名糖牛乳 名糖牛乳
協同乳業株式会社
東京都中央区日本橋小網町17-2(本社)
www.meito.co.jp

創業理念は「農民のための農民による会社」。農政族の元議員で農村運動の主導者、協同社会主義連盟理事の吉田正氏と、製糖業界の風雲児・横井広太郎氏が手を組み、雪印の支援も得て、昭和28年に発足。農業組合との連帯を重視、生産者に支配的な側面を持つ大企業と激しく対立した。発祥地の長野・福島では、製菓資本の集乳系統をひっくり返す快進撃。森永乳業の社史が「営々と築き上げられた酪農地盤の侵食」と苦言を呈す勢いだった。昭和30年代後期から40年代にかけて経営難に陥り、一時はカネボウによる買収が企図されるも、未遂に終わっている。


協同乳業のもくじ

名糖牛乳 (1)名糖牛乳 (1)名糖牛乳 (2)名糖牛乳 (2)名糖パルCと名糖ヨーグルトのテレビCM(昭和40年代初期)
名糖牛乳 (1) (2)

日本硝子S32年製・市乳180c.c.底面陰刻
昭和30年代初期

石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代初期


名糖牛乳 (3)名糖牛乳 (3)名糖牛乳 (4)名糖牛乳 (4)名糖牛乳 (5)名糖牛乳 (5)
名糖牛乳 (3) (4) (5)

日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期

山村硝子製・正180cc側面陽刻
昭和39〜43年頃

石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和43年頃〜200cc移行まで

名糖パルゲンのポスター(昭和43年)名糖牛乳 (6)名糖牛乳 (6)名糖牛乳 (7)名糖牛乳 (7)
名糖牛乳 (6) (7)


石塚硝子製・正200cc側面陽刻
200cc移行後〜昭和50年代

石塚硝子製・正200cc側面陽刻
昭和57年〜平成3年頃まで

名糖牛乳 (8)名糖牛乳 (8)名糖牛乳 (9)名糖牛乳 (9)名糖牛乳 (MN-1)名糖牛乳 (MN-1)
名糖牛乳 (8) (9) / 名糖牛乳 (MN-1)

石塚硝子製・正200cc側面陽刻
平成3〜5年頃

石塚硝子製・正200cc側面陽刻
平成5年以降

名糖協同乳業(株)⇒名糖乳業(株)

福岡県嘉穂郡穂波町大字若菜47-2
東洋ガラス製・正200cc側面陽刻
200cc移行後〜昭和50年代

<ロゴマーク・ブランドの変遷>

最初のロゴは菱形に「NS」を入れたシンプルな作り。これは当時の筆頭株主、名古屋精糖(株)(名糖)の商標だ。協乳・吉田氏と名糖の社長・横井広太郎氏は旧知の仲、公私とも信頼関係にあった。横井氏は戦後、日本最大の製糖会社・企業グループを一代で築いた成功者で、協乳の発起に加勢、金主(オーナー)となる。結果、社名とブランドが乖離した。

名古屋精糖の会社広告(昭和30年)名古屋精糖の会社広告(昭和41年)
画像上:名古屋精糖の会社広告(昭和30年および41年)…取り扱いは各種砂糖、角砂糖、鯱印氷糖とある。

農民協同の精神を掲げたものの、かつては農協に元手がなく、企業資本に頼らざるを得なかった。初代社長には横井氏が就き、吉田氏は会長職の体制でスタート(昭和38年、雪印と業務提携・役員交代で両者退任)。名古屋精糖は系列の名糖産業に、チョコレート原料の練乳をより安く、大量確保の提携メリットを見込んだらしい。

しかし名古屋精糖は、業界不況の煽りで昭和46年に倒産。その後、牛乳・乳製品分野における「名糖」関連商標は、協同乳業が譲受。正式に同社所有ブランドになった。また、資本関係も協同乳業の理念(農民のための会社)に従い整理され、間もなくJA全農、農林中金、各地の農協が株を持ち合う形に落ち着いている。

菱形にNS牛マーク旧花ロゴ新花ロゴメイトーシンボルマーク
画像左から:菱形にNS(名古屋精糖と共用)、牛マーク、旧花ロゴ、新花ロゴ、メイトーシンボルマーク

昭和39年3月、デザイナー田中一光氏の手による「牛マーク」が登場、<NS>印の利用を中止。昭和49年9月に「花のCIマーク」、57年10月にはマイナーチェンジした「新フラワーマーク」を採用(いずれも岡田宏三氏の作)。長らく親しまれた牛さんは、昭和58年春、「乳業に留まらず総合食品企業へ成長した」ことを理由に引退を迫られる。

