西武牛乳 (1)西武牛乳 (1) 西武牛乳 (2)西武牛乳 (2)
西武牛乳 (1)

西武酪農業協同組合⇒西武酪農乳業(株)
埼玉県入間郡高麗川大字原宿
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期〜後期
西武牛乳 (2)

西武酪農業協同組合⇒西武酪農乳業(株)
埼玉県入間郡日高町野々宮145
山村硝子製・正200cc側面陽刻
昭和50年代〜平成5年頃

戦後の発足から約75年、県下有数の歴史を誇る農協系ミルクプラント。地域柄、まず西武鉄道グループを連想するが、特に繋がりはない。埼玉の入間・日高エリアは伝統的に西武(地区)と呼ばれており、かつては入間郡に西武町もあった。

平成9年に県下4組合と合併、けやき酪農業協同組合に進展。市乳処理(工場)部門は西武酪農乳業(株)として独立した。乳業施設再編合理化の集約先ポジションにあり、近年は埼玉市乳くじらい乳業松村乳業の改廃を受け、設備の増強が進む。

◆酪農の創始・西武牛乳の発祥

西武酪農の萌芽は戦後の昭和21年、のちに組合長を務める加藤義久氏が乳牛を2〜3頭ばかり繋ぎ、高麗川駅前に簡易処理場を設け、牛乳を売り始めたことに始まる。

当時、一帯の乳牛は全部で20頭ほどしかいなかった。しかし加藤氏の営みに触発された有志が徐々に現れる。22年、牛飼い農家8軒で西武酪農組合(任意組合)を結成。折しも乳製品需要高まり、着実に生産と売上を伸ばしてゆく。

◆農協の発足・西武牛乳の発展

昭和23年、組合員30名の陣容で農協法に基づく西武酪農業協同組合を設立。熱心な勧誘・指導の成果と、消費地に間近の立地が幸いし、急速に規模を拡大。

30年にミルクプラントを新築した頃、集乳エリアは高麗川を中心に隣接6町村、組合員380名・乳牛500頭に達す。往時は中沢牛乳(五合瓶詰)の受託や西多摩酪農協(協同乳業)への卸売りも手掛けた。前者の中沢グループは今なお主要取引先だ。

◆掲載びん・現行アイテムについて

ビン商品は健在ながら、平成9年?以降は栃木乳業への委託で賄う。したがって自社製造は紙パックのみとなった。瓶詰めラインや回収洗浄のサイクルを維持するコスト面が折り合わず、瓶装は丸投げお任せ…の業態は全国的に増えている。

掲載は(1)番の二色刷りが秀逸。宣伝効果はどれ程か、単色より高くつくはずで、採用メーカーは少ない。弊サイトの捕捉は雄平牛乳(秋田)、会津ホモゲ牛乳(福島)、扶桑牛乳(愛知)、舟橋牛乳(広島)、青柳牛乳(福岡)など、5〜6社だけだ。

― 参考情報 ―
西武酪農協の紙栓 / 同・栃木乳業OEM (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
同・紙栓 (牛乳キャップとは) / 西武酪農乳業 (乳業探訪記)
西武牛乳販売店 (Nekusy's TIMES) / 西武の牛乳 (これでいいのだラーメンブログ)
西武酪農乳業の紙パック製品 (愛しの牛乳パック)
西武牛乳のノベルティーコップ (牛乳グラス☆コレクション)


昭21> 加藤義久氏が高麗川駅前で牛乳処理・販売に着手
昭22> 加藤氏を中心に西武酪農組合が発足

設立> 昭和23年、西武酪農業協同組合として
昭31> 西部酪農業協同組合・加藤義久/埼玉県入間郡高麗川大字原宿355-2
昭34〜36> 西武酪農業協同組合/埼玉県入間郡高麗川大字原宿
昭38> 業容拡大を受け、日高町に工場を移転
昭39〜平04> 同上/埼玉県入間郡日高町野々宮145
平09> 県下4組合と合併し、けやき酪農業協同組合となる
           同時に西武酪農乳業(株)を設立

平13> 西武酪農乳業(株)/埼玉県日高市大字野々宮145
平15> けやき酪農協は県下3組合と合併し、埼玉酪農業協同組合となる
電話帳掲載> 同上
公式サイト> http://www.seibu-milk.co.jp/

処理業者名と所在地は、全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成19年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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