いかるが牛乳 (1)いかるが牛乳 (1)

(記事下段)

いかるが牛乳 (1)

鵤牧場牛乳処理(株)⇒(株)いかるが牛乳
大阪府大阪市生野区北生野町3-27
大和硝子製・市乳180ml底面陰刻
昭和30年代初期

いかるが牛乳 (2)いかるが牛乳 (2) いかるが牛乳 (3)いかるが牛乳 (3)
いかるが牛乳 (2)

鵤牧場牛乳処理(株)⇒(株)いかるが牛乳
大阪府大阪市生野区北生野町3-27
大和硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期〜40年代初期
いかるが牛乳 (3)

鵤牧場牛乳処理(株)⇒(株)いかるが牛乳
大阪府大阪市生野区北生野町3-27
広島硝子工業製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期〜40年代初期

いかるが牛乳 (4)いかるが牛乳 (4) いかるが牛乳 (5)いかるが牛乳 (5)
いかるが牛乳 (4)

鵤牧場牛乳処理(株)⇒(株)いかるが牛乳
大阪府大阪市生野区北生野町3-27
大和硝子製・180ml底面陰刻
昭和30年代中期〜後期
いかるが牛乳 (5)

鵤牧場牛乳処理(株)⇒(株)いかるが牛乳
大阪府大阪市生野区北生野町3-27
大和硝子製・正180ml側面陽刻
昭和30年代後期〜40年代中期

いかるが牛乳 (6)いかるが牛乳 (6)
真鍮製の容器印刷用原版/湾曲金型(昭和40年代)

画像上:真鍮製の容器印刷用原版/湾曲金型(昭和40年代)…牛乳瓶を抱く「かるちゃん」は(4)番のイラストに近いが、造形の細部は異なる。後述のポリ容器向け?かも知れない。
いかるが牛乳 (6)

鵤牧場牛乳処理(株)⇒(株)いかるが牛乳
大阪府大阪市生野区北生野町3-27
大和硝子製・正180ml側面陽刻
昭和40年代中期〜50年代?

いかるが牛乳 (7)いかるが牛乳 (7) いかるが牛乳 (8)いかるが牛乳 (8)
いかるが牛乳 (7)

鵤牧場牛乳処理(株)⇒(株)いかるが牛乳
大阪府大阪市生野区北生野町3-27
広島硝子工業製・正180cc側面陽刻
昭和30年代後期〜43年頃
いかるが牛乳 (8)

鵤牧場牛乳処理(株)⇒(株)いかるが牛乳
大阪府大阪市生野区生野西3-4-9
日本硝子製・正200cc側面陽刻
200cc移行後〜昭和50年代

TwitterFacebookこの牛乳屋さんの記事を共有

大正末期の「鵤牧場」発足以来、ご当地に永い歴史を刻む現役メーカーさん。会社法人の設立は戦後の昭和25年、市乳処理・販売部門である鵤牧場牛乳処理(株)として。平成3年に現社名、(株)いかるが牛乳へ改称した。

創始・経営一族の苗字、難読珍名の“鵤(いかるが)”ロゴは、お蔵入りして既に久しい。ビン製品は主に無地の菊型飾り瓶、独自開発のプラ栓(Iキャップ)・シュリンク包装へ移行済み。

昭和48年に島根県・安来市酪農農協(やすぎ牛乳)さんと合資協業、安来乳業(株)を別途新設。一部アイテムについて製造委託の体制を敷いたが、こちらは平成31年3月末、売上低迷と生産コスト上昇、後継者不足を理由に廃業されている。

◆2系譜の「いかるが牛乳」

いっぽう大阪市平野区には、同じく「鵤牧場」発祥で同一銘柄「いかるが牛乳」を商う、本家筋のいかるが乳業(株)さんが健在。同社は昭和30年に(株)鵤牧場本店を設立、その後現社名に改称。社長はやっぱり“鵤さん”だった(平成28年まで)。

鵤牧場牛乳処理・いかるが牛乳のTVコマーシャル(昭和50年代)鵤牧場牛乳処理・いかるが牛乳のTVコマーシャル(昭和50年代)
画像上:鵤牧場牛乳処理・いかるが牛乳のTVコマーシャル(昭和50年代)
Youtube(1978-1988 関西ローカルCM集Vol.1)より。人気者のカルちゃんが、ちびっ子に追いかけられる様子を描くアニメCM。「♪やっぱり いかるが いかるが牛乳」のジングルが印象に残る。

両社は同根・親戚関係にあって紛らわしいが、今はそれぞれ独立した別企業。掲載瓶は「二重丸に鵤」のロゴマークと、マスコットキャラクター「かるちゃん」の存在から、(株)いかるが牛乳が鵤牧場牛乳処理(株)時代に使っていたもので間違いない。

