鯨井牛乳 (1)鯨井牛乳 (1)

(記事下段)

鯨井牛乳 (1)

鯨井乳業(有)
埼玉県熊谷市宮前町1-84
石塚硝子製・180cc側面陽刻
昭和40年代中期

鯨井牛乳 (2)鯨井牛乳 (2) くじらい牛乳くじらい牛乳
鯨井牛乳 (2)

鯨井乳業(有)
埼玉県熊谷市宮前町1-84
山村硝子製・180cc側面陽刻
昭和40年代後期〜50年代初期
くじらい牛乳

くじらい乳業(株)
埼玉県熊谷市大字万吉3040
日本硝子製・正200cc側面陽刻
昭和50年代後期〜平成5年頃

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創業は明治8年、県下のみならず全国的にも長い歴史を誇った、老舗の牛乳屋さん。銘は開祖の「鯨井」姓に由来。埼玉全域、特に熊谷に多く残る苗字で、その発祥は川越の鯨井村だという。(⇒地名・鯨井の由来/鯨井ホームページ)

再編合理化事業や大手飲料メーカーの買収を経て、平成28年、行田市に移転。ヨーグルト受託製造メインの経営に転換。「くじらい」銘のオリジナル商品は撤廃された。

◆居留地で牧畜・牛乳を認知

初代・鯨井治助氏は熊谷に代々続いた商家の出身。家業を継いで酒や塩を商う傍ら、明治2年、新たに蚕種(蚕卵)紙の輸出に着手。6年ほど取り組み蚕屋も板についた頃、横浜港の倉庫が火事で丸焼け。在庫数万を失う大打撃を受けた。

牧畜開眼は、仕事先である居留地での見聞が端緒。外人誰もが朝夕に牛乳を飲む様子、あるいは火災に意気消沈の頃、街をぼんやり眺めたら、牛乳を持つ姿が目についた…とも。治助氏は国内外の酪農事情を調べ、栄養豊富・将来有望を知る。

◆お蚕さまから牛さんに転換

カイコは挽回の見込み立たず、牛飼いへの挑戦を決断。のち明治19年に歌人・伊藤左千夫氏も入舎した本牧(諏訪町)の搾乳業者、菅生健二郎氏の牧場で数か月の見習い修行をし、短角牛を一頭買って熊谷に持ち帰った。

文明開化に沸く東京・横浜市街ですら、需要開拓が困難な飲用牛乳の黎明期。見込み客は宅配2軒のみだったが、鯨進社(鯨井牛乳売場)の屋号を掲げて早速開業。

「獣肉を食うと髪が抜ける」「乳汁など飲んだら牛になる」宗教上の忌避感・迷信が根強く、周囲の反応は鈍い。親戚や知人に無料で配り歩き、少しづつ理解を広げていった。

◆よろず商いから搾乳業への一本化

間もなく浅草森下町・村岡典安氏の牧場から2頭目を購入。繁殖のすえ14頭に増やしたところ、伝染病が蔓延、3日間で11頭が死ぬ。続けざま隣家の貰い火で牛舎全焼。治助氏は酪業継続のため、先祖伝来の土地と食糧商の権利を売り払う。

苦心惨憺、鯨井家の破綻は目前。しかし明治20年頃、荒川の河川敷に牧場を新設して牛飼いの営みが軌道に乗る。同22年には乳牛60頭、支店7ヶ所まで発展。輸入品に対抗すべく練乳・バターの加工販売も手掛けるようになった。

◆掲載びん・ブランド名について

過去商標の潮吹きクジラをあしらった往年の漢字世代と、昭和58年の経営変動を受け、商号・銘柄が平仮名に変わった、新旧3本。後者はクジラが消滅、海つながりで?ブイか浮きのような図形、謎のトレードマークを採用している。

古い漢字の八角瓶は色物向けか。コーヒーにフルーツ、プリン、ゼリーほか傍系アイテムは平成初年までに漸次終息。晩年の紙栓はフォントに遊び心があって、何とも楽しい雰囲気だ。

