下館牛乳下館牛乳 農協牛乳農協牛乳
下館牛乳

下館酪農農業協同組合
茨城県下館市野辺82-1
大和硝子製・正180ml側面陽刻
昭和30年代後期〜40年代初期
酪農牛乳

下館酪農農業協同組合
茨城県下館市野辺82-1
ユニオン硝子工業製・正200cc側面陽刻
200cc移行後〜昭和50年代中期

昭和24年、地元の乳業経営者さんらが、自社に原料を供給する酪農家に団結を呼び掛け、その有志により結成された専門農協。初代の組合長には、発起人の一人である下館牛乳共販(有)の社長さんが就き、草創期の任にあたった。

下館牛乳共販は昭和17年頃の設立。戦時の企業合同で真壁郡・結城郡の牛乳屋を一本化した統制会社だった。「下館牛乳」は恐らく戦前来、附近で商われた古いブランドだろう。全業務を農協へ移管し、会社は解散。戦後の新たな一歩を踏み出す。

◆蕎麦屋の2階で苦しい初動

当初は決まった事務所すらなく、蕎麦屋の2階で会合を開く貧乏組合。ミルクプラントは浦町の老舗、粕とよ氏の工場を借り、どうにか操業。日販は一合ビン詰め600本。隔地の農家は搾った乳を一斗缶にぶら提げ、10キロの道を自転車で運んでいた。

基盤を確立できないまま、大競争の時代へ突入。消費人口の多い下館には、他社の進出も激しい。大手資本はもとより、近郊の岩瀬町に発足した富谷牧場は、市内にあった杉山牛乳店を買収、一夜にして組合の配達員を十数名引き抜く。

下館酪農の収支は悪化の一途、乳代決済も滞り始めた。昭和26年、経営再建のため全役員を交代。28年、野辺柳町に工場・事務所を新設、処理設備を改め市乳の増産に踏み切ると、徐々に盛り返し、業績は上向いていったという。

◆市乳事業の伸張と合理化

後年、県下でも上位の生産規模を誇り、地域の牛飼いを支えた。「下館牛乳」銘は比較的早い段階で終息。以降は「酪農牛乳」「農協牛乳」の銘が主力だった。

オリジナルブランド展開の傍ら、生乳卸しにも注力。昭和30年代に栃木明治乳業、明治乳業石岡工場、秋広畜産興業、冨士乳業(弘済食品)ほかへ出荷を開始。49年、地場生協と提携の「生協牛乳」に着手し、スーパー市場への進出も果たす。

平成12年、乳業施設再編合理化に応じて自家処理を中止、独自銘柄は消滅。なお、再編以前に瓶装ラインは撤去済み。晩年のビン詰めアイテムはトモヱ乳業さんや、同時期に合理化対象となった広江牛乳さんへの製造委託品だった。

― 関連情報 ―
下館酪農の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ) / 同・紙栓 (牛乳キャップとは)


設立> 昭和24年
昭31> 下館酪農農協・国府田仁平/茨城県下館市柳町82-1
昭34〜39> 下館酪農農業協同組合/同上
昭40〜41> 同上/茨城県下館市野辺82-1
昭42〜44> 同上/茨城県真壁郡明野町松原1259-1
昭46〜48> 同上/茨城県下館市野辺82
昭48> 下館市茂田に工場新設・移転
昭50〜平04> 同上/茨城県下館市茂田1681-1
平12> 乳業施設再編合理化により工場閉鎖
平17> 下館市は周辺3町と合併し、筑西市となる

電話帳掲載> 同上/茨城県筑西市茂田1686-1
独自銘柄廃止> 平成12年 ※「下館牛乳」銘は昭和50年代に廃止?

処理業者名と所在地は、全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成23年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



漂流乳業