学校給食専用瓶/農業高校の牛乳 特 集 - 学 校 給 食 専 用 瓶 / 農 業 高 校 の 牛 乳

本項に学校市場の限定瓶を取りまとめた。ひとつ目のテーマは学校給食用委託乳として納品された、いわゆる学乳の専用瓶。もうひとつは乳牛飼育・搾乳・処理加工の実習成果である、全国各地の農業高校の校内銘柄だ。これらのリターナブル瓶は流通経路の閉じ方が強固で、自己完結性の高い場にあり、なかなか漂流はしにくい。


全国飲用牛乳協会 (1)全国飲用牛乳協会 (1) 全国飲用牛乳協会 (2) 学校牛乳学校牛乳
全国飲用牛乳協会 (1)

(社)全国飲用牛乳協会
東京都千代田区九段北1-14-19
利用メーカー不詳
第一硝子製・市乳180c.c.底面陰刻
昭和20年代後期〜30年代初期
全国飲用牛乳協会 (2)

(社)全国飲用牛乳協会
東京都千代田区九段北1-14-19
利用メーカー不詳
第一硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代初期〜中期
学校牛乳

(有)鹿野乳業
山形県酒田市中央東町3-25
自家製造中止(平成19年)
山村硝子製・正200cc側面陽刻
200cc移行後〜昭和50年代

上掲の協会(1)(2)番瓶は、社団法人・全国飲用牛乳協会(現・日本乳業協会)のイラストとスローガンを掲げた共通瓶。過去、学校給食牛乳事業を同会が取り仕切った地域における、統一瓶装と見込まれる。

右のポスターは昭和30年代初期、学乳啓蒙・消費拡大のため協会が配布した一枚。東京飲用牛乳協会(都道府県単位の傘下団体)との連名だ。「今日もみんなでのみましょう!」協会(2)番瓶と同じ文言が見える。

学校牛乳も学乳専用の無商標ビン。山形の鹿野乳業さん方の廃瓶らしく、自社「鹿野牛乳」と別建てだったと良く分かる。こうした共通瓶の利用範囲や、実際に生産を請けたメーカーはどこに何社あったか、仔細は不明。

画像右:全国飲用牛乳協会/東京飲用牛乳協会のポスター(昭和30年代初期)


◆ブランド標示のない学乳専用の共通瓶

地域の学乳担当業者が組合を作り、お揃いのビンで納入する例は全国に散見された。自治体は発注に際し個別業者を相手にせず、協同組合(事業者の連合体)と契約を結ぶ。受注した組合は、各メーカーに生産を割り当てた。

全国飲用牛乳協会/東京飲用牛乳協会のポスター(昭和30年代初期)

具体的な呼称は「大阪府牛乳処理事業(協)」「尼崎牛乳事業(協)」(晩年参画は昭和牛乳処理場のみ)といった具合。実際の製造者は紙栓に銘記が主流も、古くは単に“学校給食用”とだけ書いたメーカー不詳のキャップも残る。当時、会社の宣伝にならないよう、無記名で納入すべしとの決まり事があったのだろうか。

学乳事業とは・都道府県別牛乳供給業者 (学乳スクエア) ※IAキャッシュ
愛知県学校給食牛乳協会の紙栓 / 三重県学校給食委託乳協会の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
学校給食用委託混合乳(大一乳業・太田牧場)の紙栓 (ほどほどCollection)
ビン牛乳 尼崎で健在 兵庫県内唯一 全国で4分の3は紙パックに (神戸新聞NEXT)


中部牛乳 (標語瓶)中部牛乳 (標語瓶) ユニオンミルク (標語瓶)ユニオンミルク (標語瓶) 知多牛乳 (標語瓶)知多牛乳 (標語瓶)
中部牛乳(標語瓶)

中部乳業(株)
愛知県岡崎市明大寺町天白前45
自家製造中止(平成23年)
石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和43年頃〜200cc移行まで
ユニオンミルク(標語瓶)

岡崎ミルク(株)
愛知県岡崎市若松町南之切360
廃業(昭和50年代後期)
東洋ガラス製・正180cc側面陽刻
昭和40年代中期〜後期
知多牛乳(標語瓶)

知多牛乳生産農協⇒みどり牛乳農協⇒
みどり乳業(株) / 愛知県半田市中午町170
廃業(平成26年)
大和硝子製・正180ml側面陽刻
昭和43年頃〜200cc移行まで

旭牛乳 (標語瓶)旭牛乳 (標語瓶)

◆交通戦争の時代・学童向けの標語瓶

昭和30〜40年代、急激なモータリゼーションで死亡事故が多発、社会問題化。もはや交通戦争である、との警句が世に広まった。「標語瓶」はそんな頃、子供向けのルール啓蒙・学乳を意識して用意されたシリーズらしい。

