期
農協牛乳(北阿萬農協)

北阿萬農業協同組合
兵庫県三原郡南淡町筒井1710
市乳事業撤退(平成5年頃)・廃止
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代後期〜40年代初期

巨大な農協マークが映える米内沢農協さん。ビンに商い銘柄が載っていない。KUMIAI BRAND MILKの記載から推すに、「組合牛乳」あたりだろうか。市乳事業の着手は昭和20年代後期。32年に酪農振興地域の指定を受け、青年部を中心に酪農王国建設の意気盛んな組合だったという。

しかし昭和35年、秋田県北の牛乳事情は一変する。森永の秋田協同乳業買収・進出を契機に、対抗する雪印も営業戦線を伸ばしてきたことで、競争力に乏しい中小プラントは大資本への編入を迫られた。米内沢農協さんは協議・交渉を重ねた結果、36年に集乳・処理・販売の権利一切を森永乳業へ譲渡、独自銘柄を廃止している。


高原町農協さんの「農協牛乳」は遅咲きのブランドだ。組合の設立時より生産直売の一貫体制を目指したが、状況は思うに任せず、市乳事業へ踏み出せずにいたらしい。満を持して昭和41年、ついに自前の処理工場を開設、売り出しに至る。全国的には遅い立ち上げで、既に過当競争の真っ只中、かなりの英断と思う。

昭和49年に近隣3農協と合併。以降、小林地区農協(こばやし農協)高原ミルクセンターの名義で生産を続けた。後年は施設の老朽化が進む一方、工場を刷新する余力はなく、商売が難しくなっていたようだ。平成16年度の乳業施設再編合理化に応じて自家処理を中止、独自銘柄は消滅した。


鳴門海峡を目前に臨む淡路島の南、旧北阿萬村に発足した北阿萬農協さん。島内は古くより酪農が盛んで、大正期のネッスル社を筆頭に、明治・森永・雪印と大手の進出相次ぎ、原料乳争奪戦は日常だった。組合は昭和32年、学校給食と一般需要増加の商機を捉えて自工場を建設、「農協牛乳」の直販に乗り出す。

農協の10円牛乳は淡路全域に浸透。次は阪神エリアに照準を定め、41年のフェリー就航と同時に神戸へ丸北商事(株)を興し、本土上陸作戦を展開。既存業者の妨害は凄まじく、「北阿万の牛乳は腐ってる」「大腸菌入り」の誹謗中傷は当たり前、原因不明の火災で集配所が焼けたこともあった。それでも品質は良いと口コミで着々伸びていく。

組合は集団飲用(団地自治会・大学生協・事業所)に狙いを絞って、大幅な拡売に成功。また、玉ねぎ・養鶏・製菓・醤油醸造の多角経営で躍進。三原郡下の農系団体を一本化したい当局の、再三の合併勧告を蹴り、自主独立路線を貫いた。しかし時代は変わる。平成5年頃に市乳事業から撤退。同17年、ついにあわじ島農協へ合流された。


小千谷ミルクプラント小千谷ミルクプラント 種山高原牛乳種山高原牛乳 通津牛乳通津牛乳
小千谷牛乳

小千谷ミルクプラント(小千谷市農協)
新潟県小千谷市大字千谷川561
市乳事業移管(昭和62年)・廃止
石塚硝子製・180cc側面陽刻
昭和40年代中期
種山高原牛乳

岩谷堂農協牛乳処理場⇒江刺市農協
岩手県江刺市字六日町86-4
市乳事業撤退(平成元年前後)・廃止
山村硝子製・正200cc側面陽刻
200cc移行後〜昭和50年代
通津牛乳

通津酪農協同組合(松本岩雄)
山口県岩国市通津3357
廃業(平成2〜3年頃)
ユニオン硝子工業製・200cc側面陽刻
昭和50〜60年代

小千谷郷畜産農協連の創始、小千谷牛乳。連合会は昭和40年代に小千谷市農協へ合流、同62年には新潟県農協乳業・小千谷工場に転換も、間もなく閉鎖、ブランドは消滅。戦後、当地方では様々な思惑から組合が乱立し集落を分断、各種事業を妨げた。そのため昭和42年頃、市域の農系団体が全部合併を決するいきさつもあった。

