会津ホモゲ牛乳 (1)会津ホモゲ牛乳 (1) 会津ホモゲ牛乳 (2)会津ホモゲ牛乳 (2)
会津ホモゲ牛乳 (1)

会津酪農業協同組合(会津乳業)
福島県会津若松市栄町1-555
日本硝子S31年製・市乳180cc底面陽刻
昭和30年代初期
会津ホモゲ牛乳 (2)

会津酪農業協同組合(会津乳業)
福島県会津若松市栄町1-555
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代初期

会津ホモゲ牛乳 (3)会津ホモゲ牛乳 (3) 会酪ホモゲ牛乳会酪ホモゲ牛乳
会津ホモゲ牛乳 (3)

会津酪農業協同組合
福島県会津若松市栄町1-555
新東洋硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期
会酪ホモゲ牛乳

会津酪農業協同組合
福島県会津若松市栄町1-555
第一硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期〜後期

酪農の牛乳酪農の牛乳 会津酪農会津酪農
酪農の牛乳

会津酪農業協同組合
福島県会津若松市山鹿町6-12
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和43年頃
会津酪農

会津酪農業協同組合
福島県会津若松市山鹿町6-12
石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和40年代中期〜後期

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戦後の約30年間、市域に商われた農系ミルクプラント。当初は「会津牛乳」の名乗り、昭和30年代中期以降は「会酪牛乳」(酪農の牛乳)銘を展開。販路は家庭宅配が中心、余乳はバターへの加工を行い、近郊の乳業・洋菓子店へ卸したという。

業界要請に応じ、昭和52年に市乳事業を福島県酪連(酪王牛乳)へ移管、独自ブランドは間もなく消滅。組合は2度の合併を経て、福島県酪農協に統合されている。

◆組合結成と会津牛乳の創始

昭和23年、北海道より乳牛を導入し、酪農に取り組み始めた地元農家、およそ30名が会津酪農協を結成。翌24年に工場を据え、「会津牛乳」の直売に乗り出す。

立ち上げ早々の26年、処理(販売)部門の企業化を試み、組合の市乳事業を分割。会津乳業(株)を設立するが、思ったような成果は挙がらず、3年で頓挫。再び組合の直営に戻したものの、経営は芳しくなく赤字続きだったという。

上掲(1)(2)番瓶は、件の「会津乳業」を堂々標示。既に会社は無く、組合に復帰した時代の流通品ながら、往時の商号を通称した感じだろうか。

◆酪王牛乳への統合

昭和45年には会津地区の5つのミルクプラントが、県の指導を受けて糾合、会津乳業協同組合の発足に至る。組合への参画要請もあったが、業者中心の運営を警戒し、これは謝絶。

昭和52年、同じ農系団体である福島県酪連(酪王牛乳)へ市乳事業を統合、同・会津工場に転換。「会酪」の銘は即時廃止を免れ、県酪連名義でしばらく存続。しかし会津工場は、郡山工場への機能集約にともない、僅か3年で閉鎖となった。

一連の改廃は、県下の農協系プラント整備統合事業に基づく。4者4拠点の糾合により、規模拡大・合理化の意図があった。仔細は御木沢農協(三春牛乳)さんの項に譲りたい。

◆その後の会津酪農協さん

以降、会津酪農協さんは生産者団体として原料乳出荷に専念も、経営環境変化の煽りで組合員および乳牛飼養頭数が激減しており、立て直しが急務だった。昭和56年、近郊の5組合と合併し、会津方部酪農業協同組合へ進展、陣容を再建。

さらに平成6年には県下11団体と合流、福島県酪農業協同組合の結成を見る。県酪農協は酪王牛乳グループであって、紆余曲折は経たものの、最後はみんな同じところへ集まったわけである。(⇒組織整備情報/全酪連)

◆掲載ビン・ホモゲ牛乳について

現在では違和感のあるホモゲ牛乳のネーミングが目を引く。当時、ホモ=同性愛者の意は定着しておらず、単に牛乳の均質処理を謳うメーカーの宣伝文句。特に珍奇ではなかった。

晩年の瓶装は首ふり赤べこ、母子のイラストを盛り込み可愛らしさが大幅アップ。武骨な大振りフォントが踊る初期の品に比べ、ずいぶんイメージが変わっている。

(2)番瓶の二色刷りは、ちょっと珍しい。単色より製瓶コストが高くつくうえ、かつての販路は学校給食・宅配・駅売り等が中心で、見た目のインパクトが重視される所でないから、全国的にも採用例は限られる。今もそれほど多くはないだろう。

― 関連情報 ―
会津酪農業協同組合の紙栓 (牛乳キャップとは)
同・ノベルティ―コップ (牛乳グラス☆コレクション)


設立> 昭和23年、会津酪農業協同組合として ※翌24年に市乳事業開始
昭26> 組合から市乳部門を分離し、会津乳業(株)を設立
昭29> 会津乳業(株)を解散、市乳部門を組合直轄に復す

昭31> 会津酪農協・鈴木正/福島県会津若松市栄町1-555
昭36〜40> 会津酪農業協同組合/同上
昭40> 栄町の再編により、一部が山鹿町となる
昭43〜44> 同上/福島県会津若松市山鹿町6-12
昭45> 工場と組合事務所を住吉町に移転する
昭48〜52> 同上/福島県会津若松市住吉町222-1 ※時期によって206番地とも
昭52> 市乳部門を福島県酪連(酪王)に統合、同・会津工場(若松工場)となる
昭53> 福島県酪連 会津工場/同上
昭55> 会津工場は閉鎖(郡山工場への生産集約による)
             ※酪農史誌には「その後神指町の会津工場へ移転」との記述あり。
                ここはもと会津乳業協同組合、平成2年に県酪連へ統合・同19年に閉鎖の拠点。

昭56> 会津酪農協は5組合と合併し、会津方部酪農業協同組合となる
平06> 会津方部酪農協は11組合と合併し、福島県酪農業協同組合となる
平12> 福島県酪農協は県酪連より全権を継承・地域の単一農協となる

独自銘柄廃止> 昭和54年前後?
電話帳掲載> 「酪王牛乳 会津若松営業所」「福島県酪連 会津事業所」
                   /同上 ※昭和58年時点
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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