名糖牛乳

名糖牛乳

<1>牛乳瓶一覧/ロゴマーク・ブランドの変遷/瓶の世代と流通時期
<2>実は失敗に終わっていたテトラパック/名糖に合流・合併したブランド
<3>協同乳業社史(10年史/30年史)に見る危ない発言


<実は失敗に終わっていたテトラパック>

名糖のテトラパック牛乳は、ビン詰めが当たり前の時代に、本邦初の紙容器利用を試みた先駆的な商品。そのことは協同乳業の公式サイトにも誇らしく書かれていた。(日本初のテトラパック牛乳製造/公式サイト・IAキャッシュ)

テトラ牛乳の販促ポスター(昭和32年)ビタエースAの販促ポスター(昭和42年)
画像左:名糖テトラ牛乳の販促ポスター(昭和32年)…おはようサン、はい!坊やもテトラ。
画像右:ビタエースAの販促ポスター(昭和42年)…栄養ドリンクブームを受け、大手乳業各社もこの類を商った(本文とは無関係)。

スウェーデンのテトラパック社より充填機を調達し、製造販売が始まったのは昭和31年末。記念すべき一台目は東京市乳第一工場(旧・西多摩牛乳三鷹工場)に導入された(⇒日本における牛乳の三角パックの歴史/TETRA'S MATH)。「業界に革新的新風を吹き込むアイテム・消費スタイルの一大変化」とメディアも絶賛したが…。

瓶と比べて割高な包装コストを増産によってカバーできず
輸送中、パックが破れて汚損することがあり
末端小売価格が壜装と同じなのに、卸値は瓶詰め製品より高く販売店の旨みに欠け
店頭直接販売を重視、既存の牛乳配達所を軽視して不興を買った
重視していた店頭販売も、スーパーマーケット等の大規模小売が未発達で
回収を必要としない利点も、当時の人件費はまだ安く、あまり意味をなさない
長持ちする、との宣伝が効きすぎ、店先で適切な冷蔵をしてもらえず
また、中身が見えない牛乳に対し、消費者の不安が根強かった

など、諸問題が噴出。紙パックの出荷は伸び悩み、昭和34年に中止を決する。無用の長物と化したテトラ設備・資材の償却は経営を著しく圧迫。[森永乳業五十年史](昭和42年)は、もとより名糖に集乳地盤を踏み荒らされ怒り心頭のところ、この失敗にも触れ「一社による魁(先駆け)的商法は、消費者の理解を得られない」と嫌味を書いた。

のち刊行の[協同乳業30年史](昭和59年)は、自社に対する[森永乳業五十年史]の言及をそっくり引き写したうえで、「森永の支配から農民を解放した意義は大きかった」とやり返している。なんとも時間のかかる口喧嘩だ。

話を紙パックに戻すと、時は流れて昭和40年代、スーパーマーケット等の大規模小売業が発展し、流通・消費の形態は大きく変化。再び紙パックの利便性が脚光を浴び、ビンは急速に姿を消していく。協同乳業はテトラ中止後、製造ラインを瓶詰めに直しており、機が熟したその時はライバルに追随する格好で、一からの出直しを強いられた。


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<名糖に合流・合併したブランド>

協同乳業の最初の生産拠点は、松筑農産加工農協連より継承した松本工場で、処理能力は一日800リットル程度の貧弱な設備だった。間もなく上伊那市の大信産業を傘下に収め、その工場と営業権を獲得。練乳やバター、生クリームなど加工品を手掛けながら、農民団結の旗印のもと、さらに多くの事業者を系列に加えた。

ブランド統一前の市乳製品(昭和30年代初期)
画像上:ブランド統一前の市乳製品(昭和30年代初期)…すべて協同乳業の傘下だが、銘を変えずにそのまま売っていた。

大半を昭和30年前後に吸収、基盤形成は急速に進む。市乳(飲用牛乳)への進出はやや遅れて、昭和31年5月。合流した下伊那郡酪農協連の既存ブランド「ぐんらく牛乳」の続投が端緒。つまり当初「名糖牛乳」は存在しなかった。

ぐんらく牛乳 (長野県飯田市・下伊那郡酪農協同組合連合会)
西多摩牛乳 (東京都西多摩郡・西多摩郡酪農業協同組合)
多摩牛乳 (東京都南多摩郡・多摩酪農農業協同組合)
秋広牛乳 (東京都北多摩郡・秋広畜産興業株式会社)
みづほ牛乳 (山梨県甲府市・山梨瑞穂乳牛農業協同組合)
扶桑牛乳 (愛知県・扶桑乳業株式会社)
平和牛乳・朝日牛乳・開拓牛乳 (静岡県・三方原開拓農村工業農業協同組合)
あだたら牛乳 (福島県・安達太良酪農協同組合)
利根牛乳 (茨城県・茨城県利根酪農協同組合)
星ミルクプラント (福島県会津若松市)
湘南保証牛乳 (神奈川県高座郡)
アルプス牛乳 (長野県松本市島立区・アルプス牛乳株式会社)
保証牛乳 (愛知県・名古屋保証牛乳株式会社)
大沢牛乳 (長野県大屋・大沢乳工業株式会社/上田分工場)

満を持して「名糖」に統一されるのは、昭和32年5月のこと。自社新設・東京総合工場(北多摩郡保谷町)の落成・稼動にともない、一斉に切り替えた。こんな事情でちょっと延命したのが上掲写真の5銘柄。合併後も短期存続の面々である。

漂流乳業では西多摩牛乳秋広牛乳みづほ牛乳扶桑牛乳、後に受託生産を通じて実質名糖傘下の湘南保証牛乳星ミルクプラントの古壜を回収できた。扶桑牛乳のビンは、「名糖アイスクリーム」や「名糖バター」はあっても「名糖牛乳」のなかった当時を知るのに最適。異なるメーカーのブランド相乗りは珍しく、わざわざ二色に刷り分けたものは尚更だ。

◆メグミルクへの合流見送り・その後の事業提携

平成12年、雪印乳業の集団食中毒事件を契機に業界再編が巻き起こり、同15年、日本ミルクコミュニティ(現・雪印メグミルク)が誕生する。協同乳業も包括提携・統合参加の要請を受けたが、既に自社経営改革・工場再編を完了、メリットなしと判断。「基本的に自主独立の道を歩む」ことを選び、謝絶した。

しかし景況なお厳しき折、平成24年、雪印メグミルクと協同乳業は資本・業務提携に合意(かねて協調関係にはあった)。雪印の名糖株式取得(20%)を始め、生産・資材・物流の相互利用・共同調達の拡大でコスト削減を図ると発表した(⇒ニュースリリース/公式サイト)。当面、両社の商いブランドに影響はなさそうだが、今後は業績次第という感じか。


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