昭和初期から約40年間に渡り、市域・郡部に商われたローカル銘柄。ビン単体では身元を割り出せず、昭和30年代の「大山牛乳」紙栓(※)を見て、ようやく事業者を確定できた。※画像は「牛乳キャップ昭和時代」さん(サイト閉鎖)に掲載されていた。
キャップには“大山牛乳処理場・栃木県足利市栄町2丁目”の標示。古い名簿資料を辿ると、森田由太郎氏・個人名義のミルクプラントに行き当たる。付近に類似の地名はなく、「大山」の由来は謎。創始経営が大山姓の人物だったのだろうか?
◆過去の協業と掲載瓶について
掲載は同じく足利市内の磯田乳業(アサヒ牛乳)さん方に、箱単位で大量に残っていた廃瓶。森田氏は自家処理をやめた後、同社(当時は葉鹿酪農協)へ製造を委託した時期があり、それがそのまま放置されたのかも知れない。
一帯の同業者は戦時に「協同組合 足利牛乳共同処理場」を結成。昭和20年代中期まで統一ブランド採用のうえ、協業・共販体制を敷いている。大山、磯田の両牧場も組合に参画しており、もともとご商売上の繋がりはあったはずだ。