<協同乳業社史(10年史/30年史)に見る危ない発言>

◆吉田正会長が、工場建設の際の資金繰りについて [協同乳業10年史]

「(融資依頼先の)東海銀行にしても、横井氏(名古屋精糖社長、のち協同乳業の社長にも就任)の口利きであり、功績は大きい。東京工場が出来た時も明細書こそ持参したが、事実とは違ったものであり、問題もあったが、名古屋精糖の実力があったからこそ乗り切れた」

堂々のねじ込み宣言!社史に載せてしまうこの潔さ。まあ結果オーライということだろう。

◆森永乳業の長野県・松本工場が、協同乳業の新たな工場建設を嫌って…のくだり [協同乳業10年史]

「(近隣への工場建設を)バッサリひねり潰してしまえる位に考えていた市会議員の誰彼や南松本付近の顔役を抱きこんで、積極的に、市有地の敷地売却反対の運動を始めた」

「森永工場の酪農課長におさまった横内与三郎氏などは(地場組合で、森永と結び付きの強かった)南信酪農組合の専務として飛ぶ鳥を落とすばかりの威勢で、協同乳業撲滅を指令していた」

南信は森永、北信は明治…酪農調整法(昭和14年施行)に基づく集乳地盤協定で、各地の酪農家の原乳卸し先は大手メーカーの独占状態だった。地元の酪農組合幹部に対する、乳業各社の勧誘・取り込み工作も珍しくなかった。

◆協乳名物・横井社長のきんたま踊り [協同乳業10年史/30年史]

「(会社設立総会のあと)社長が冬だというのに真裸になって、“双葉山の土俵入り”をやった。背後から見ていると社長のすごく大きな金玉がブラ下がっているのがみえるじあないか、よほど嬉しかったものと思われた」

「(社長は)余興に演じた横綱の土俵入りが知られる。宴たけなわに興至れば、全裸となって即席の化粧回しに綱をしめ、太刀持・露払を従え、堂々の手数入りを披露した。一座をうならせたのは勿論であるが、横井氏の名をより高からしめたのは、股間に揺れ踊るふぐりであった」

画像右:松本工場の落成祝賀会での横井社長(昭和30年)
松本工場の落成祝賀会での横井社長(昭和30年)

豪放磊落な人柄を伝えるきんたま関連エピソードは、回想する人間を変えながら10年史・30年史と二度連続の取り扱い。都度、横井社長の土俵入り写真を掲載するなど妙に力が入っている。

昭和47年、横井氏は鬼籍に入るが、死の直前「アイスクリームが食べたい、名糖のだぞ」と言い、運ばれた「みぞれ」を口にしたのが最後の食事だった…との挿話も[30年史]で明かされている。

◆昭和40年代初期の大阪進出・販売店開拓の裏側で [協同乳業30年史]

色々と苦労しながら300店近い販売店もできたが、すべてが成功というわけにはいかなかった。
社員が集金に行けば日本刀をこれ見よがしに出して脅かす店、製品の日付が注文通りでないと言って、
その製品をダンプカーで工場に持ち込み、構内へ全部ぶちまけた店など暴力団まがいの店もあれば、
自分が信仰している宗教団体には寄進しても乳代を支払わない店、
拡売員のテンプラ(※)に騙されて経営不振に陥る店等々、
事業拡大期を見計らって、ハイエナのように寄って来た人間の生きざまを見せつけられたものである。
※販売店の雇った営業マンが宅配契約書を偽造、歩合制の売上リベートをせしめる手口

大阪はこわいところです。

◆むいて食べるアイスクリーム「ムッキー」大ヒットを振り返って [協同乳業30年史]

「若くてかわいい女の子(CMに出演したラブリーズのヨッコとメグ)の衣装を剥ぎ取って、水着姿にむいてしまうというのが大うけで、全国的に話題を呼び、“ムッキー旋風”を巻き起こしたのである」
名糖「ムッキー」のテレビCM(昭和54年)
画像上:名糖「ムッキー」のテレビCM(昭和54年)…CMソングは内田康夫氏の作詞。

「水着姿にむいてしまう」という表現が秀逸。一体どの企業の社史に、衣装を剥ぎ取って水着姿にむく、なんて表現が出てくるだろうか。♪名糖むきむきムッキー、ムキムキ・ムキムキ…さすが名糖、と言わざるを得ない。


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