アサヒ牛乳 (1)アサヒ牛乳 (1) アサヒ牛乳 (2)アサヒ牛乳 (2)
アサヒ牛乳 (1)

磯田牧場(葉鹿酪農業協同組合)
栃木県足利郡坂西町葉鹿町69
新東洋硝子製・180cc底面陽刻
昭和30年代初期
アサヒ牛乳 (2)

磯田牧場(葉鹿酪農業協同組合)
栃木県足利郡坂西町葉鹿町69
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期〜後期

アサヒ牛乳 (3)アサヒ牛乳 (3) アサヒ牛乳 (4)アサヒ牛乳 (4)
アサヒ牛乳 (3)

磯田乳業(有)
栃木県足利市葉鹿町69-1
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和40〜43年頃
アサヒ牛乳 (4)

磯田乳業(有)
栃木県足利市葉鹿町69-1
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和44年頃

アサヒ牛乳 (5)アサヒ牛乳 (5) アサヒ牛乳 (6)アサヒ牛乳 (6)
アサヒ牛乳 (5)

磯田乳業(有)
栃木県足利市葉鹿町69-1
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和40〜43年頃
アサヒ牛乳 (6)

磯田乳業(有)
栃木県足利市葉鹿町69-1
日本硝子製・正200cc側面陽刻
200cc移行後〜昭和50年代

大正初年の創業以来、市域・郡部に長く商われた、足利の老舗。戦時に同業者組合、戦後は酪農協の運営を経て、昭和40年に磯田乳業(有)を設立。自家処理は廃止されて久しいが、委託製造でブランドは存続しているようだ。

◆足利市郡における搾乳業の起こり

足利エリアの牛乳屋さん勃興は明治末〜大正初期の頃。市街地を囲む農村に小さな牧場がいくつか出来、併設の簡易工場で殺菌瓶詰め、自転車やリヤカーに積んで移動販売を行った。本項の磯田牧場さんも、まさにこの時代の発起だ。

昭和初期には山辺村に浅沼、石川、安発氏の各牧場と、毛野村に高田牧場が現れ、昭和12年の支那事変(日中戦争)まで各々自由営業を謳歌、それなりの活況を呈する。

しかし徐々に餌不足が深刻化。農業的なバックグラウンドを持たない搾乳業者は飼育に困り、自給飼料を確保しやすい農村部へ牛飼いの営みが波及したという。

◆足利牛乳共同処理場の開設

時局は進み、様々な統制が敷かれる。太平洋戦争に突入した昭和16年、ついに各業者さん単体では継続不能に。磯田牧場さんを含む足利市郡の約10軒は「協同組合・足利牛乳共同処理場」を発足、協業体制に移行した。

組合は統一銘柄「足利牛乳」を策定。原料乳確保・余剰乳のバター加工を浅沼牧場さん、処理工場を安発牧場と大山牧場(大山牛乳)さん、経理事務を村岡牧場さんが主任として引き受け、以降しばらく一日1万本強の配給を手掛けた。

◆葉鹿酪農業協同組合の結成

戦後も共同処理・共販の枠組みを維持、協同組合の運用を継続。物資欠乏と人員不足で青色吐息だった足利牛乳も、農村部の酪農が復活・成長するにともない息を吹き返す。

ところが昭和23年、生乳生産・市乳供給過剰の折、製造・販売面を担う組合(業者連合)と、そこに原料乳を納める酪農家が対立。両者一歩も譲らず乳価・営業体制について議論は紛糾し、新たな組織作りの気運が高じていく。

昭和24年、業者・農民全員参加で商売に臨む方針を確認。ここに葉鹿酪農業協同組合が誕生したらしい。同じ頃、足利市農協や足利市毛野酪農協(両毛牛乳)も成立、それぞれが飲用乳を手掛け、市郡の酪農は3系統分立の時を迎える。

◆アサヒ牛乳の展開と磯田乳業の設立

葉鹿酪農協は磯田牧場さん方に工場を据え操業開始も、前後して旧足利牛乳組合のメンバーは次々に独立、各自ミルクプラントを再興(※)、個人営業に戻った。

※昭和30年代に大半は転廃業。平成期にお名前が残るのは森永牛乳販売店として村岡乳業(株)さん、名糖牛乳販売店として(有)共農舎牛乳店さんの2軒のみ。

銘柄の遷移は不詳。上掲(1)〜(3)番瓶は葉鹿酪農協の運営期にあたるが、農協ブランドではなく「アサヒ牛乳・磯田牧場」を標示。昭和40年、葉鹿酪農協の解散?を受け、磯田氏は磯田乳業(有)を設立。アサヒ銘を継続展開する。

当地に健在ながら、平成12〜13年度の乳業施設再編合理化に応じて自家処理より撤退。「アサヒ牛乳」の製造は栃木乳業さんへ委託、その後は販売に専念(現況不明)。県下では同時に古谷牛乳さんも合理化対象となり、同様の経過を辿った。

◆典型的な牛乳瓶の変遷事例

大手メーカーに比べて流通量・販売地域が限られるローカル乳業さんのビンが、ひと通りの世代ぜんぶ揃うことは珍しい。滅多にない嬉しい残存例だ。

六角瓶から丸瓶への変更、ホモゲナイズド(均質処理)陳腐化による表記削除、会社法人化、[表示公正規約]対応で“牛乳”や“MILK”の文字が無くなる様子、「要冷蔵」の追加、200cc増量に至るまで、典型的な牛乳瓶の変遷を見て取れる。

― 参考情報 ―
磯田牧場の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
同・紙栓 (牛乳キャップとは) / 磯田乳業の情報 (ごった煮)


創業> 大正3年、磯田牧場として
昭09> 磯田喜一/栃木県足利郡葉鹿町
昭16> 磯田牛乳殺菌壜詰工場・磯田藤一郎/栃木県足利郡葉鹿町69
             ※同年、協同組合足利牛乳共同処理場が発足、銘は「足利牛乳」に統一される
昭24頃> 葉鹿酪農業協同組合が設立される
昭30> 葉鹿町は周辺町村と合併して坂西町となる

昭31> 葉鹿酪農協・大塚知蔵/栃木県足利郡坂西町葉鹿町69
昭34〜36> 葉鹿酪農協/同上
昭37> 坂西町は足利市に編入される
昭39〜40> 同上/栃木県足利市葉鹿町69
昭40> 磯田乳業(有)を設立 ※葉鹿酪農協は解散?
昭41〜42> 磯田藤一郎/同上
昭43〜60> 磯田乳業(有)/同上
昭61〜平13> 同上/栃木県足利市葉鹿町69-1
電話帳掲載> 同上
自家処理撤退> 平成13年、乳業施設再編合理化による
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、牛乳新聞社「大日本牛乳史」・[全国工場通覧]・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成19年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



漂流乳業