そこで気になる“いかるが”絡みの商標登録状況を、商標検索〜特許電子図書館で牛乳探しにまとめた。本家筋は「鵤」の字を単円で囲んだ図版を登録・使用しており、二重丸はない。過去の牛乳キャップの標示にも、同様の違いを確認できる。

◆ポリエチレン容器採用の草分け

飲み物は瓶入りが当たり前の時代、市乳向けプラ容器を開発・採用した先駆は本稿のいかるが牛乳さん。まだ紙パックすら市場に定着していない、昭和46年の話だ。(⇒新たな発想で牛乳容器工夫・改良の歴史“いかるが牛乳”/愛しの牛乳パック)

きっかけは製造ラインの自動化で量産態勢が整うに従い、ビン詰め特有のクレームが急増したこと。日々何万本と出荷する状況下、洗浄不良に割れ・欠け、キズ瓶、紙栓の漏れなど、当時の機械では完全な対応が難しかったようだ。

◆ポリ容器は大好評も瓶へ回帰

紙パックは浸透中の段階で、中身が見えない・開けにくい・飲みにくい…と、消費者の反応は必ずしも良くなかった。ならば樹脂ではどうか。昭和43年、ヤクルトはガラス瓶を廃止、プラスチック容器に転換成功の業界前例がヒントになる。

東海牛乳(株)(岐阜県安八郡)のプラ容器商品(昭和50年代初期)東海牛乳(株)(岐阜県安八郡)のプラ容器商品(昭和50年代初期)
画像上:東海牛乳(株)(岐阜県安八郡)のプラ容器商品(昭和50年代初期)
Youtube(1977-1991 東海ローカルCM集)より。「ストロー、コップはもう必要ありません」とのナレーション。会社沿革によると昭和49年の新発売、いかるが牛乳に追随・導入したものだろう。

アルミ箔で密栓、大きなヤクルト風の200cc容器を作り、宅配へ導入すると大好評、一躍ヒット商品に。しかし表面印字が剥げ易く見栄えはいまいち、さらにオイルショックでプラ原料が高騰、結局は瓶に回帰する。こうした容器を使う牛乳工場は、現在皆無と思う。

◆掲載びん8本について

六角瓶1本、丸瓶4本、四角瓶3本の計8種。形状・デザイン・かるちゃんの姿も様々で、流通時に何が詰まっていたのか判然としない。特に角瓶の3本は栄養強化系の加工乳(デラックス/特濃)専用かな…と想像するが、参考までに全部掲載した。

昭和35年の設備更改で、ビンを四角瓶と丸瓶に統一、商品種別はナイロンフードの色分けで対応するようになった経緯がある。六角(1)番瓶は最初期に近い印刷瓶装だろう。

(3)番瓶は「お好みの調子にパンがやける!」トースターの広告入り。コック帽を被ったナショナル坊や登場の一本。異業種広告瓶はこの他にも、秋田・雄平牛乳(銀行)や福岡・八女牛乳(醤油)、筑後牛乳(清酒)、熊本・氷川酪農(デパート)などの例がある。

― 参考情報 ―
いがるが牛乳の紙栓(1) / 同・(2) (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
同・紙栓 (牛乳キャップとは) / 同・ノベルティーコップ (牛乳グラス☆コレクション)
かるちゃんの看板 (ポケットには薄荷飴) / 同・宅配受箱 (むにゅ’s のぉと)
牛乳と乳業、どっち本家? / 昭和なプラ看板91 (大阪 アホげな小発見。とか)
秘密のケンミン飲み物(地域限定) (まりこのブログ)


本家いかるが乳業(株)さんの創業は大正5年。公式サイトでは同13年に「第2、第3、第4牧場を順次開設」とある。こうした増設牧場の一部が独立し、本稿のいかるが牛乳(株)さんが生まれたのだろうか?

昭和30〜40年代の社長は浅井萬平氏。大正10年に本家で働き始め、戦後の鵤牧場牛乳処理(株)設立時に社長へ就任されている。のち大阪牛乳処理協会や大阪府畜産協議会など、各業界団体の要職も務めた人物だ。本項会社はオーナー鵤家、当初社長を古参の浅井氏が務めた形だったようである。


創業> 大正12年、鵤牧場として
設立> 昭和25年、鵤牧場牛乳処理(株)として
昭31〜47> 鵤牧場牛乳処理(株)・浅井万平/大阪府大阪市生野区北生野町3-27
昭48〜53> 同上/大阪府大阪市生野区生野西3-4-9
昭55> 工場を現在地に移転
昭56〜平01> 同上/大阪府大阪市住之江区新北島4-4-12
平03> (株)いかるが牛乳へ改称
平04〜13> (株)いかるが牛乳/同上
電話帳掲載> 同上
公式サイト> http://www.ikarugamilk.co.jp/

処理業者名と所在地は、全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成19年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



漂流乳業