厚生舎厚生舎 郡山牛乳郡山牛乳
厚生舎

第一厚生舎⇒(有)厚生舎 須賀川営業所
福島県須賀川市西2-24
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期〜後期
郡山牛乳

第十二厚生舎⇒(株)厚生舎 郡山ミルクプラント
福島県郡山市池ノ台140
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代後期〜40年代初期

厚生舎

明治〜大正の最盛期は、福島県下の支舎(生産・営業拠点)10ヶ所、さらに仙台、宇都宮にも進出した「厚生舎グループ」。

掲載瓶は須賀川・白河・郡山に、昭和40〜50年代まで残った3系譜。戦後、各ミルクプラントは独立経営に移行。その姿を変えていく。

合併/撤退の消長を経て、昭和50年代中期に牛乳屋として「厚生舎」の屋号を掲げる事業者は居なくなり、ついにブランドは絶えた。

厚生舎

第八厚生舎⇒(有)厚生舎
福島県白河市郭内18
ユニオン硝子工業製・180cc側面陽刻
昭和40年代中期

◆前史・御料地策定と宮内省御開墾所

岩瀬牧場の起源には諸説ある。伊藤博文が欧州視察で見聞した新式農場に感銘を受け、帰国後に創設を決したエピソード。あるいは明治天皇が東北巡幸の際、福島の一帯に広がる原野の開墾を促して誕生との、やや神話めいた逸話…。

ともあれ現実的には、往時の政府が皇室基盤の強化を策し、全国に御料地を求めた動きによるところが大きい。明治13年、岩瀬郡鏡石村に宮内省林野局が「宮内省御開墾所」(岩瀬出張所)を開き、これが岩瀬牧場・厚生舎チェーンの母体になった。

◆厚生舎の原点〜「牧場の朝」の岩瀬牧場

鋭意開拓に着手も、予想以上の困難続きで成果は上がらず、多額の投資を呑むばかり。間もなく中央政府・宮内省はギブアップ。運営を県に丸投げし、明治23年には千葉県三里塚の御料牧場に注力すべく、当地より撤退。

この際、岩瀬郡域の御料地と農場設備・飼養家畜一切を、破格の安値で子爵・外務次官の岡部長職氏に貸し下げ、個人経営に変わる。岡部氏は再建に奮起、農牧組織を「順宜畜産会社」と改め、その舵取りにあたった。

日本初の西欧風実験農場、文部省唱歌「牧場の朝」のモデル(※)…今なお同地に存続する岩瀬牧場の礎は、明治中期の積極的な牛馬・海外技術の輸入で確立した。

※新聞記者・杉村楚人冠の作詞とされるが、モデルになった牧場も含め、確定に慎重論もある。

◆牧場の法人化・厚生舎チェーンの確立

永年努力も事業は振るわない。岡部氏は宮内省の承諾を得て、財界・華族の資本と人材を容れる。明治40年、会社法人を設立。牧場は東京・麹町に本社を置く順宜牧畜(株)、43年に改称して日本畜産(株)の直営とし、開墾30年の節目に勝負をかけた。

系列支店たる「厚生舎」を、第一から第十二まで次々立ち上げ、地元で細々と牛乳を売り歩く原始的な商いを刷新。大正2年の広告(日本畜産・純良牛乳販売所の絵びら/アド・ミュージアム東京)を基準に、遷移は下段にまとめた。

順宜牧畜(株)第六厚生舎の広告(明治42年)日本畜産(株)の広告(大正10年)
画像左:順宜牧畜(株)・第六厚生舎の広告(明治42年)…[明治の宇都宮4 宇都宮商工広告集]より。
画像右:日本畜産(株)の広告(大正10年)…梁川(第四)と仙台(第十二)は既に無い。[岩瀬案内]より。

各支舎は岩瀬牧場より泌乳期の乳牛を借り受け、搾れなくなったら返却。販売実績に応じて、また別の牛を取り寄せる。岩瀬牧場が繁殖・孕み牛を一括管理し、「厚生舎」フランチャイズにレンタル料を求める供給システムだった。

◆日本畜産株式会社時代の躍進

市乳販売は日量総計10石(約1,800リットル)、岩瀬牧場産バターは関東・関西方面に販路を伸ばす(遠くは奈良ホテルにも納品した)。乳牛400〜500頭に達し県下飼育の半数を占め、山形には「第二製乳所」を設けて増産体制を築く。

畳み掛けるような営業攻勢、合理的分業で界隈を席巻した厚生舎グループ。しかし広域展開に隙も多かったか、大正期の不況で収支は悪化。昭和4年、経営は福森利房氏、同8年に遠藤三郎氏へバトンタッチ。なお復調に至らず、時代は過ぎた。

戦後は農地解放で規模を縮小。西武鉄道グループの保有を経て、昭和26年に日本畜産は解散(※)。のち福島県知事が用地を譲受。42年、実業家・小針暦二氏が諸権利を買収して(有)岩瀬牧場となり、現在は(有)イワセファームとして営業が続く。