◆再編後の「くじらい」ブランド

平成14年度の乳業施設再編合理化で、市乳の自家処理より撤退。以降は西武酪農乳業(西武牛乳)へ製造委託。のち同社のビン詰め廃止に応じ、戸田乳業へ振り替え。最終形態はくじらいオリジナル瓶に「彩の国牛乳」統一キャップ封緘の運用だった。

くじらい乳業さんはヨーグルト・醗酵乳の生産に特化。ビン牛乳は1種のみ、宅配で細々と続くも、後述の経営交代、本社・工場移転で終息に至る。

くじらい乳業のヨーグルト好きなんだけど、なんか買ってたところで、もう販売停止するみたいなこと言われたらしい<後略>(⇒Twitter@syvi_kri 2015/10/10)

熊谷で創業140余年の老舗・くじらい乳業が、明日を以て配達業務から撤退する。曾祖父母の時代から配達を受けていた我が家には<後略>(⇒Twitter@TcHaruka 2015/11/24)

かつて公式サイトに紹介の「くじらい 山びこ3.6牛乳」(1リットル紙パック・西武酪農の受託品)、「くじらい 生乳100%ヨーグルト」(80g紙カップ・自社製造)も、全て無くしたらしい。

◆経営母体の変遷と行田への移転

昭和58年、市内の建築会社・松坂屋建材さんが資本参加し、事業を継承。この会社も明治発祥の、言わば熊谷老舗仲間。創始・鯨井家とともに経営に臨んでいる。

平成26年には、飲料業界の大手・ホッカンホールディングス傘下の日本キャンパックが、乳製品分野に参入すべく完全買収。同28年、行田市に新工場を稼働、熊谷の拠点は廃止された。

新工場建設に関するお知らせ 平成26年6月 (ホッカンHD適時開示)
ホッカンHD決算説明会 平成26年12月 / 平成27年6月 (同上)
平成28年4月期 第2四半期 決算説明会資料 (伊藤園) ※掲載終了

くじらい乳業の名前はそのまま、位置付けは「ヨーグルト受託製造工場」。振り出しは日本キャンパックの既存取引先である伊藤園傘下・チチヤスの発注を獲得。チチヤスヨーグルトの請け負いを通じ、同社の東日本エリアの販売強化を担う。

― 参考情報 ―
県内乳業の先達「くじらい乳業」にスポット 熊谷で回顧展 (埼玉新聞) ※掲載終了
くじらい乳業 (青春ビバノンノ) ※消滅 / くじらい乳業の情報 (ごった煮)
くじらい乳業 (乳業探訪記) / 同・ノベルティーコップ (牛乳グラス☆コレクション)
くじらいヨーグルト (呉服屋さんの中の人) / くじらい乳業 (ホッカンHD-グループ概要)


創業> 明治8年、鯨進社として
明35> 合名会社鯨進舎を設立
昭09> 鯨井良平/埼玉県熊谷市鎌倉町
昭25> 鯨井乳業(有)を設立
昭31> 鯨井乳業・鯨井信子/埼玉県熊谷市大字熊谷2439
昭34〜39> 鯨井乳業/同上
昭40〜56> 鯨井乳業(有)/埼玉県熊谷市宮前町1-84
昭58> 松坂屋建材が資本参加、工場移転、くじらい乳業(株)へ改組・改称
昭59〜平13> くじらい乳業(株)/埼玉県熊谷市大字万吉3040
平15> 乳業施設再編合理化に応じ、市乳処理を西武酪農乳業へ移管
平26> 日本キャンパックが全事業を買収
平28> 埼玉県行田市に行田工場を落成・移転

電話帳掲載> 同上/埼玉県行田市富士見町1-5-3
公式サイト> https://www.kujirai.co.jp/

処理業者名と所在地は、牛乳新聞社 [大日本牛乳史]・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成28年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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