宮沢賢治ゆかりの地、種山高原牛乳。岩谷堂農協⇒江刺市農協への事業統合を経て、平成期に終売。江刺の畜産は古来より馬がメイン、乳牛飼養は大正末期に至っても低調だった。転機は戦後、乳肉需要の高まりに積極導入を開始。昭和32年、一帯が「種山高原集約酪農地域」指定を受け、行政支援のもと増頭が図られている。

全国共通、だったはずの農協マーク。並べてみると、まるで標準化されておらず、それぞれ形が違う。種山高原牛乳は特に顕著だ。稲穂の状態や「協」の字のバランスなど、比較しながら見るとちょっと面白い。


オーラスは通津牛乳、農協マークならぬ酪農協マークだ。稲穂に代えて麦藁(乳牛の粗飼料)を描いているらしい。上位団体の公式制定ではなく、通津酪農さんのオリジナルロゴと思う。

初期は「通津農協」名義、のち「通津酪農・松本岩雄」さんの名乗りへ。県下の久賀牛乳さん同様、昭和40年代中期にミルクプラント経営が組合から(組合員)個人に移ったようだ。(⇒通津牛乳の紙栓/牛乳キャップ収集家の活動ブログ)

平成初年の廃業で、ブランドは消滅。同所在に土木工事会社「(株)松本組」が現存する。ご商売替えというよりは、牛乳工場の兼業を断念された流れか。ご当地は往時の玖珂郡下に最大の生乳生産量を誇る、酪農の盛んな地域だった。


【附記】本項特集には未収載の、農協マーク利用ビンは以下の通り、全国に多様な採用例がある。

雄平牛乳(雄平酪農協) クミアイ牛乳(西白河酪農協) 佐渡牛乳(佐渡酪連) ラクノ牛乳(ワカサ酪農協) 酪農牛乳(下館酪農協)
秋田・雄平酪農協
雄平牛乳
福島・西白河酪農協
クミアイ牛乳
新潟・佐渡酪連
佐渡牛乳
福井・ワカサ酪農協
ラクノ牛乳
茨城・下館酪農協
酪農牛乳
すずらん牛乳(伊南農協) 長田牛乳(長田農協) 丹那牛乳(函南東部農協) 今津牛乳(今津町農協) 美保酪農牛乳(美保酪農協)
長野・伊南農協
すずらん牛乳
静岡・長田農協
長田牛乳
静岡・函南東部農協
丹那牛乳
滋賀・今津町農協
今津牛乳
鳥取・美保酪農協
美保酪農牛乳

※三春牛乳⇒御木沢農協(三春牛乳)の項に詳述のため割愛
※南酪牛乳⇒南日本酪農協同(南日本/デーリィ牛乳)の項に詳述のため割愛
※静岡牛乳・クミアイ牛乳⇒静岡牛乳および県乳ミルクの項に詳述のため割愛


■本郷牛乳
大13> 本郷信用購買利用組合が発足 ※農協の母体
設立> 昭和23年、本郷村農業協同組合として
昭25> 処理工場を開設・市乳事業を開始
昭31> 本郷村農協・村上康也/長野県東筑摩郡本郷村浅間91-1
             ※村上氏のお名前は、往時の労働運動・共産党の議員活動に言及した資料が多く見られる
昭34> 八ケ岳酪農協同(現・八ヶ岳乳業)に市乳事業の一切を譲渡
昭36〜39> 八ケ岳酪農協同(株)松本工場/同上
昭40> 本郷牛乳(株)/長野県東筑摩郡本郷村大字浅間
昭41> 本郷村農協は経営破綻により解散、新たに本郷農協が発足
昭41〜43> 同上
昭48> 本郷農協は南本郷・三才山・稲倉農協と合併し本郷村農協となる
昭49> 本郷村は松本市へ編入される