※乳牛や市乳処理施設は、西武園ミルクプラント/ユネスコ牧場(埼玉県所沢市)に移された。

◆昭和戦後の厚生舎の流転(1)

昭和40〜50年代に統廃合が進み、「厚生舎」ブランドの市乳は絶えた。過去資料を用い掲載瓶の来歴を辿ると、「第一厚生舎」の後身は(有)厚生舎・須賀川営業所が該当。「第十二厚生舎」は後の(株)厚生舎・郡山ミルクプラントだと分かる。

第一(須賀川)、第二(福島)、第八(白河)の代表者さんはいずれも遠藤姓。かつて日本畜産(株)の社長を務めた、遠藤三郎氏の縁故だろう(第八担当の一郎氏は甥)。

商号や法人格・拠点呼称の相違に明らかだが、戦後はグループがばらけ、オーナー単位で独立した様子を窺える。経営変動の煽りで、岩瀬牧場の乳牛貸与システムも漸次廃止。昭和20年代後半には、もう機能していなかったはずだ。

◆昭和戦後の厚生舎の流転(2)

福島市新町の「第二厚生舎」は(株)厚生舎・福島支店へ改組。地元農協や周辺メーカーと手を組み、福島乳業(株)(福ちゃん牛乳)を新たに立ち上げる。

「福島支店」自体は昭和48年頃に(株)福島厚生舎と改称。アイス工場を平成初年まで操業した。本社は(株)厚生舎・郡山ミルクプラントで、福島と郡山は親子関係だ。

長く屋号を留めたのは「第八厚生舎」の後身、(有)厚生舎。昭和48年頃に乳類製造から撤退後、場所替えしてミネラルウォーターの商いに転じ、平成20年に破産・廃業。旧第一が(有)厚生舎・須賀川営業所の名乗りなので、白河本店・須賀川支店のペアだろう。

◆厚生舎3系譜の掲載瓶について

とぼけた表情が可愛い須賀川の牛さん。全く同じイラストを山形県の鈴木牛乳さんも使っており、これは乳業資材の代理店が用意した定型らしい。「厚生」とだけ書かれた水色の八角瓶は、たぶん白河厚生舎の取り扱いだ。

郡山牛乳は昭和52年頃まで、粘り強く「厚生舎」名義で市乳処理を続けた最後の砦。くだけた調子のロゴタイプと、ちんまい牛さんの大名行列…字面を詰めたあしらいの一本。

比較的最近まで生産実績があったことと、恐らく一般に入手しやすい小売ルートが生きていた好条件が重なり、牛乳キャップコレクター諸氏に広く押さえられている「厚生舎」ブランドである。(⇒郡山牛乳の紙キャップ/ほどほどCollection)

◆会津厚生舎と竹山ミルクプラント

大正〜昭和初期に存在しなかった「厚生舎」拠点が、戦後の福島に新しく3軒できている。日本畜産(株)時代の晩年、移動もしくは新設されたようだ。

往時の岩瀬牧場は貸牛制度維持のため、仔牛の育成を農家へ委託。特に会津方面の請け負いが多く、地域に牛飼いの営みが定着する。まず会津若松、のち喜多方にも現れた会津厚生舎は、そんな背景に基づく起業と想像できる。

加えて安達郡二本松町には、「厚生舎・竹山ミルクプラント」が勃興。仔細不詳ながら、この拠点は長続きせず、昭和35年前後に廃業・消滅した。

― 参考情報 ―
福島県における牛乳産業の展開 (地理学評論-Vol.47)
福島県岩瀬牧場の近代化産業遺産としての再評価 (ランドスケープ研究-Vol.75)
日本畜産専用軌道(須賀川市・鏡石町) (街道Web)
岩瀬牧場は、唱歌「牧場の朝」のモデルと言われるが (キャンピングカーで放浪の旅II)
牧場の朝 (池田小百合 なっとく童謡・唱歌)
郡山牛乳のノベルティーコップ (牛乳グラス☆コレクション)


※太字で示した所在地は、大正2年の広告案内による

■第一厚生舎/福島県岩瀬郡須賀川町 <掲載瓶>
昭31> 厚生舎・遠藤健一/福島県須賀川市西2-24
昭34〜36> 厚生舎/同上
昭39〜42> (有)厚生舎 須賀川営業所/同上
廃業> 昭和43年前後
電話帳掲載・公式サイト> 未確認

■第二厚生舎/福島県福島市新町
昭09〜13> 日本畜産(株)第二厚生舎/福島県福島市新町40
※昭和10年以降は同年設立の「福島牛乳商業組合」(福島ミルクプラント)が同居。
   この組合は戦後「福島牛乳商業協同組合」となり、昭和45年の協業に至る。

昭22> 福島牛乳施設組合 福島ミルクプラント・押田中/同上
昭31> 厚生舎牛乳処理販売所・遠藤梅夫/同上
昭34> 厚生舎牛乳処理場/同上
昭36〜43> 「福島ミルクプラント」「厚生舎牛乳処理販売所」/同上 ※2者同居
※昭和43年刊の別資料は以下のように記録する
   (株)厚生舎 本社/郡山市池ノ台140 ※後段の郡山(第十二)
   (株)厚生舎 福島支店・遠藤健一/福島市新町7-36
   福島牛乳商業協同組合・遠藤梅夫/福島市新町7-33

