郡部と周辺市域に商われた、往年のローカル銘柄。生産量は県下中堅規模、乳製品に加えジュース類も売り出し、一帯では名の通ったブランドだった。昭和49年前後に製造より撤退。以降は四国乳業(らくれん牛乳)ほか各社のベンダーに転換も、平成期には完全廃業されている。
沿革不詳ながら、明治37年の広告に早島町前潟・寺山喜次郎氏のお名前が見え、さらに同43年の溝手家出納簿に「寺山和三郎牛乳店」へ代金支払いの記録も残る。郡下に搾乳業者が増えたのは日露戦争後。発祥はその頃かも知れない。
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画像上:都窪郡・児島郡の牛乳屋さん連名の広告ビラ(明治37年)…[早島の歴史2(通史編・下)]より。早島町大字前潟・寺山喜次郎氏が載っている。いっぽう[都窪郡治誌]によると、町内の先駆は「下村搾乳場」らしいが、この広告には無い。 |
◆らくれん牛乳販売店として
病院の売店に飲み物を卸す業者さん・名物おしどり夫婦―岡山で医療・介護事業を行う創和会の広報誌「はぁもにぃ」(2003年11月号)に、寺山氏ご夫妻のインタビュー記事が掲載されており、晩年の業態が良く分かった。
牛乳は宅配や学校給食向けに仕入れを続けているが、若い人はスーパーで買うため出荷はかなり減り、昔馴染みの得意先が中心。売れ筋は売店と自販機のお茶で、「十六茶」「生茶」が多い…など、様変わりしたご商売の現況に触れている。
寺山乳業は「らくれん寺山営業所」「らくれん牛乳倉敷営業所」の看板で長く販社を営んだのち、平成17〜18年頃、完全に店仕舞い、廃業へ至った。
◆新旧6世代の瓶装
かつて用いられた自社ブランドの印刷瓶は、昭和20年代後期〜40年代中期までの、ひと通りの世代を確保。デザインや標示内容の変遷を辿ることができ、興味深い。
細身細口・王冠栓仕様の(1)番瓶は、ウルトラプロセスを遥かに超える「115℃-15分殺菌」。瓶詰め牛乳を丸ごと蒸気釜に入れ、加熱殺菌する古い方式。必然的に高温度・長時間となる。昭和30年代初期まで、主に鉄道・駅売りに残ったタイプだ。
宣伝欄の挨拶や「一歩進んだ」の口上書きに時代を感じる(2)(3)番が、最初期の広口(ドイツ型中口)印刷瓶。(4)番で有限会社化、同時代の紙栓には「80℃15分間殺菌」との標示。つまり「高速度低温殺菌」はHTLT採用の意で、現今の中温殺菌に該当する。
株式会社へ改組した(5)番以降は殺菌温度に係る記載なし。業界の主流になったUHT(超高温瞬間殺菌)には、たぶん追随しなかっただろうと思う。
◆岡山県牛乳処理協同組合
(6)番瓶に登場する「岡山県牛乳処理協同組合」(K乳)は、県下複数の中小メーカーが昭和41年頃に設立した業界団体。合理化を求める政府の酪農政策に応じ、加盟各社の原料乳調達を一本化したものらしい。
メンバーは本項の寺山牛乳さんと、梶原牛乳(岡山市)、はりの牛乳(西大寺市)、浜田牛乳(倉敷市)、沼本牛乳(吉備郡)さんなど多数。各社とも“K乳”マークを瓶にあしらった時期がある。ただ組合は役割を終え、平成期に解散済みと見られる。
(7)番の八角瓶が販社転換の直前、最終世代。ローマ字筆記体への変更で、だいぶ印象が違う。長く残った“HOMOGE”(ホモジナイズ)標示も消えた。この瓶は白牛乳200cc移行後の、色物専用と思しき風情もあるのだが、参考までに掲載する。
― 関連情報 ―
寺山牛乳の紙栓 / 同・宅配受箱(1)
/ 同・(2) / 同・(3)
Hi-C瓶発見 / 寺山ドリンク瓶里還り
(ジャンボフェニックス)
同・紙栓
(牛乳キャップ収集家の活動ブログ) / 同・宅配受箱
(むにゅ’s のぉと)