独自銘柄廃止> 昭和34年 ※本郷牛乳(株)時代の仔細不明
電話帳掲載・公式サイト> 未確認

■酪連牛乳
設立> 昭和31年、霧島集約酪農農業協同組合連合会として
昭34> 処理工場を開設・市乳事業を開始
昭34> 霧島集約酪農協連/宮崎県都城市郡元町字尾曲4593
昭36> 雪印乳業へ市乳事業の一切を譲渡、同・都城工場となる
昭39> 雪印乳業(株)/同上
昭40> 霧島集約酪連は尾鈴集約酪連と合併、宮崎県酪農業協同組合連合会となる
昭40〜43> 同上
昭44〜48> 雪印乳業(株)都城工場/宮崎県都城市郡元町字尾曲4577-3
昭50〜平13> 同上/宮崎県都城市郡元町4577-3
平13> 宮崎県酪連は宮崎県経済農業協同組合連合会に統合される
平14> 雪印・都城工場は集団食中毒事件に係る経営再建計画で市乳製造を中止
平16> 雪印・都城工場は閉鎖

電話帳掲載> JA宮崎経済連/宮崎県宮崎市霧島1-1-1
独自銘柄廃止> 「酪連牛乳」は昭和36年に廃止
公式サイト> http://www.kei.mz-ja.or.jp/

■成羽牛乳
明38> 成羽信用販売購買利用組合が発足 ※農協の母体
設立> 昭和22年、成羽町農業協同組合として
昭30> 処理工場を開設・市乳事業を開始
昭31> 成羽農業協同組合・平松幹章/岡山県川上郡成羽町大字下原435
昭34〜48> 成羽農業協同組合/同上
平10> びほく農協へ合流・合併
平16> 成羽町は周辺市町との合併により高梁市となる

電話帳掲載> JAびほく 成羽総合センター/岡山県高梁市成羽町下原680
市乳事業撤退> 昭和49年前後
公式サイト> http://www.ja-bihoku.or.jp/

■岐西牛乳・本巣酪農
設立> 不明ながら戦後
昭31> 岐西酪農農協・神山常雄/岐阜県本巣郡席田村仏生寺880-3
             ※同年、席田村は糸貫村と北方町へ分割編入される
昭34〜40> 岐西酪農農協/岐阜県本巣郡糸貫村仏生寺880-3
昭41〜50> 本巣酪農農協/岐阜県本巣郡糸貫町仏生寺
昭53〜60> 同上/岐阜県本巣郡糸貫町仏生寺713
平01〜04> 同上/岐阜県本巣郡糸貫町仏生寺715
電話帳掲載> 本巣酪農農協/岐阜県岐阜市粟野西7-169 (本所)
工場閉鎖・独自銘柄廃止> 平成12年
公式サイト> 未確認

■米内沢農協
設立> 昭和23年、米内沢町農業協同組合として
昭31> 米内沢酪農協・赤石元治/秋田県北秋田郡米内沢町米内沢字上野182-1
昭31> 米内沢町は隣村と合併して森吉町となる ※同時期に米内沢農協へ改称
昭34〜36> 米内沢農協 酪農部/秋田県北秋田郡森吉町米内沢字上野
昭36> 森永乳業へ市乳事業の一切を譲渡
昭53> 前田農協と合併、森吉町農協となる
平11> 近隣3農協と合併、あきた北央農業協同組合となる

電話帳掲載> あきた北央農協 森吉支店/秋田県北秋田市米内沢字上野135-1
独自銘柄廃止> 昭和36年
公式サイト> http://www.ja-hokuo.jp/

