東酪牛乳 (1)東酪牛乳 (1)

(記事下段)

東酪牛乳 (1)

東濃酪農農業協同組合連合会
岐阜県恵那市長島町443-1
ユニオン硝子工業製・正180ml側面陽刻
昭和40年代初期

東酪牛乳 (2)東酪牛乳 (2) 東酪連農協東酪連農協
東酪牛乳 (2)

東濃酪農農業協同組合連合会
岐阜県恵那市長島町443-1
大和硝子製・正200ml側面陽刻
昭和40年代中期〜後期
東酪連牛乳

東濃酪農農業協同組合連合会
岐阜県恵那市長島町443-1
広島硝子工業製・正200cc側面陽刻
昭和50〜60年代

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昭和40年、東濃エリアの酪農協を束ねる連合会が、恵那市に処理工場を新設。鋭意直売に臨んだ、往年のローカル銘柄。掲載は初代「東酪牛乳」と後継「東酪連牛乳」の3本。

過去は雪印乳業の進出に応じ、原料乳出荷に専念。紆余曲折を経て生産・処理・販売の一貫体制を確立。平成期に美濃酪農農協連に陣容を拡大。ブランドは統廃合されている。

◆恵那酪農協が昭和乳業を引き継ぐ

遡って昭和26年、中津川市に地元資本の昭和乳業(株)が発足。恵那酪農協ほか複数の組合が生乳卸しを始めた。同社は長野県飯田市知久町にも工場を増設し(のち扶桑乳業が買収)、当地では下伊那郡酪連より原料供給を受ける。

しかしこの会社は数年で経営不振に陥り、操業を中止。出荷先を失った恵那酪農協さんは、昭和30年に雪印乳業と提携。資金・技術両面の援助を受け、昭和乳業の中津川工場を買収。ひとまず組合独自の処理で急場を凌いだ。

◆集約酪農地域指定・雪印傘下の前史

同じ頃、東濃一帯は農林省の集約酪農地域指定を受け、基盤統合が本格化。恵那酪農協を含む県下29団体は、東濃酪農農業協同組合連合会を結成する。

一元集荷強制への反発で、協同乳業・松本工場と直接取引に及ぶ酪農家も現れたが、各位を説得。東濃酪連を元締めとし、処理販売を任せる中心工場には雪印の誘致を決定。昭和31年、恵那酪農協は中津川のミルクプラント・営業権を雪印に譲渡した。

雪印は買収した中津川工場にて各種乳製品の製造を行うも、集約酪農地域の計画変更を契機に事業を縮小。35年には処理業務を休止、その2年後に閉鎖してしまった。

◆心機一転、東酪牛乳の売り出しへ

東濃酪連は雪印・名古屋工場や、恵那郡下の個人メーカーである稲垣牛乳(岩村町)、白金牛乳(坂下町)、今井牧場(付知町)さんらに生乳出荷を続ける一方、組合に集まる日量100石の消費を考え、生産直売の一貫体制構築に向かう。

東酪牛乳の冷蔵ショーケース(昭和40年代中期)東酪連農協牛乳の主要製品(昭和50年代初期)
画像上:東酪牛乳の冷蔵ショーケース(昭和40年代中期)と、後年の東酪連農協牛乳の主要製品(昭和50年代初期)…画像が粗くて見にくいが、いずれも200cc移行後。右写真は掲載瓶だ。
東濃酪連の製品集合写真(昭和62年)
画像上:東濃酪連の製品集合写真(昭和62年)…せいきょう牛乳、東酪連牛乳、トーラクトン(乳酸菌飲料)、トーラクホープ牛乳など。右端の「清水フレッシュ」は清水乳業(各務ヶ原市)製。

昭和40年、恵那市に新工場を建設、独自ブランド「東酪牛乳」を発売。学校給食(脱脂粉乳⇒生乳100%を実現)や農協の販売網、米穀商連と契約のうえ各所のお米屋さんに展開。初年度は一日あたり2万5千本を出荷、上々の滑り出しだった。

のち岐阜と名古屋の大学生協・市民生協、団地自治会ほか集団飲用の諸販路を開拓、著しい伸びを示す。いっとき雪印牛乳の受託生産も手掛けた。

◆商い銘柄・掲載瓶について

掲載が「東酪牛乳」の初期瓶装と思う。昭和50年代には「東酪連(農協)牛乳」へ改称。クローバーで囲んだ「東酪」に、連の字が加わった。

画像右:東濃酪農農協連合会のロゴマーク(昭和50年代〜)

