會津厚生舎 (1)會津厚生舎 (1) 會津厚生舎 (2)會津厚生舎 (2)
會津厚生舎 (1)

會津厚生舎
福島県会津若松市栄町3-457
日本硝子製・市乳180cc底面陽刻
昭和20年代後期〜30年代初期
會津厚生舎 (2)

會津厚生舎
福島県会津若松市栄町3-457
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代初期〜中期

會津厚生舎 (3)會津厚生舎 (3) デラックス牛乳デラックス牛乳
會津厚生舎 (3)

會津厚生舎
福島県会津若松市西栄町4-36
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代後期〜40年代初期
デラックス牛乳

(資)會津厚生舎
福島県喜多方市松山町大字村松字常盤2703
東洋ガラス製・180cc側面陽刻
昭和40年代中期〜後期

戦後およそ20年ほど商われた、会津若松のローカル銘柄。旧来の小規模な搾乳販売を脱し、市内では会津ミルクプラントさんに次ぐ本格的なメーカーだった。ここから暖簾分けの形で独立したらしい、全く同名の会津厚生舎が、喜多方にも派生している。

県下には明治末期、岩瀬牧場を母体とする厚生舎グループが現れ、繁殖管理・搾乳・処理・販売など一連の牛乳商売を企業化した。本項の会津厚生舎さんも、屋号を見ればその一角に属すと思うが、具体的な関係は良く分からない。

◆武田初美氏による創業

人物誌によると武田氏は昭和8年、郷里の田村郡三春町を出て若松市の叔父のもとに身を寄せ、同16年に市内の牛乳屋で働き始めたという。新潟の牧場から原乳を仕入れ、簡易殺菌のうえ市内で秤売りを行った所だが、店名は明らかでない。

とにかくも店で修業を積み、勘所を学んだ武田氏は、昭和23年に自前の処理場を構えて独立。附近の酪農振興を目指して会津厚生舎を開業した。

従前の勤務先はいわゆる処理業者に過ぎず、地域の農産業と結び付いていなかった。そんな状況に、何か思う所があったのだろう。氏は積極的に地元酪農家と提携、ミルクプラントの近代化を進め、会津若松の模範業者として耳目を集めた。

◆市内の工場統合・組合結成の動き

一帯は相応の消費を見込める人口規模でありながら、なぜか大手メーカーが殆ど進出せず、結果、中小牧場・牛乳屋さんが乱立していた。

しかし中央資本の襲来も時間の問題、牧歌的ローカル乳業には迎撃の術がない。そこで昭和29年、会津若松市内の処理場が団結。製造拠点を集約し、生乳出荷・共販組織たる酪農組合を結成。この事業統合に、もちろん会津厚生舎も参画した。

ところが急拵えの連合体ゆえ意志統一が難しく、内部の利害調整が紛糾。1年後、酪農組合は各派閥へ分散し、集約処理の試みも破綻。武田氏は再び会津厚生舎の看板で自らの工場を再開、「厚生舎牛乳」の商いに戻った。

◆会津厚生舎・経営権を巡る争い

酪農組合の協業は僅か1年で潰えたが、前後の過程で会津厚生舎の経営に複雑な人間模様が生じたようだ。昭和31年時点の牛乳工場名簿では、代表者が唐橋幸作氏となっており、創始・武田初美氏のお名前が見当たらない。

武田氏・唐橋氏のご両名は昭和20年代末〜30年代初期、厚生舎の主導権を巡り民事裁判を争っている。唐橋氏は旧組合を通じ、武田氏の事業に大きな関わりを持った方らしい。

会津厚生舎の業務執行権・財産検査権・利益分配ほかにつき、訴訟の理非はともかく唐橋氏に有利な仮処分が下され、対する武田氏の抗告は棄却の憂き目に遭う。また、同様の紛争が喜多方の会津厚生舎でも起きた記録が残る。

