135ccヨーグルト瓶 135ccヨーグルト瓶 - ハトヨーグルト系列とその亜流

ハトヨーグルト (1)ハトヨーグルト (1)              ハトヨーグルト (2)             鮫島ヨーグルト鮫島ヨーグルト
ハトヨーグルト (1) (2) / 鮫島ヨーグルト

ハトヨーグルト直売所
愛媛県今治市港町1
日本耐酸壜工業製
135cc底面陰刻

大宮乳酸菌研究所
宮崎県宮崎市堀川町181
大和硝子製
135ml底面陰刻

鮫島ヨーグルト
鹿児島県加世田市小松原
石塚硝子製
135cc底面陰刻

ハトヨーグルト (亜-1)   ハトヨーグルト (亜-2)ハトヨーグルト (亜-2)   ピースヨーグルト (1)   ピースヨーグルト (2)ピースヨーグルト (2)
ハトヨーグルト (亜-1) (亜-2) / ピースヨーグルト (1) (2)

越智ヨーグルト
愛媛県今治市神明町
石塚硝子製
135cc底面陰刻

ハトヨーグルト直賣所
愛媛県今治市大正通2
製瓶元不明
135ml底面陰刻

みつわ商会
愛媛県新居浜市若水町
日本硝子製
135cc底面陽刻

みつわ商会
愛媛県新居浜市若水町
日本硝子製
135cc底面陽刻

コバトヨーグルトコバトヨーグルト

<ハトヨーグルト系列とその亜流>(東洋醗酵乳)

四国を中心に近畿・九州へもボトラー(ビン詰め小売り業者)網を広げ、往時は西日本一帯で隆盛を極めた銘柄。

原液の主要な供給源は、今なお健在の東洋醗酵乳(株)(名古屋市緑区・昭和33年設立)。母体は後述する福岡の久留米化学研究所/アミトール(株)で、その業歴はさらに10数年遡る。

昭和40年に森永乳業と業務提携、平成11年には完全子会社化。森永ブランドの液状ヨーグルト製品の受託歴が長い。

乳酸菌飲料(ハトヨーグルトやアミトール)・清涼飲料水の原液卸売、大手メーカーのOEMに特化した企業だが、草創期から昭和50年代まで、自ら市販も手掛けたようだ。

コバトヨーグルト

(有)東海醗酵乳
静岡県磐田市見付3001-1
日本耐酸壜工業製
135cc底面陰刻

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◆掲載ビン8本について

掲載はハト人気に乗じた亜流?も含む8本。愛媛県下今治・新居浜市内のボトラーが大半を占める。上段が東洋発酵乳のブランド・マークをそのまま使った正規品。下段を海賊版と言うべきか…同一原液を利用しつつ、差別化のため敢えてデザインを変えたものなのか、良く分からない。

東洋醗酵乳の会社広告(昭和41年)東洋醗酵乳の会社広告(昭和46年)東洋醗酵乳の会社広告(昭和56年)
画像上:東洋醗酵乳の会社広告(左から昭和41年・46年・56年)…初期はアミトール(株)と東洋醗酵乳(株)の連名、のちアミトール社の名前は消滅。森永との提携が進んだ結果、自社ブランド後退の様子が見える。

ハトのマークは知名度抜群、そのイメージにあやかりたい業者さんは居ただろう。東海醗酵乳さんの「コバトヨーグルト」など、特に怪しい雰囲気だ(※)。とにかく作れば売れる人気商品、多数のプレイヤーが入り乱れた往時の活気を証する光景と思う。※同社製の純正ハトヨーグルトも存在する。後先は不詳。

◆ヤクトール・福岡応用菌学研究所

九州地方、特に沖縄の乳酸菌飲料市場に先鞭をつけたのは、「ヤクトール」ブランドを展開していた(株)福岡応用菌学研究所・アミノ酸ヤクトール(福岡県三猪郡筑邦町荒木)というメーカーだった。

創業当初のゲンキ乳業ほか数社が、研究所の原液/完成品を仕入れて代理店営業に臨んだため、各瓶装に同系を示す呼称・マークが散見される。

画像右:福岡応用菌学研究所のヤクトールの小瓶(昭和30年代初期)

福岡応用菌学研究所のヤクトールの小瓶(昭和30年代初期)福岡応用菌学研究所のヤクトールの小瓶(昭和30年代初期)

ゲンキ牛乳…「アミノ酸ヤクトール沖縄本舗」、「沖縄アミノ酸ヤクトール本舗」からの創業。
マルサン牛乳…草創期は「マルサン商会」に加え「沖縄応用菌学研究所」を併記。
・ラッキーヨーグルト…「沖縄乳業合資会社」に加え「琉球応用菌学研究所」を併記。
ゲンキ乳業 ヤクトール (沖縄発!にわかビンコレクター) / ヤクルト・ヤクトール (ビンの博物館)

間もなく製法全般を習得のうえ、自社工場で一貫生産が可能になると、各社は代理店を卒業。研究所のライセンスを得て、各々独自の製造販売に移行していった。

◆アミトール VS ヤクトール

東洋発酵乳のアミトール(ハトヨーグルト)と、福岡応用菌学研究所のヤクトール。名前・イラストロゴが酷似し、偶然とも思えない。何故そうなった?を窺い知れる同業者の争いが、[公正取引委員会年次報告 昭和35年度]の係争事例に紹介されていた。以下、その内容をまとめる。

