ゲンキ牛乳 (1)ゲンキ牛乳 (1)
(資)宮古ゲンキ乳業の電話帳広告(平成6年)

画像上:(資)宮古ゲンキ乳業の電話帳広告(平成6年)…沖縄本島のゲンキ乳業が森永と業務提携を結んだ後、独立経営となったゲンキ系列の一社。
ゲンキ牛乳 (1)

沖縄アミノ酸ヤクトール本舗⇒ゲンキ乳業
沖縄県那覇市繁多川石田原346
大和硝子製・正180ml側面陽刻
昭和35〜36年頃

ゲンキ牛乳 (2)ゲンキ牛乳 (2) ゲンキ牛乳 (3)ゲンキ牛乳 (3)
ゲンキ牛乳 (2)

(株)ゲンキ乳業⇒沖縄森永乳業(株)
沖縄県那覇市繁多川351-4
石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代後期
ゲンキ牛乳 (3)

(株)ゲンキ乳業⇒沖縄森永乳業(株)
沖縄県那覇市繁多川351-4
石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和40年代初期

昭和30年、沖縄アミノ酸ヤクトール本舗として創業。社名の通りヤクトールと呼ばれる乳酸菌飲料のみを商っていたが、市乳事業の本格化に伴い同37年、ゲンキ乳業へ改称した。「ビンの博物館」では発足間もないヤクトール時代からの歴代瓶が掲載されている。

往時の社名を残す(1)番瓶は、昭和35年のミルクプラント完成からゲンキ乳業へ転換するまでの約2年間のうち、最後に流通していた過渡期の一本。ゲンキ君(ゲンキ坊や)が初登場した瓶装である。後継(2)(3)番瓶は個人経営を脱し株式会社へ移行した38年以降の二世代だ。

沖縄本土復帰よりも早く、昭和45年には森永乳業と業務・資本提携を締結。沖縄森永乳業(株)を発足させ独自ブランドを廃止、現在に至る。

しかし今なお (資)宮古ゲンキ乳業 及び (株)八重山ゲンキ乳業 が各々健在、現行“ゲンキ”ブランドの牛乳瓶製品は前者より売り出されている。森永資本の流入を契機に各島にあった工場/牧場は独立・分社化、暖簾分けのような形で “ゲンキ軍団” の運営が続いたという顛末だ。

加えて平成6年、沖縄森永乳業も長らく封印してきた“ゲンキ”銘をパック製品で復刻登壇させたため、三社三様のゲンキ君が沖縄中を走り回ることになった。詳しい権利関係は不明だが、公式には互いに何の関係もない、独自のキャラクター・ブランドとして扱われているらしい。

沖縄森永は昭和57年に瓶装から完全撤退しており、本家による瓶詰めゲンキ牛乳の復活…は、残念ながら さすがに目がなさそうな状況である。

ゲンキ乳業の本社社屋(昭和30年後期) ゲンキ牛乳の冷蔵ショーケース(昭和30年後期)
画像上左:ゲンキ乳業の本社社屋(昭和30年後期)
画像上右:ゲンキ牛乳の冷蔵ショーケース(昭和30年後期)

八重山ゲンキ乳業は現会長の新哲次氏が、沖縄森永の前会長・新垣守氏より アミノ酸ヤクトールの販売権を譲り受け、商売を始めたのが設立の端緒となった。ただ、乳製品分野における 「ヤクトール」 というブランド名は、現在も沖縄森永乳業が商標登録している。

また、(1)(2)番瓶の初代ゲンキ君(ゲンキ坊や)のイラストと、乳製品分野における 「ゲンキ/ GENKI」 という呼称は、今も新垣守氏個人が権利を有する商標である。各島のゲンキ君は、或いは新垣氏の粋な計らいで残されている?という感じもするところだ。

宮古ゲンキによる現行瓶のデザインは(3)番瓶とほぼ同様のもので、ゲンキ君(ゲンキ坊や)も健在だが、かつての沖縄で義務付けられていたと見られる等級標示は存在しない。

オキコマルサンヘルスなど、沖縄ローカルブランドの古い瓶には 「1級」 と書かれたものを複数確認できる。昭和30〜40年代の沖縄以外では見られない特徴的な標示で、仔細はマルサン牛乳の項に譲るが、 「1級」 以外 (「特級」だとか「2級」) は そもそも無いようである。

◆本土とは大きく異なる沖縄の流通事情

返還前の沖縄の乳業については極端に情報が乏しく不明瞭な点も多かったが、[沖縄森永乳業四十年史-牛乳と共に40年](平成7年・同社刊) からその一端が垣間見えてきた。

同社の来歴はもちろん詳しく載っているが、傍系の情報として(資)マルサン乳業を吸収合併したことや、更に 「学校給食用牛乳200ccへの増量が平成5年」 という点にも驚かされる。本土では遅くとも昭和46年頃に完結した施策が、沖縄では20年以上も遅れていた計算だ。

全国的には使用例の見つからない森永牛乳(11)番瓶あたりは、一合瓶標準時代が永きに渡った 「沖縄向けの専用瓶」 であったことの裏付けになるだろう。

― 謝辞 ―
沖縄森永の社史や往時の電話帳など、関連資料を和田(モリ)様よりご提供頂きました。
また、向名(こうめい)館・名護様よりも関連情報を頂戴致しました。

― 参考情報 ―
森永ゲンキミルクの謎 (仲村オルタの島ブロ小2)
沖縄人国記1998-渡嘉敷村(114) (琉球新報/Internet Archiveキャッシュ)
沖縄人国記1998-竹富町(136) (琉球新報/Internet Archiveキャッシュ)


創業> 昭和30年、沖縄アミノ酸ヤクトール本舗として
昭35> ミルクプラント落成、市乳事業開始
昭37> ゲンキ乳業へ改称
昭38> (株)ゲンキ乳業へ改組
昭43> (資)マルサン乳業を吸収合併
昭45> 森永乳業と資本提携、沖縄森永乳業(株)へ改称
昭48> 沖縄森永乳業(株)/沖縄県那覇市字繁多川351-4
※以下、昭和60年まで同上
平04> 同上/沖縄県那覇市字繁多川1-5-1
平05> 学校給食用委託乳、180ccから200ccへ増量
平06> 沖縄森永として「ゲンキ牛乳」銘を復活再販
電話帳掲載> 同上
銘柄廃止> 昭和45年、宮古・八重山では “ゲンキ” 銘が存続
公式サイト> http://www.okimori.co.jp/

※現在も存続する 「ゲンキ乳業」 は以下の二社(乳業年鑑上の変遷は割愛)

昭48> ゲンキ乳業/沖縄県石垣市字登野城仲須目原909
電話帳掲載> 八重山ゲンキ乳業/沖縄県石垣市字登野城909
公式サイト> 未確認

昭48> ゲンキ乳業/沖縄県平良市字東仲310
電話帳掲載> (資)宮古ゲンキ乳業/沖縄県宮古島市平良字西里880-3
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。
創業年等の一部情報は公式サイト他からの引用あり。電話帳掲載の確認は平成19年時点。



漂流乳業