東濃酪農農協連合会のロゴマーク(昭和50年代〜)

東濃酪連の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
同・紙栓 / ひるがの牛乳の紙栓 / 美濃酪連の紙栓 (牛乳キャップとは)

後継品は農協を大きくアピールの構え。昭和58年、全面的に紙容器へ切り替えたらしく、最晩年の瓶詰めアイテムは清水乳業への委託品?「フレッシュクリーム」1種のみだった。

◆農協合併・集約合理化による廃止

平成9年、東濃酪連は北濃酪農農業協同組合連合会(ひるがの牛乳)と合併し、美濃酪農農業協同組合連合会に進展。恵那市のミルクプラントは同・東濃工場となる。

平成12年度の乳業再編施設整備では、本巣酪農農協(本巣郡)の工場とともに閉鎖計画の遡上に乗るが、撤回・存続を勝ち取り、以降も長らく操業した。

しかし設備老朽化・市場縮小・合理化の要請には抗えず、平成24年、当局の産地活性化対策により、生産拠点を北濃工場(旧北濃酪連・美濃市)へ一本化。東濃工場と太洋乳業協同組合(鳥羽市)の2工場が廃止され、各事業の集約に至る。

◆「東酪連牛乳」ブランドの終息

いつ頃まで東濃酪連の独自銘柄が残っていたのか、判然としない。平成12年、再編の折に整理されたような雰囲気だ。県下では当時、諸組合の広域合併が進行しており、南濃酪農農協の城山牛乳なども、同時期に消滅と見られる。

現在、美濃酪連の看板商品は、北濃酪連が古くから用いた「ひるがの」ブランドが主体。東濃の名残を留める「東濃牛乳」や、宅配用の瓶詰め「美濃酪連牛乳」は近年リストラ、「みのじ牛乳」に置き換わった。(⇒美濃酪連の牛乳製品一覧

― 謝辞 ―
東酪牛乳(2)番瓶を、flounder様よりご提供頂きました。

― 参考情報 ―
広報さかした (中津川市公式ウェブサイト) ※旧「坂下新聞」各月号参照、消滅
美濃酪連が北濃工場に生産集約 (47NEWS/中日新聞) ※消滅
美濃酪連移転跡地購入計画 全員協議会で (日本共産党恵那市議団) ※消滅
東酪連牛乳の思い出 (ぞうまさの写真日記 三河の国から)
美濃酪農農協連合会の紙パック製品 (愛しの牛乳パック)


昭26> 昭和乳業(株)が発足
昭26> 昭和乳業(株)/岐阜県恵那郡中津町中津川1388 ※練乳・バター工場
             ※中津町は同年、隣町と合併し中津川町となり、翌27年に市制施行する

昭29〜30> 昭和乳業(株)中津川工場・米田儀市/岐阜県中津川市中津川1388
                     ※昭和乳業は間もなく営業停止、恵那酪農農協が工場を買収
昭30> 東濃酪農農業協同組合連合会が発足
昭31> 恵那酪農農協・大野豊松/同上
             ※工場は同年、雪印乳業へ譲渡され、同・中津川工場となる
昭34〜36> 雪印乳業(株)中津川工場/同上
昭37> 雪印乳業は中津川工場を閉鎖
昭40> 東濃酪連が工場を新設、「東酪牛乳」として市販を開始

昭41〜44> 東濃酪農農協連合会/岐阜県恵那市長島町
昭46〜52> 同上/岐阜県恵那市長島町443-1
昭53〜58> 同上/岐阜県恵那市長島町444-1
昭59> 旧工場を解体し、新工場を落成
昭59〜平04> 同上/岐阜県恵那市長島町永田443-4
平09> 北濃酪連と合併、美濃酪農農業協同組合連合会(東濃工場)となる
平13> 美濃酪農農協連合会 東濃工場/同上
平24> 産地活性化総合対策事業により東濃工場は閉鎖
電話帳掲載> 美濃酪農農協連合会 東濃事業所/同上 ※旧本所・平成19年時点
                   同・北濃事業所/岐阜県美濃市生櫛472 ※現本所
独自銘柄廃止> 「東酪(連)」銘は平成12年頃に廃止?
工場閉鎖> 平成24年
公式サイト> http://www.minoraku.or.jp/

処理業者名と所在地は、[日本乳業年鑑]・[食糧年鑑]・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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