京阪牛乳京阪牛乳

(記事下段)

京阪牛乳

京阪牛乳(株)
大阪府寝屋川市宝町10-4
日本硝子製・正200cc側面陽刻
200cc移行後〜昭和50年代

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地元では誰もが知るお馴染み、鳩のマークの京阪牛乳。明治末期、島田牧場の発足来100年を超す老舗だが、雪印食中毒事件の煽りを受け、平成12年に牛乳製造より撤退、独自銘柄は消滅。以降は多角経営のベンダーさんとして、なお盛業だ。

掲載は昭和40〜50年代に流通と思しき一本。後継にあたる最晩年の200cc瓶装(10℃以下併記)が、ぽんげ乳業さんに載っている。同様デザインながら少し垢抜けた鳩マーク、“反”の字形中心をハート模様にアレンジするなど、微妙な変化を確認できる。

◆市乳処理の中止と現業について

雪印の集団食中毒は、業界全体に様々な影響を及ぼした。とはいえ、自社に何ら瑕疵のないメーカーが、それを起因に生産を止めた例は珍しい。

京阪牛乳さんの場合、販売先の不適切な保管で劣化した製品を、雪印と同じ文脈の不良品発生・製造停止のように報じられ大ダメージを喰らい、自家処理を断念の格好だった。公式サイトには「牛乳以外の事ならお任せ下さい」と洒落たキャッチが踊る。

現在、病院内の売店・自販機・TVレンタルのほか、ビル管理、トラックステーション、奈良県には林業を展開。かねて経営転換を志向し、スーパーや宅配向けの出荷を減らす方針を採っていた。新分野開拓の成果が、工場を閉じる決断を可能にしたのだろう。

会社概要 / ミュージアム (京阪牛乳公式サイト)

◆韓国・李明博大統領の出生地

平成19年、圧倒的大差で当選、第17代大統領に就任した李明博氏。その生まれが昔の京阪牛乳(島田牧場)だったと日韓マスコミが取り上げ、一時期話題になった。

日本の牧場で生まれた李明博大統領…その(1) / 同・その(2)
李明博大統領の父、チュンウさんの写真発見 (「中央日報」日本語版)

李元大統領の父親は、昭和4年から20年まで日本に在住、その間ずっと島田牧場で働いた。明博氏の誕生は昭和16年。中河内郡加美村(現・平野区加美南)の牧場に隣接する社宅内でのこと。戦後、李氏一家は韓国へ戻り、今に至るという話だ。

島田牧場は昭和19年に現在地・寝屋川に疎開。加美村の敷地は20年、同業の鵤牧場本店(いかるが乳業)へ賃借し、30年に全部を譲渡。いかるが乳業の本社・工場として現役の拠点であり、思わぬ過去史の繋がりが面白いところだ。

― 関連情報 ―
京阪牛乳の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ) / 同・紙栓 (牛乳キャップとは)
同・ノベルティーコップ (牛乳グラス☆コレクション) / 同・宅配受箱 (むにゅ’s のぉと)
京阪牛乳でみな元気っ (大阪 アホげな小発見。とか)


創業> 明治40年、島田牧場として
昭09> 島田吉次郎/大阪府大阪市住吉区松田町2-9
           同上/大阪府大阪市住吉区旭町2-106 ※販売所
昭10> 業容拡大を受け、中河内郡加美村福井戸町に拠点を新設
昭19> 戦時の強制疎開により寝屋川市へ移転

             ※同年、戦局悪化で一旦廃業、戦後の22年に事業を再開
設立> 昭和25年、京阪牛乳(株)として
昭31> 京阪牛乳(株)・島田文雄/大阪府寝屋川市対馬江214
昭34〜44> 京阪牛乳(株)/同上
昭46〜平04> 同上/大阪府寝屋川市宝町10-4
平12> 雪印食中毒事件の煽りで、市乳処理事業から撤退
電話帳掲載> 同上
自家処理撤退・独自銘柄廃止> 平成12年
公式サイト> http://keihan.info/

処理業者名と所在地は、牛乳新聞社「大日本牛乳史」・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成19年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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