大正5年、大阪市生野区の牧場で搾乳販売を始めて以来、100年余の歴史を刻む、いかるが牛乳の元祖。現在地・平野区への移転は昭和20年。10kmほど離れた湾岸の住之江区には、同様に「いかるが」銘を商う、親戚筋の(株)いかるが牛乳が並存する。
両社の創業年次を比較すると、本項のいかるが乳業(株)がより古く、また掲載瓶の通り、かつては鵤牧場本店の名乗りで、こちらが本家筋だ。
それぞれ独立した別会社だが、昭和30〜40年代に至って両社社長が同じ時期(鵤謙之祐氏)はあり、全く無縁とも言い難い。ただ近年、事業上密接な繋がりはなく、平成28年に本項乳業は他社へ経営譲渡(後述)、完全に道が分かれた。
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画像上:鵤牧場本店のちらし(昭和20年代)…最優秀市乳・模範工場・府下最大・最古の歴史、雄大な宣伝文が並ぶ。住所は現在地の旧称「中河内郡加美村福井戸町」。もとは京阪牛乳の拠点、戦時疎開で遊休地になった所。戦後に鵤牧場が賃借移転、のち譲り受けた。 |
◆ふたつの「いかるが」・権利関係は
同一ブランド「いかるが」を掲げて相互営業となると、商標登録はどうなるのか。概況を商標検索〜特許電子図書館で牛乳探しにまとめた。やはり本店の登録が圧倒的、上掲の瓶に見られる3つの円形ロゴを含め、遺漏なくあれこれ網羅されている。
牛乳瓶に標示のロゴに対してRマーク(登録商標)の添付明記は珍しく、他社類例は極端に少ない。同銘展開の相手方を意識した結果?かも知れない。
◆掲載瓶・現行の瓶製品などについて
本家の古瓶はあまり出て来ず、当時のラインナップ不詳ながら、(1)番の四角瓶は加工乳(デラックス)向けだったろうと思う。公式サイトの取扱商品一覧は紙パックのみ。他社アイテムの取り次ぎも多く、食品全般の卸し問屋さんという趣だ。
乳業探訪記さんの記事によれば、白牛乳ビン詰めは継続中(平成23年時点)とのこと、宅配や学校給食に限っての供給らしい。
価格面で大手に対抗し得ず、量販店出荷を抑制の傍ら、病院・老人保養施設への売り込みに注力。顧客は関西ほぼ全域に広がった。さらに下記の経営母体変更によって、平成30年には海外進出(インド現地子会社・Samurai Dairyの発足)も果たしている。
◆経営主体は昭和化工さんに移行
平成28年、吹田市に本社を置く工業薬品・化成品メーカーの昭和化工(株)が株式の大半を譲受、いかるが乳業(株)は同社傘下に入り、新しい一歩を踏み出す。創業家社長だった鵤氏は取締役に再任され、当面は引き続き事業に携わる。
老舗乳業の経営交代も増えてきた。かつては同業者の買収が大半だが、昨今は隣接業界・異業種の参入も活発。くじらい乳業(埼玉)、チチヤス(広島)、オーム乳業(福岡)、九州乳業(大分)、弘乳舎(熊本)ほか、量販店のPB工場へ転換の例もある。
― 謝辞 ―
宝蔵様より鵤牧場本店の家庭向け広告(ちらし)の画像をお寄せ頂きました。
― 参考情報 ―
温度・品質管理を徹底「価格競争に巻き込まれない」
(物流ウィークリー)
いかるが乳業の紙栓
(牛乳キャップとは) / 同・紙栓
(牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
いかるが乳業
(乳業探訪記) / 同・紙パック製品
(愛しの牛乳パック)