文言は基本的に交通安全年間スローガンの引用。全日本交通安全協会が、昭和40年より公募を行う。左掲の旭牛乳「世界の願い 交通安全」は、初回の内閣総理大臣賞(一般部門)受賞作。他もお馴染みの名作揃いだ。

上掲3本は全て愛知のメーカー。県下死亡事故のピークは昭和44年、人口密集地かつ車の普及率が高いことで、全国ワーストレベルを記録した。

「もう一度 よく見て渡れ 手をあげて」命令口調で迫る中部乳業に対し、ユニオンミルクは「手をあげて横断歩道を渡ろう(よ)」と、優しく助言。「むりするな 横断歩道がそこにある」。そもそも横断歩道を渡らない不埒者を諭す知多牛乳であった。

なお、各社の通常銘柄ビンと会社沿革は、全国のローカル乳業の項に別途掲載する。(⇒中部乳業岡崎ミルクみどり乳業旭牧場

旭牛乳(標語瓶)

(資)旭牧場
宮崎県延岡市大門町3064
市乳事業撤退(H17年頃)・廃業(H23年頃)
日本硝子製・180cc側面陽刻
昭和40年代中期〜後期

◆市販瓶と刷り色を変えた学乳専用瓶

基本的には市販の銘柄瓶をそのまま使うのが普通で、ノーブランドの共通瓶や特製の標語瓶は少数派だ。ただし大手乳業は過去、一般小売の瓶と同じデザインながら、刷り色違いを用意して学乳専用瓶とすることがあった。明治牛乳の(8)(10)番瓶とか、小岩井牛乳(5)番瓶がその実例と思う。

空き瓶として戻ってくる際、販路が多岐に渡る市販瓶は、学校⇔販売店/工場で完結する場合に比べ、タバコの吸殻・その他ゴミが混入しやすい。輸送経路によって破損・汚損の度合いも酷かったはず。使い分けのメリットは区別のうえ安全性を担保する…ところにあったのだろう。なお、色分け運用は各社廃止して既に久しい。


花農牛乳 (1)花農牛乳 (1) 花農牛乳 (2)花農牛乳 (2) 末吉高校牛乳
花農牛乳 (1)

岩手県立花巻農業高等学校
岩手県花巻市若葉町339
校内処理中止(平成19年)
大和硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代後期
花農牛乳 (2)

岩手県立花巻農業高等学校
岩手県花巻市葛1-68
校内処理中止(平成19年)
石塚硝子製・正200ml 側面印刷
平成15年頃〜生産休止まで
末吉高校牛乳

鹿児島県立末吉高等学校
鹿児島県曽於郡末吉町二之方5330
校内処理中止(平成10年代?)
石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和40年代中期〜50年代初期

◆農業高校の学校内銘柄

農業学校の畜産・酪農科が、実習目的の乳牛飼育に加え、小規模な生乳加工ラインを導入し、独自ブランドを展開する例が少なからずあった。もちろん生産は極少量。市販はなく、主に学校内で循環の状態。ビンの入手はなかなか難しい。

流通範囲が狭く、処理量の少ないブランド…ローカル牛乳であれば大抵その条件を備えているが、収集家を泣かせる更に入手困難なジャンルがある。例えば福岡・日鉄ミルクのような鉱業/炭鉱に併設のミルクプラント、東京・三宅島牛乳のような離島の乳業、そして本項に掲載の農業学校が擁する学内銘柄だ。


花農牛乳を作っていた県立花巻農業高校は、大正末期に宮沢賢治も教鞭をとった岩手の由緒ある農学校。平成15年に北上農業高校を統合・再発足しており、(1)番瓶の校章は現在と少し異なる。搾乳・殺菌・瓶詰めは、食農科学科の授業の一環。様々な農産物とともに地元商店街で直売も行われていた。

設備の老朽化を受け、平成19年3月に製造を休止。古い乳機の更改には相当の資金が必要で、余力のない中小メーカーが廃業する一因でもある。(2)番瓶は岩手在住の方より頂いた、最終出荷に近い頃のもの。要返却の非買壜、平成以降の品は極力収集を控えているが、これはオーラス瓶ということで許しを乞う。

鹿児島の末吉高校牛乳は、校章も入れず全6文字で完結の簡素なデザイン。「要冷蔵」の注記はないが、掲載は昭和40年代中期〜の一本。牛乳処理室の稼働は同50年代。当初は搾乳実習のみで、殺菌・瓶詰めは他社への委託?だったらしい。近年、生産は中止されたようだ。(⇒渚の足跡―末吉高校時代


瑞穂牛乳瑞穂牛乳瑞穂牛乳 高校牛乳(都立三宅高校)高校牛乳(都立三宅高校)
瑞穂牛乳

東京都立瑞穂農芸高等学校
東京都西多摩郡瑞穂町石畑2027
瓶装廃止・校内処理時期限定
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和40年代初期
高校牛乳