久留米市のアミトール(株)は、アミノ酸を添加した乳酸菌飲料(アミトール)の製造販売会社。同社は、昭和30年12月、事業顧問の斉田義雄氏を解雇した。(氏は「斉田式速醸法」の考案者として、醤油醸造の資料にも散見)

解雇された斉田氏は(株)福岡応用菌学研究所を設立。昭和31年2月、アミノ酸入り乳酸菌飲料(ヤクトール)の製造販売を開始。アミトール(株)は対抗措置として、傘下販売店にアミトール類似品の取り扱い禁止を通知する。

違反した場合、アミトール社への違約金支払い・以後の原液供給中止を定め、実際に福岡応用菌学研究所との取引を試みた販売店を絶縁。さらに契約に反した販売店の近くに、別の直売所を設けると言って脅した。

という次第で、アミトール(株)(福岡県久留米市築島町)による自由競争の妨害行為を、恐らく斉田氏が告発し、今に残る記録となっている。アミトールは昭和34年、一切の違反行為を排除、契約を改めた。その後は同種の乳酸菌飲料が市場に百出、全体に自然な競争状態が生まれてくる。

公正取引委員会は、アミトール社が契約を改めたことに加え、市場競争激化で販売店の拘束はもはや不可能、本件違反行為は消滅した…と見做し、罰則適用を見送り・不問に付す。

◆ハトのマークの元祖はヤクトール?

全ての始まりは昭和21年、坂井末松氏が福岡に興した「久留米化学研究所」。この乳酸菌飲料メーカーが発展する形で同29年「アミノ酸ヤクトール」の創立に至り、翌年には法人化(株式会社)。すでにハトのマークも策定されていただろう。つまり、元祖はヤクトールのはずだ。

ところが商売が伸びるにつれ、社内に主導権争いを生じたらしい。上記係争の報告通り、昭和30年に「アミノ酸ヤクトール」(後のアミトール社)を放逐された斉田氏は、たぶん自身が権利を有する「ヤクトール」の名前を旗印に「福岡応用菌学研究所」を立ち上げ、古巣との勝負に挑む。

東洋醗酵乳の会社広告(昭和48年)

「アミノ酸ヤクトール」社(坂井氏)は同33年、「ヤクトール」呼称の継続利用を断念し?新商標「アミトール」を策定。社名もアミトール(株)と変更。いっぽう事業拡大を狙って名古屋に東洋醗酵乳(株)を新設。40年代中期に福岡の創業拠点を閉鎖。旧社の全業務を東洋側に併合と見られる。

画像左:東洋醗酵乳の会社広告(昭和48年)…壜詰めからプラスチック容器(65ml)に転換。自社ブランド直売の最終世代に近い。

◆ハトのマークは平和の象徴

関係各社の動きを要約すると、まず初めにヤクトールありき、内部分裂のひと悶着を経て福岡応用菌学とアミトールが生まれ、続けて後身かつ唯一の現役メーカー、東洋発酵乳さんが誕生、という流れだ。アミトール(株)の解散/廃業と同時期に、(株)福岡応用菌学研究所も無くなっている。

「ハトヨーグルト」の銘はアミトール(株)時代の新顔か。乳酸菌飲料はもちろん、生ジュースのラインナップもあった。イラストは足の爪・頭部のシルエットから推せば、鷲のように見える。しかしこれは「平和の象徴ハトの絵」だと、ヤクトールの関係者さんがメディアのインタビューに答えたことがあるそうだ。

― 謝辞 ―
福岡応用菌学研究所・沖縄の乳業の商品展開など、向名館(こうめいかん)・名護様よりご教授頂きました。

― 関連情報 ―
古いガラス瓶乳酸飲料アミトール覚えていますか? (今昔堂)
福岡・アミトール本社と中野義人(アミトール)の紙栓 / 滋賀・奥野春三(アミトール)の紙栓
愛媛・東洋発酵乳(大洲駅前)の紙栓 / 高知・アミトール窪川直売所の紙栓
鹿児島・ハトヨーグルト(末吉)の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
高知・福岡乳業(ハトヨーグルト)の紙栓 / 高知・池井牛乳店(ハトヨーグルト)の紙栓 (もぐら)


135cc瓶のもくじ ハトヨーグルト系列
(東洋発酵乳)
スタームヨーグルト系列
(日本乳酸研究所)
ビオールヨーグルト系列
(スタム栄養科学研究所)

ルナ・ヨーグルトン系列
(日本ルナ/ヨーグルトン乳業)
ソフトヨーグルト系列
(弘乳舎)
ビオグルト系列
(日本ビオグルト)
ビタヨーグルト系列
(日本栄養研究所)

サン/SPヨーグルト系列
(太陽化研/サンヨーグルト)
天洋グルト系列
(天洋社薬品工業)
デラックスヨーグルト系列
(日研乳業)
フジヨーグルト系列
(フジヨーグルト)

スーパーヨーグルト系列
(スーパーヨーグルト研究所)
系列不詳・独立系(1)
(乳業/乳酸菌飲料専業)
系列不詳・独立系(2)
(清涼飲料水/その他メーカー)
系列不詳・独立系(3)
(食品メーカー)

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