<ロゴマーク・ブランドの変遷>
最初のロゴは菱形に「NS」を入れたシンプルな作り。これは当時の筆頭株主、名古屋精糖(株)(名糖)の商標だ。協乳・吉田氏と名糖の社長・横井広太郎氏は旧知の仲、公私とも信頼関係にあった。横井氏は戦後、日本最大の製糖会社・企業グループを一代で築いた成功者で、協乳の発起に加勢、金主(オーナー)となる。結果、社名とブランドが乖離した。
農民協同の精神を掲げたものの、かつては農協に元手がなく、企業資本に頼らざるを得なかった。初代社長には横井氏が就き、吉田氏は会長職の体制でスタート(昭和38年、雪印と業務提携・役員交代で両者退任)。名古屋精糖は系列の名糖産業に、チョコレート原料の練乳をより安く、大量確保の提携メリットを見込んだらしい。
しかし名古屋精糖は、業界不況の煽りで昭和46年に倒産。その後、牛乳・乳製品分野における「名糖」関連商標は、協同乳業が譲受。正式に同社所有ブランドになった。また、資本関係も協同乳業の理念(農民のための会社)に従い整理され、間もなくJA全農、農林中金、各地の農協が株を持ち合う形に落ち着いている。
昭和39年3月、デザイナー田中一光氏の手による「牛マーク」が登場、<NS>印の利用を中止。昭和49年9月に「花のCIマーク」、57年10月にはマイナーチェンジした「新フラワーマーク」を採用(いずれも岡田宏三氏の作)。長らく親しまれた牛さんは、昭和58年春、「乳業に留まらず総合食品企業へ成長した」ことを理由に引退を迫られる。
平成3年に片仮名表記の「メイトー」へ転換。翌4年、(7)番瓶の躍動感あふれた現行シンボルマークを導入、ロゴを刷新。制作はザ・デザイン・アソシエイツ(⇒事例紹介・配色は現在と異なる)。「自然の恵み・太陽の花」の図案化という。
◆もうひとつの名糖牛乳
名糖牛乳(MN-1)番瓶は、福岡にある名糖乳業(株)の取り扱い。親会社は名古屋の名糖産業(株)で、その母体は旧・富士製薬。昭和28年、名古屋精糖の出資を容れ社名変更、菓子工場を買収し事業を多角化。アルファベットチョコレートでお馴染みの現役メーカーだ。昭和41年に傍系の名糖協同乳業(株)を発足、同45年、名糖乳業と改称した。
「育ての親(=名古屋精糖)」が同じ縁で、協同乳業とブランドを共有も、改称後は一本立ち。各々別個の名糖牛乳、異母兄弟の片割れである。発足時は日鉄ミルクの西田産業(飯塚市)も合流。同社は日鉄鉱業より受託の市乳事業を経て、二瀬鉱業所の閉山後は単身運営中のところ、この機に名糖系列へ参画した。
<MN>は名糖乳業の略。名糖協同時代は<MK>と表記。該当は未掲載ながら、デザインは(3)番瓶の<NS>が<MK>に替わる程度。創始に協同乳業の支援があったと思う。平成11〜12年の乳業施設再編合理化で市乳ラインを廃止。現在製造はアイスクリームがメイン、牛乳類は再編集約先・永利牛乳(太宰府市)さんに委託の業態だろうか。
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