おさげの女の子マークでお馴染み、創業70年を迎える県下有数の現役メーカーさん。平成期に本格展開し始めた「べこの乳」は各種メディアに登場、瓶詰めヨーグルトを中心に県外進出も果たす。この笑顔に見覚えのある人も多いだろう。
旧銘の「二瓶」は経営者さんのお名前。昭和51年、喜多方の会津厚生舎と合併し、会津中央乳業に発展。その際に無くなった、往年流通のブランドである。
◆女の子マークの切ない由来
創業者の二瓶四郎氏は、かつて満州鉄道に勤務、家族と一緒の現地住まいだった。しかし戦後はシベリア抑留の憂き目。引き上げ船を目指した妻子も混乱に呑まれ、2歳の幼子は栄養失調で命を落とす。四郎氏の帰国が叶うのは、昭和23年だった。
氏は故郷の会津で牛乳屋を興し、商売が軌道に乗った43年に会社を設立。跡継ぎの孝也氏も家業に合流。日々を振り返り、「あのとき牛乳があれば」「栄養を与えられたら」…女の子マークをそんな想いで描き、新製品にラベリングしたという。
合併・改称を経てなお、イラストは現役の商標。会津中央乳業さんは、個人の体験に限定せず、どの子も健康に育って欲しい、との考えから、敢えてキャラクターに名前は付けないそうだ。(⇒女の子ストーリー/会津中央乳業公式サイト)
◆会津乳業協業組合への合流謝絶
会津エリアは大手の進出が遅れ、多数のローカルメーカーがしのぎを削ったところ。一帯の牛乳屋は昭和45〜46年頃に大同団結へ向かい、会津乳業協業組合を発足する。
昔は坂下、喜多方、会津若松にも牛乳屋がいたんです。うちは会津若松に進出するのが夢でした。それが時代の流れで会津統合の話がでて、うちと数件は混ざらなかったんです。その合併騒ぎの時からずっとライバルだった所が潰れた時はショックでしたね。(⇒会津中央乳業 ちょっと昔話/素材広場) |
「混ざらなかった数軒」は、恐らく会津酪農協(会津若松市・52年に県酪連へ統合)、星ミルクプラント(同・53年前後に廃業)、会津厚生舎(喜多方市)さんらを指すと思う。前記の通り、二瓶さん方は会津厚生舎と合併、今の会津中央乳業が成った。
なお、会津乳業協業組合は平成2年、福島県酪連・酪王牛乳(⇒関連:三春牛乳)に買収され、同・会津工場へ転換。同19年には生産業務を廃し、営業所に変わっている。
◆掲載瓶・現行ラインナップについて
茶刷り瓶は会津中央乳業の設立直後で、喜多方の電話番号を併記。会津厚生舎の施設が、しばらく支店として残ったらしい。現拠点は河沼郡の旧・坂下ミルクプラント側のみだ。
過去には会津中央の200cc瓶もあったはずだが、未確認。現行ビン製品は90〜180ccの取り扱い。茶瓶は主にカフェオレ向け。近年、生産コスト高騰を受け200ccから180ccへの減量に踏み切った折?に、白牛乳を詰めた時期はあった。
その後「べこの乳」専用の一合緑瓶が登場。さらに茶刷り瓶は白色プリントに切り替わっていく。濃厚な味わいが評判の「べこの乳発 会津の雪」120ml瓶装ヨーグルトは、無糖・加糖の2種が健在。これは比較的広範に出荷されている。
― 参考情報 ―
坂下ミルクプラント・会津中央乳業の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
会津中央乳業 (乳業探訪記) / 同・紙パック製品 (愛しの牛乳パック)
会津中央乳業 (一匹狼の牛乳キャップコレクション) / 同・生産者情報 (素材広場)
会津中央乳業 (財界ふくしま) / 会津の牛乳屋さん (ふくしま新発売)
牛乳のミディアムレア!福島の「べこの乳」 (メシ通)