宮崎牛乳 (1)宮崎牛乳 (1) 宮崎牛乳 (2)宮崎牛乳 (2)
宮崎牛乳 (1)

宮崎県酪農業協同組合
宮崎県宮崎市橘通6-22
石塚硝子製・市乳180c.c.底面陰刻
昭和30年代初期
宮崎牛乳 (2)

宮崎県酪農業協同組合
宮崎県宮崎市橘通6-22
石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期

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堂々の「宮崎牛乳」銘を展開した、酪農専門農協さん。昭和初期に勃興の県下10組合が広域統合し、昭和23年に発足。市乳事業は紆余曲折を経て、36年の宮崎協同乳業設立時に森永乳業傘下入り、独自銘柄は消滅している。

◆宮崎の牛乳屋さんの始まり

宮崎における搾乳業は明治7年、上別府村(現・宮崎市内)で秤売りを始めた、旧延岡藩士・土田退蔵氏が先駆。以降、大勢の挑戦と失敗が続いた。当時は廃藩置県で地位を失った士族の発起が多く、経験不足・客捌きを知らぬ武士の商法で、繁昌は稀だ。

酪農発展の礎となった成功例もある。明治16年創始の川野牧場・川野興市氏は、乳牛を良く研究して繁殖管理に精通。優良牛の分譲を通じ明治〜大正期の県下乳業を後押し。昭和の戦後も宮崎市鶴ヶ島町に牧舎・ミルクプラントを代々維持した。

◆戦前、酪農組合の誕生

明治期の業者興亡を背景に、牛飼いの営みが徐々に浸透。大正15年、宮崎郡檍村の農家有志30名は酪農組合を組織、大分県から乳牛15頭を導入。農民主体の本格的な飼育は県下初の試みで、その後、周辺町村に同様の動きが拡がる。

組合は生乳を前記の川野牧場へ納めたが、搾乳量が増え過ぎ、買い取り制限もしばしば。そこで昭和5年、瀬頭集乳所に簡易工場を併設、自ら牛乳の処理販売に乗り出す。この事業が結果的に、後の宮崎県酪の中核を担った。

しかし商売は武士にも農民にも難しい。自家処理を軌道へ乗せるには至らず、昭和15年までに宮崎地区の諸組合すべてが、当地で最大規模のメーカーだった都城牛乳(株)(⇒日向農民公社)に加盟。しばらくは細々と生乳出荷を行う状態に落ち着いた。

◆戦後、宮崎県酪への発展

昭和20年8月10日、組合は方針転換。「やはり牛乳の処理販売は組合主体で実施すべき」の気運が高じ、都城市空襲の只中、代表者が都城牛乳へ出向き、取引契約の解除を申し入れ。応諾の返答を得て瀬頭工場の復活を決する。

物資欠乏により生産量の落ち込み激しく、各種輸送も困難な局面で、危機打開を図ったということか。程なく都城牛乳は空襲で拠点を焼失、営業中止に追い込まれている。

混乱のなか終戦を迎えると、新しい農業政策が次々と打ち出された。諸組合は議論のすえ広域合併・統合を目指す。昭和23年、旧来の酪農組合10団体が、宮崎県酪農業協同組合を設立。ここに統一ブランド「宮崎牛乳」が正式に生まれたようだ。

◆大所帯に揺れる組織運営

昭和20年代は暗中模索、商売は低位の浮き沈みを繰り返し、なかなか安定しない。25年頃は小規模な3つの処理場(宮崎・都城・高鍋)が分散操業、いかにも非効率だった(生産拠点は同26年頃、宮崎市橘通りの所在へ集約される)。

広域団体ゆえの弊害か、支部間の協調が上手く取れず、内紛も生じた。昭和25年に川南地区が離脱。翌年には赤字の責任追及に晒された都城支所(都城処理場)も独立して宮崎県南部酪農協(のち南日本酪農協同)を旗揚げ。

次いで昭和30年、霧島集約酪農地域の指定を受けた小林地区が脱退するに及び、組合員は半減。宮崎県酪は宮崎市を中心に再編を余儀なくされる。

◆宮崎牛乳から宮崎協乳へ

組合内部の混乱に加え、中央資本の進出、新興業者の出現で市場競争は過熱。規模の縮んだ県酪単体では、市乳事業の継続が次第に難しくなっていく。

昭和36年、都城市の日向農民公社ほかと宮崎協同乳業(株)を合弁設立。森永系列に入り、独自ブランドは消滅。組合工場も同時期に閉鎖。以降、宮崎県酪は生乳出荷に専念、昭和41年の改称を経て、平成25年頃まで運営されていた。

◆掲載瓶・トレードマークについて

昭和30年代に流通した2世代。九州地方は白牛乳の標準瓶を茶色で刷るメーカーが多かった。「壜を大事にして必ずお返し下さい」の注記に胸が疼く。リユース前提のビン集めが歓迎されるわけもない。大事には致しますが、もはや返せません…。

(2)番瓶のトレードマークは宮崎の「み」の字だろうが、(1)番瓶のそれは一体何を表しているやら、さっぱり分からない。まるで秘密結社の紋章だ。所在の「橘通り」に因む花の記号か。一般に地元企業の借用が多い市章・県章ともまるで異なる。


設立> 昭和23年、宮崎県酪農業協同組合として
昭26> 橘通りに工場を移転・集約
昭31> 県酪農組合・斎藤虎一/宮崎県宮崎市橘通6-22
昭34〜36> 宮崎県酪農協組合/同上
昭36> 地元3社の共同出資により宮崎協同乳業(株)を設立
昭41> 宮崎酪農業協同組合へ改称
平25頃> 宮崎酪農協は解散(仔細不明)

電話帳掲載> 宮崎酪農業協同組合/宮崎県宮崎市鶴島3-81 ※平成19年時点
独自銘柄廃止> 昭和36年
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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