高温vs低温・牛乳の殺菌温度をめぐる紛争


警告
牛乳の殺菌温度を巡る討議は、長らく紛争状態にあります。逃げ道的な一般論(牛乳だけ飲んでも駄目、食生活は全体で考えよう!)は醸成されつつありますが、いずれにせよ民間人には危険をともなう話題です。危急の関心がない限り、渡航は延期してください。


<概要>

個々人の味覚嗜好と食生活への問題意識、科学研究、酪農乳業史、地域産業のあり方、大規模生産の是非、完全食品神話の否定、有害論…古来延々と応酬が続く恐ろしいテーマ。

既存技術・既成事実と、相反する理念・理想、諸外国の趨勢をも包含し、各者対立が鮮明でありながら、どの層も一枚岩でないバトルロワイヤルの世界だ。

前提知識として必要な均質化の関連用語“ホモ(ジナイズ)・ノンホモ”については、別項の掲載「いいこと思いついた。お前、牛乳の脂肪球を粉砕しろ」―ホモ牛乳の話ご参照。

<現在の勢力分布>

大別して6派閥の存在を確認できる。しかしながら、圧倒的多数を占める[ウルトラ・プロセス大連合]が市場の約90%を占拠。レジスタンス最大派閥[パスチャライズド信奉者]のシェアは、穏健派・過激派を含めて8パーセントに満たない。

全国の原乳処理量/殺菌温度別(平成15年) 全国の原乳処理量/殺菌温度別(平成15年)

ウルトラ・プロセス大連合
種別: UHT方式・120℃〜135℃・1〜3秒間(超高温瞬間殺菌)・ホモジナイズ
勢力: ほとんど大半のメーカーと、普通の消費者

大連合に属する消費者は、そもそも知らない・考えたことのない層、薄っすら知っているが
どうでも良い層、慣れ親しんだ高温の風味を意識的に選択した層…に分割される。


パスチャライズド信奉者A <パス乳穏健派>
種別: HTST方式・72℃〜78℃・15秒間(高温短時間殺菌)・ホモ/ノンホモ問わず
         HTLT方式・75℃・15分間(高温保持殺菌)・ホモ/ノンホモ問わず
勢力: 比較的多数のメーカーと、生協系こだわり消費者

パスチャライズド信奉者B <パス乳過激派>
種別: LTLT方式・65℃〜68℃・30分間(低温保持殺菌)・ノンホモ寄り
勢力: 少数の情熱的なメーカーと、インテリ系消費者

パスチャライズド(開祖・パスツールに由来)派閥は、「低温殺菌」としてで括られることが多く、
「欧米は低温が主流」の誤解を招いた。正式な処理名の通り、HTST/HTLTを低温とは呼べない。


ロングライフ愛好者の会
種別: UHT滅菌方式・135度〜150度・1〜3秒間殺菌・ホモジナイズ
勢力: 極少数のメーカーと、常温・長期保存可能に惹かれた消費者

どっちつかずで意外と高温派
種別: HTLT方式高め・80℃〜85℃・15〜30分間殺菌・ホモジナイズ寄り
勢力: 少数のメーカーと、その販路に住んでいる消費者

HTST/HTLT/LTLT方式による殺菌は、UHTとの兼ね合いで「中温殺菌」と言うことがある。

生乳原理主義者の集い
種別: 非加熱・無殺菌・ノンホモ(特別牛乳)
勢力: 極めて少数の理念的なメーカーと、極めて少数の消費者

<この紛争の背景>

この紛争の背景には、多数の利害関係人と、多数の視点・論点が交錯している。

乳業の視点では…超高温瞬間は大量生産に都合が良い。UHT牛乳の味は、ずっと消費者の舌に馴染んできた。多大な設備投資も行っている。いっぽう低温殺菌を採用するメーカーは、大手・普及品に対抗し得る、付加価値を提示できる。

酪農家の視点では…搾乳全量を高い値段で卸したい。消費拡大を期待。主流のホルスタインは大量生産に適した乳牛だ。しかし需要減退・廉売定着に晒され、酪農は暗雲立ち込める。高付加価値原乳の生産(直売)にシフトする例もある。

消費者の視点では…生産コストの低い牛乳は、安く買うことができる。逆に、手間のかかる低温殺菌や情熱的な酪農家の牛乳は、相対的に高い値段を我慢せざるを得ない。

風味について…「UHT牛乳のコクは加熱臭。低温が本来の風味」の主張に同調者が少なくない。一方で「超高温のほうが、ミルク臭・甘味・脂肪感・コクが強い」とするレポートがある。ただし現状は無関心が遥かに多く、むしろ加熱臭を好む人も存在する。

技術・環境面について…「UHTは、生産流通が不衛生だった昭和30年代を凌ぐ技術。今や不要な手段」との指摘がある。雪印の事件を引き合いに「UHTでも食中毒は起こる」「大規模生産の弊害。牛乳は地産地消すべき」と、大資本を糾弾の向きも。

化学的には…超高温殺菌は「栄養素を破壊」「消化吸収されにくい」「善玉乳酸菌まで死ぬ」といった主張があるが、大して変わらない、基本同じと反論される。

海外(欧米)では…「低温殺菌牛乳が主流」論に対し、「高温短時間殺菌方式を低温に含める誤った解釈。欧米ではHTSTとロングライフ牛乳が主流」と指摘される。

歴史的には…日本の畜産(酪農)振興は、アメリカ追随の現代栄養学路線。占領軍の食糧政策が源流。官民一体の牛乳消費促進キャンペーンが牛乳神話を醸成した、との見方がある。大規模化を常にフォローしてきた側面もあろう。

<もう牛乳は飲まない!>

迷走する一連の情報に触れ、そう思っても無理はない。というか、既にして牛乳は飲まれなくなってきている。国内生乳生産も平成8年度をピークに減少の一途だ。

漂流乳業では、様々な時代に様々な意見が存在した概況をお伝えするに留め、各真偽の判断・正確なデータの入手等は、丸投げお任せとしたく思います。

<低温殺菌が理想の世界?>

ところで仮に、「本来の姿により近い」低温殺菌が一般的になっても、業界勢力図が大きく変わることはないはずだ。いま、UHTに対し高品質なイメージのある「低温殺菌牛乳」は、単に低温殺菌である以上の付加価値を得ている。

もし、明治や森永、メグミルクが低温殺菌を当たり前に売り始めたら、こだわりの中小メーカーは、明瞭な特質を失いかねない。むしろ集約が加速してしまいそうだ。



漂流乳業