昭和40〜50年代、明治大学農学部・生田キャンパス(神奈川県川崎市)の生乳加工実習で用いられた牛乳瓶。市中一般はもとより校内販売の記録すら乏しく、製造頻度や処理量、完成品の消費ほか、詳述資料は発見できなかった。
かつて明大は誉田農場(千葉県)および富士吉田農場(山梨県)を直営、後者には畜産部門を備えていた(平成24年に黒川新農場へ一本化)。しかし両場とも原料乳の供給などはしておらず、本項の製造実習とは無縁だったようである。
◆掲載瓶の来歴・製造実習について
明治大学OBのご家族にお譲り頂いた一本。昭和50〜54年の農学部(生田校舎)在籍中、農産物加工実習として瓶装乳の製造があったそうだ。言わばその資材である要返却のビンを、手違いで?持ち帰り、長期保管されていた。
当時、生田では牛を飼っていない。恐らく原料乳は地元の酪農家(組合)に頼み、都度調達の次第と思う。いっぽう、キャンパスのどこかに存在した牛乳処理室について、仔細は不明。殺菌・均質化〜瓶詰めの行程を賄えるものだったはずだが…。
◆牛乳処理室の完成期・過去の乳牛飼育
明大は昭和30年代中期から後期にかけて教育環境の強化を図り、生田に新しい第一、第二校舎を落成、さらに農学部の放牧場も増備した記録が残る。
また、打刻・標示に照らし、掲載瓶は昭和40年代初期の作り(=発注・納品)と分かった。上記のキャンパス拡大計画を勘案すれば、校内に牛乳処理室ができたのも同じ頃だろう。
加うるに、30〜40年代の生田では乳牛飼育・搾乳実習も行ったと想像できる。各種資料には明確な言及を見つけられないが、南向きに広がる農学部附属の畑地で牛の牧草を栽培したと、
[明治大学百年史(第四巻)] が触れている。
◆後年の概況と学内販売の状況
昭和45〜50年度は大学紛争の激化で農場実習は悉く中止、51年度にようやく再開。家畜の大半は放出済みの状態か、生田に改めて乳牛を入れたような話は出てこない。
前記の通り、平穏が戻ったこの時期の牛乳製造実習で、かねて在庫の特注瓶が久し振り?に出番を得た。ガラスの摩耗は少なくコンディションは良好、ほぼ新品に近い。
他大の農学部は「牧場運営と牛乳製造実習〜学内販売」が常にセット(同一エリア内で完結)のため、明大生田のウシ抜き実施例は珍しい。なおかつ学販(生協への卸し)も通常は行わず、基本は非売品、頒布は少量・特例の扱いだったと想像される。
◆民間牧場での実習/他大のブランド
その他、酪農に関わる過去の現場学習に、長野県南牧村の野辺山開拓農協や、群馬県下の牧場に協力を得て、宿泊実習を催した話があった。とはいえ富士吉田農場の畜産部門は閉鎖以前より縮小傾向にあったといい、追想の類も極めて少ない。
“明大牛乳”はマイナーな立ち位置だが、農業高校を含め、往時は全国各地に学校銘柄が存在、定期的な学内販売に及んでいた。漂流乳業に掲載の大学ものは、北海道大学、国際基督教大学、岐阜大学の3校のみ。古瓶の確保が厄介なジャンルだ。
― 謝辞 ―
当時の明大農学部の実習状況ほか、Y様よりご教授頂きました。
― 関連情報 ―
わが国における農村型ワーキングホリデーの実態と課題 (農林水産政策研究所)
「飢餓ゼロ」へ、私たちにできること-SDGsの実現に向けた酪農乳業の役割 (Jミルク)