創業以来120年余の歴史を刻む老舗、静岡西部のローカル乳業さん。販路は東海4県が中心。伝統の「フクロイ牛乳」は主に学校給食向け・紙パックのみ存続。掲載瓶は昭和30年代の漢字表記世代と、200cc増量後のカタカナ世代の2本だ。
◆興農社から独立、興養舎の開業
県西における搾乳業の元祖は、明治15年設立の「遠江興農社」(川島滝蔵氏)。山名郡浜部村(現・磐田市)に牧場、浜松に販売所を据えて商い。同20年、育成強化のため君沢郡小土肥村(現・伊豆市土肥町)に第二牧場を拓く。
この第二牧場で主任を務めたのが、若き日の高橋芳太郎氏。氏は明治28年に独立を許され、磐田郡笠西村(現・袋井市)に「興養舎」を旗揚げ。今に続くフクロイ乳業の原点である。暖簾分けの跡が、古巣と一字違いの屋号に見える。
しかし元祖・興農社は、発展途上に同業者乱立し収支が悪化、明治32年解散の憂き目に。川島氏はのち国会代議士として畜産振興に尽力、一層の活躍を果たしている。
◆戦後の業容拡大と法人化
各地の例に漏れず、草創期は乏しい需要に悪戦苦闘。文化生活を意識する資産家・知識人や、医者に栄養補給を奨められた病人にしか売れなかった。転機は戦後、食生活の洋風化、酪農ブーム、ミルク給食の開始を受けて、急速に発展。
昭和27年に(資)袋井牛乳処理場を設立、法人化。同51年、フクロイ乳業(株)へ改組・改称。平成3年、郊外の工業団地に移転、本社・工場を刷新した。現在、学乳は県下の約300校に供給、スーパー出荷先は約500店舗に及ぶ(PB商品を含む)。
◆ブランド変遷・びん製品について
当初の商い銘柄は、屋号そのまま「興養舎」だったと思う。袋井(フクロイ)銘の採用は、たぶん戦後のこと。昭和後期〜平成期に大幅なイメージ転換を図り、中核ブランドを「朝霧の郷」(現・牧場の郷)に据え、ビン詰めは同系の大瓶だけ存続も、近年終息。
また、受託製造の200cc瓶装に、周智酪農協さんの「ときめき牛乳」と、静岡県経済連の「クミアイ牛乳」があった。これらのアイテムも平成20年頃までに漸次廃止(瓶ライン撤去)されたらしい。なお、従前より宅配向けには明治乳業ビン製品の併売を行っている。
― 参考情報 ―
フクロイ乳業株式会社 / 代表取締役 高橋芳康氏 (アットチューエン)
産業観光モニターツアー後編 (袋井市ってどんなとこ?)
袋井牛乳の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ) / 同・紙栓 (牛乳キャップとは)
フクロイ乳業 (乳業探訪記) / 同・紙パック製品 (愛しの牛乳パック)