東京都立三宅高等学校
東京都三宅島三宅村大字坪田
校内処理中止(昭和40年代中期?)
大和硝子製・正180ml側面陽刻
昭和40年代初期

瑞穂牛乳は、今や都内唯一の畜産科を擁する高校・瑞穂農芸の謹製。開校は昭和24年、都立農業高校の定時制分校だった。同40年、全日制課程を加え、瑞穂農芸高校として独立、「瑞穂牛乳」が生まれる。

瓶にはコーヒーとフルーツジュースの標示も。農高で色物・果汁飲料までやるのは珍しい。現状は紙パック、白牛乳を文化祭の時だけ?生産。平時の搾乳実習で得る一日140リットルの生乳は、協同乳業(名糖牛乳)東京工場へ出荷するという。

都立三宅高校は直球勝負の高校牛乳。処理場の運用は数年と思われ、高校内での製造期間は短い。開校当初より農畜科(のち農業科)を設置。乳牛飼育は長く続いたはずで、搾乳全量は地元の製菓会社や農協に回っただろう。

掲載瓶は三宅島農協(三宅島牛乳)ミルクプラントに残存の廃瓶に紛れ込んでいた。農協に瓶詰め委託の時代があったかも知れない。波打つ「三校」校章は往時の構え、現行とはかなり違う。いつ頃まで牛を飼っていたのか分からない。噴火災害を乗り越える余裕があったとも思えず、無期限休止の状態と想像される。


◆大学にも多くあった学校内銘柄

本項は(農業)高校に限定したが、かつて多くの大学も同様にブランド牛乳を展開。漂流乳業では北海道大学および国際基督教大学明治大学岐阜大学の4銘柄をフォローしている。その他、昭和30年代の概観は以下の通り。

酪農学園(江別市)、岩手大学農学部附属経済農場(雫石町)、東京教育大学(世田谷区)、東京農工大学(府中市)、東京大学農場(北多摩郡)、信州大学農学部(上伊那郡)、岡山大学農学部(岡山市)、山口大学農学部(下関市)、愛媛大学農学部附属農場(松山市)など…現在、飲用乳の製造実習は打ち切った所が大半だ。

― 謝辞 ―
花農牛乳の休止情報や(2)番瓶の現物など、メイ様よりご教授・ご提供頂きました。


※全国飲用牛乳協会は学乳の取り纏めを一部地域で実施と見られるが、生産担当会社などは不明
鹿野牛乳旭牛乳中部牛乳ユニオンミルク・知多牛乳(みどり牛乳)の詳細は通常銘柄瓶の項に掲載


■花農牛乳
創立> 明治40年、稗貫郡蚕業講習所として
設立> 昭和27年、岩手県立花巻農業高等学校として
             ※昭和30〜34年にかけて酪農科の設置、牛舎・乳加工室の建造を行う
昭36〜44> 岩手県立花巻農業高等学校/岩手県花巻市若葉町339
昭46〜平13> 同上/岩手県花巻市葛1-68
電話帳掲載> 同上
校内処理中止・独自銘柄廃止> 平成19年
公式サイト> http://www2.iwate-ed.jp/hka-h/

■末吉高校
創立> 大正10年、末吉村立実科女学校として
設立> 昭和23年、鹿児島県立末吉高等学校として
昭37> 畜産科を新設
昭50> 畜産科付属農場を現在地に移転

昭53〜平04> 鹿児島県立末吉高等学校/鹿児島県曽於郡末吉町二之方5330
平04> 畜産科を生物生産科に再編
電話帳掲載> 末吉高校・生物生産科農場/鹿児島県曽於市末吉町二之方5329
校内処理中止・独自銘柄廃止> 平成10年代?
公式サイト> http://www.edu.pref.kagoshima.jp/sh/Sueyoshi/

■瑞穂牛乳
発足> 昭和24年、東京都立農林高校定時制課程瑞穂分校として
開校> 昭和40年、東京都立瑞穂農芸高等学校として独立
昭42〜48> 東京都立瑞穂農芸高等学校/東京都西多摩郡瑞穂町石畑2027
昭50〜51> 掲載なし
昭52〜平04> 同上
電話帳掲載> 同上
公式サイト> http://www.mizuho-h.metro.tokyo.jp/

■高校牛乳(都立三宅高校)
開校> 昭和24年 ※市乳処理は昭和30年代後期の開始と見られる
昭39〜42> 東京都立三宅高等学校/東京都三宅村大字坪田
電話帳掲載> 同上/東京都三宅島三宅村坪田4586
校内処理中止・独自銘柄廃止> 昭和40年代中期?
公式サイト> http://www.miyake-h.metro.tokyo.jp/


処理業者名と所在地は、全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成19年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



漂流乳業