昭45> 県北5社協業により福島乳業株式会社(福ちゃん牛乳)を設立

昭44〜47> (株)厚生舎 福島支店/福島県福島市新町7-36
昭48> 福島厚生舎/同上
昭50〜平01> (株)福島厚生舎/同上 ※乳製品・アイスクリーム工場として
電話帳掲載> 福島乳業(株)/福島県福島市飯坂町平野字上前田6-1
独自銘柄廃止> 牛乳類の「厚生舎」銘は昭和48年前後に廃止?
公式サイト> http://www.fukuchan-milk.co.jp/

■第三厚生舎/福島県伊達郡保原町
昭09> 日本畜産(株)/福島県伊達郡保原村 ※以後不明ながら戦前に閉鎖

■第四厚生舎/福島県伊達郡梁川町 ※以後不明ながら大正10年までに閉鎖
■第五厚生舎/福島県伊達郡桑折町 ※以後不明ながら昭和初期に閉鎖

■第六厚生舎/栃木県宇都宮市
※明治42年の広告(本文掲載)では、牧場・搾乳場を「河内郡国本村奮ト寺内原」、
   処理・販売所は「宇都宮市・県庁前東角」に置く。以後不明ながら昭和初期に閉鎖。


■第七厚生舎/福島県伊達郡川俣町
昭09> 日本畜産(株)/福島県伊達郡富田村
※富田村は川俣町の合併前旧称・以後不明ながら戦前に閉鎖

■第八厚生舎/福島県西白河郡白河町 <掲載瓶>
明43> 厚生舎/福島県西白河郡白河町(旧本町)郭内
昭24> 白河町は隣村と合併し白河市となる
昭31> 第八厚生舎・遠藤一郎/福島県白河市郭内18
昭34〜36> 第八厚生舎/同上
昭39〜47> (有)厚生舎/同上
昭48> 白河厚生舎/同上
電話帳掲載> 「(有)厚生舎 水事業部」「那須山系アルカリミネラル天然水工場」
                   福島県西白河郡泉崎村大字泉崎字山崎30
市乳事業撤退> 昭和48年前後
破産・廃業> 平成20年
公式サイト> 未確認

■第九厚生舎/福島県田村郡三春町 (⇒関連:三春牛乳
大03> 第十一厚生舎から転勤した萬年三治氏が乳牛飼育を始める
大07> 販売制度変更(厚生舎の方針転換)により、萬年牛乳店となる

昭09> 日本畜産(株)/福島県田村郡三春町
昭31> 萬年牛乳店・萬年三治/福島県田村郡三春町丈六9
昭34〜36> 万年牛乳店/同上
廃業> 昭和37〜38年頃
電話帳掲載・公式サイト> 未確認

■第十厚生舎/宮城県仙台市
明44> 日本畜産(株)第十厚生舎・永田恒三郎/宮城県仙台市北一番丁145
※以後不明ながら、大正10年までに閉鎖

■第十一厚生舎/福島県安達郡本宮町
昭09> 日本畜産(株)/福島県安達郡仁井田村 ※仁井田村は合併前の旧称
昭31> 本宮厚生舎・青木惣凡/福島県安達郡本宮町仁井田字村山3
昭34〜39> 本宮厚生舎/同上
廃業> 昭和40年前後
電話帳掲載・公式サイト> 未確認

■第十二厚生舎/福島県郡山市池之台 <掲載瓶>
昭09> 日本畜産(株)第十二厚生舎/福島県郡山市池の台140
昭24〜31> 郡山ミルクプラント・藤橋種司/同上
昭34〜43> 郡山ミルクプラント/同上
※昭和43年刊の別資料は以下のように記録する
   (株)厚生舎 郡山ミルクプラント・藤橋種夫/郡山市池ノ台7-24

昭44〜50> (株)厚生舎 郡山ミルクプラント/福島県郡山市池ノ台7-24
昭51〜52> 同上/福島県郡山市池ノ台7-40
廃業> 昭和53年前後
電話帳掲載・公式サイト> 未確認

※以下は戦後の新設/拠点移動と見られる・会津厚生舎については別途立項した

■厚生舎(二本松市)
昭31> 厚生舎(竹山ミルクプラント)・竹山松男/福島県安達郡二本松町東地ノ971
昭33> 二本松町は市制施行して二本松市となる
昭34> 厚生舎/福島県二本松市二本松町東地ノ入71
廃業> 昭和35年前後
電話帳掲載・公式サイト> 未確認

■岩瀬牧場(イワセファーム)
昭09> 日本畜産(株)/福島県岩瀬郡鏡石村
※以下、近年稼動の市乳処理施設
昭63〜平04> (有)岩瀬牧場/福島県須賀川市大字前田川字草地22
平13> (株)いわせ/同上
電話帳掲載> 「岩瀬牧場」「(有)イワセファーム」/福島県岩瀬郡鏡石町桜町225
公式サイト> http://www.iwasefarm.com/


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