■農協牛乳(高原町農協)
設立> 不明ながら昭和20年代、高原町農業協同組合として
昭41> 処理工場を開設・市乳事業を開始
昭42〜48> 高原町農業協同組合/宮崎県西諸県郡高原町大字西麓555-1
昭49> 近隣3農協と合併し小林地区農業協同組合となる
昭50> 小林地区農業協同組合/宮崎県西諸県郡高原町大字西麓1321
昭53〜平04> 同上/宮崎県西諸県郡高原町大字西麓3260
平09> こばやし農業協同組合へ改称
平16> 乳業施設再編合理化により市乳事業から撤退
電話帳掲載> こばやし農協 高原支所/宮崎県西諸県郡高原町大字西麓555-3
独自銘柄廃止> 平成16年
公式サイト> http://kobayashi.ja-miyazaki.jp/

■農協牛乳(北阿萬農協)
設立> 昭和23年、北阿萬農業協同組合として
昭32> 処理工場を開設・市乳事業を開始
昭34〜50> 北阿萬農業協同組合/兵庫県三原郡南淡町筒井1710
昭51〜58> 同上/兵庫県三原郡南淡町新田中字古池
昭59〜平04> 同上/兵庫県三原郡南淡町新田中字古池66-1
平17> あわじ島農業協同組合へ合流・合併
電話帳掲載> あわじ島農協 北阿万支所/兵庫県三原郡南淡町筒井1710-2
独自銘柄廃止> 平成5年頃?
公式サイト> http://www.ja-awajishima.or.jp/

■小千谷牛乳
設立> 不明ながら戦後
昭31〜34> 小千谷郷畜産農協連合/新潟県小千谷市大字千谷川
昭36〜41> 小千谷ミルクプラント/新潟県小千谷市大字千谷川561
昭42〜43> 未掲載
昭44> 同上/新潟県小千谷市住吉町 ※乳製品工場として
昭46〜48> 小千谷市農業協同組合/新潟県小千谷市城内1-14-4
昭50〜61> 小千谷ミルクプラント/新潟県小千谷市大字土川字沢田214
昭62> 小千谷市農協の市乳部門は新潟県農協乳業(株)が吸収合併
昭62> 新潟県農協乳業(株)小千谷工場/同上
平15> 小千谷市農協は片貝町農協と合併し、越後おぢや農協となる
電話帳掲載> JA越後おぢや/新潟県小千谷市城内4-1-55
独自銘柄廃止> 昭和62年前後
工場閉鎖> 昭和63年前後?
公式サイト> http://www.ja-e-ojiya.jp/ (JA越後おぢや)
                 http://nk-milk.com/ (新潟県農協乳業)

■種山高原牛乳
創業> 不明
昭09> 佐藤玉三郎/岩手県江刺郡岩谷堂町
昭30> 岩谷堂町は周辺9村と合併して江刺町となる
昭31> 同上/岩手県江刺市字六日町86-4
昭33> 江刺町は市制施行して江刺市となる
昭34〜36> 岩谷堂農業協同組合/岩手県江刺市字六日町86-4
昭39〜40> 岩谷堂農協 牛乳処理場/岩手県江刺市岩谷堂字六日町86-4
昭41〜56> 同上/岩手県江刺市岩谷堂字室ノ木165
昭57> 江刺市農業協同組合へ合流・合併
昭58〜61> 江刺市農協 牛乳処理場/同上
電話帳掲載> JA江刺/岩手県奥州市江刺区岩谷堂字反町362-1
市乳事業撤退> 昭和62年前後? ※江刺市農協時代の仔細不明
公式サイト> http://www.jaesashi.or.jp/

■通津牛乳
設立> 昭和23年、通津農業協同組合として
昭31> 通津農協・石川宗一/山口県岩国市通津2567
昭34〜36> 通津農業協同組合/山口県岩国市通津2587
昭39〜42> 同上/山口県岩国市通津2567
昭43> 未掲載
昭44〜53> 通津牛乳/山口県岩国市通津3357
昭56〜平01> 同上/山口県岩国市通津3379
電話帳掲載> (株)松本組/山口県岩国市通津南町3357
市乳事業撤退> 平成2年前後?
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、牛乳新聞社「大日本牛乳史」・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成19年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



漂流乳業