◆会津東部酪農協のリーダーとして

武田氏は昭和30年、処理場の再始動とともに「会津厚生舎クラブ」を立ち上げ、農家有志に参集を促し、改めて酪農振興に取り組み始めている。

同33年、クラブを母体に会津東部酪農協(河沼郡河東町)が組織され、農協独自の工場運用に着手。55年に組合員減少で解散するまで、バターなど乳製品の加工を手掛けたものの、この間の仔細は資料に乏しい。

武田氏は農協の中心人物としてご活躍。氏の育成・薫陶による酪農家は、県下に100名を超したそうだ。恐らく晩年は揉め事が多くなってしまった会津厚生舎の諸事業から距離を置き?東部酪農協の指導に注力されていたのだろう。

◆会津厚生舎のその後

紆余曲折を経て少なくとも昭和43年時点には、初美氏のご子息・武田初太郎氏が社長を務めており、会津若松・会津厚生舎は武田家に復した様子をうかがえる。

たが競争激化の折、単体存立は困難を極めた。44〜45年頃、複数の同業者が糾合・設立した会津乳業協同組合へ参画、業務を統合されたらしい。以降しばらく請け売り・販社営業を続けるも、50年代末に廃業へ至っている。

いっぽう喜多方側は合資会社に改組後、昭和51年に河沼郡の坂下ミルクプラント(二瓶牛乳)と合併。会津中央乳業(株)に転じ、いずれの厚生舎ブランドも消滅した。

◆掲載びん・各種標示について

(1)〜(3)番は会津若松の瓶。味わい深い毛筆仕上げ、淡いインクに線の強弱が際立つ。所在を示す「栄町・会女西側」は地元の通称。会津厚生舎のすぐ隣、県立会津女子高校(現・県立葵高校)の略称が「会女」(かいじょ)、その西向きにあった次第。

(3)番には同時代の会津ミルクプラント、会津/会酪牛乳と同様に「ビタミン入」を標示。須賀川の厚生舎は「パンビタミン入」を強調。原乳不足や森永ホモ牛乳の大ヒットに応じ、加工乳を標準にラインナップした頃の名残りだ。

「デラックス牛乳」は喜多方の品で、電話番号が違う。栄養強化の上位アイテムに相当し、普通の白牛乳瓶装は未見。共用ビンは用いず、別建てだったと分かる。

― 謝辞 ―
姓名の誤りにつきまして、武田様より訂正情報を頂きました。


■会津厚生舎(会津若松市)
創業> 昭和23年、会津厚生舎として
昭29> 会津若松市内の工場統合・酪農組合結成により、製造を休止
昭30> 酪農組合の散開を受け、自家処理・販売を再開

昭31> 厚生舎・唐橋幸作/福島県会津若松市栄町3ノ丁
昭34〜42> 会津厚生舎/福島県会津若松市栄町3-457
                     ※昭和40年、栄町の再編で一部が西栄町となったが未反映
昭43〜44> 会津厚生舎・武田初太郎/福島県会津若松市西栄町4-36
独自銘柄廃止> 昭和45年前後
電話帳掲載・公式サイト> 未確認

■会津厚生舎(喜多方市)
創業> 昭和20年代中期〜後期
昭31> 会津厚生舎・佐久間三郎/福島県喜多方市松山町村松2702
昭34〜36> 会津厚生舎/福島県喜多方市松山町村松字常盤町
昭39〜43> 同上/福島県喜多方市松山町大字村松字常盤2703
昭44〜50> (資)会津厚生舎/同上
昭51> (有)坂下ミルクプラントと合併し、会津中央乳業(株)となる
電話帳掲載> 会津中央乳業(株)/福島県河沼郡会津坂下町大字金上字辰巳19-1
独自銘柄廃止> 「厚生舎」銘は昭和51年に廃止
公式サイト> http://aizumilk.com/ (会津中央乳業)

処理業者名と所在地は、全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・[福島民報年鑑]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成21年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



漂流乳業