本土復帰の頃は、那覇市内にも6軒のミルクプラントが存在した。のち半数は脱落、平成の時代まで生き残りを果たすのは、県下最大手に発展したゲンキ牛乳(沖縄森永乳業)を筆頭に、田中牛乳さんと、本項の仲本牛乳さんの3社である。
長らくの商いも平成10年頃に廃業され、ブランドは消滅。裏面の「沖乳」ロゴは、県下の中小メーカーが結成した「沖乳連会」を示すマーク。知名牛乳や東恩納牛乳、石川牛乳さんほか、加盟10社を超す規模の同業者団体だった。
沖縄の乳業の瓶装・紙栓デザインは、各社似通う点が多い。例えば大川牛乳やベスト牛乳も、瓜二つの見た目だ。協業を通じ、統一仕様があったのかも知れない。
― 関連情報 ―
仲本乳業の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)