鳴門海峡を目前に臨む淡路島の南、旧北阿萬村に発足した北阿萬農協さん。島内は古くより酪農が盛んで、大正期のネッスル社を筆頭に、明治・森永・雪印と大手の進出相次ぎ、原料乳争奪戦は日常だった。組合は昭和32年、学校給食と一般需要増加の商機を捉えて自工場を建設、「農協牛乳」の直販に乗り出す。
農協の10円牛乳は淡路全域に浸透。次は阪神エリアに照準を定め、41年のフェリー就航と同時に神戸へ丸北商事(株)を興し、本土上陸作戦を展開。既存業者の妨害は凄まじく、「北阿万の牛乳は腐ってる」「大腸菌入り」の誹謗中傷は当たり前、原因不明の火災で集配所が焼けたこともあった。それでも品質は良いと口コミで着々伸びていく。
組合は集団飲用(団地自治会・大学生協・事業所)に狙いを絞って、大幅な拡売に成功。また、玉ねぎ・養鶏・製菓・醤油醸造の多角経営で躍進。三原郡下の農系団体を一本化したい当局の、再三の合併勧告を蹴り、自主独立路線を貫いた。しかし時代は変わる。平成5年頃に市乳事業から撤退。同17年、ついにあわじ島農協へ合流された。