平成3年に片仮名表記の「メイトー」へ転換。翌4年、(7)番瓶の躍動感あふれた現行シンボルマークを導入、ロゴを刷新。制作はザ・デザイン・アソシエイツ(⇒事例紹介・配色は現在と異なる)。「自然の恵み・太陽の花」の図案化という。

龍ヶ崎工場落成記念セール(昭和36年)名糖クラウン牛乳(昭和42年)
画像左:龍ヶ崎工場落成記念セール(昭和36年) / 画像右:名糖クラウン牛乳(昭和42年)…いずれも電車の中吊り広告。

◆もうひとつの名糖牛乳

名糖牛乳(MN-1)番瓶は、福岡にある名糖乳業(株)の取り扱い。親会社は名古屋の名糖産業(株)で、その母体は旧・富士製薬。昭和28年、名古屋精糖の出資を容れ社名変更、菓子工場を買収し事業を多角化。アルファベットチョコレートでお馴染みの現役メーカーだ。昭和41年に傍系の名糖協同乳業(株)を発足、同45年、名糖乳業と改称した。

「育ての親(=名古屋精糖)」が同じ縁で、協同乳業とブランドを共有も、改称後は一本立ち。各々別個の名糖牛乳、異母兄弟の片割れである。発足時は日鉄ミルクの西田産業(飯塚市)も合流。同社は日鉄鉱業より受託の市乳事業を経て、二瀬鉱業所の閉山後は単身運営中のところ、この機に名糖系列へ参画した。

<MN>は名糖乳業の略。名糖協同時代は<MK>と表記。該当は未掲載ながら、デザインは(3)番瓶の<NS>が<MK>に替わる程度。創始に協同乳業の支援があったと思う。平成11〜12年の乳業施設再編合理化で市乳ラインを廃止。現在製造はアイスクリームがメイン、牛乳類は再編集約先・永利牛乳(太宰府市)さんに委託の業態だろうか。


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<瓶の世代と流通時期> (加工乳・色物・ジュース等の専用瓶を除く)

「名糖牛乳」誕生から印刷瓶装の廃止に至る、ほぼ全世代が揃った。草創期は銘柄を底寄りに標示。肩口への環状印刷が全盛になって以降、あまり見なくなったフォーマットだ。トレードマークの更新頻度は大手随一。名古屋精糖の支援がなければ「協同牛乳」と称したか、「名糖」の認知度は高いものの、協同乳業の法人名はマイナーな感じもある。

協同乳業の瓶製品いろいろ(昭和30年代初期)
協同乳業の瓶製品いろいろ(昭和30年代初期)
名糖牛乳のポスター(昭和44年)
画像左:協同乳業の瓶製品いろいろ(昭和30年代初期)…世代は混在している。紙製のフードを被っているのが最初期の瓶装らしい。
画像右:名糖牛乳のポスター(昭和44年)…確かに元気そうな子である。

(5)番は白牛乳・コーヒー・フルーツなど包含の共通ビン。当時の主力アイテム、それまで専用八角瓶入りだった「ホモビタ牛乳(加工乳)」を強く推すデザインだ。牛マーク・要冷蔵は側面標示。ビタミンのVを大きくあしらう構えは、名糖パッケージの一時代を成す。(6)(7)番の間に旧・花ロゴ版があったかも知れない。色物180cc瓶には新旧の花ロゴ、2世代が存在する。

協同乳業の製品集合写真(一部抜粋)(昭和59年頃)
画像上:協同乳業の製品集合写真(一部抜粋)(昭和59年頃)…まだまだ瓶がいっぱいある時代。勢揃いの色物が壮観。

ビン製品は平成23年、プラ栓・シュリンク・軽量新瓶に完全移行。「メイトー成分無調整牛乳」だけは、紙栓・リボンフード・古き良き印刷瓶で存続していたが、それもついに無くなった(⇒協同乳業「メイトー牛乳」11年4月/愛しの牛乳パック)。

(9)番が最後まで残った成分無調整の瓶。片仮名「メイトー」表記、計量法改正による「まる正200ml」印刷と、ガラス表面保護のラインを追加。なお「ホモビタ」は地域限定?の200ml紙パック、「濃厚クラウン」は全営業圏で今なお往時の銘を堅持する。


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