石川牛乳 (1)石川牛乳 (1) 石川牛乳 (2)石川牛乳 (2)
石川牛乳 (1)

石川牛乳
沖縄県石川市字石川314
石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和40年代初期〜中期
石川牛乳 (2)

石川牛乳
沖縄県石川市字石川314
石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和40年代後期〜50年代

TwitterFacebookこの牛乳屋さんの記事を共有

本島中央部、石川市(現・うるま市)のローカル銘柄。今も家庭宅配と数軒の店頭小売りで健在らしいが、現況は良く分からない。かつては「伊波牧場」名義の紙栓が使われており、少なくとも創始の形態は酪農家直営・自家搾乳だったと思う。

平成19年、東恩納牛乳さん廃業により、旧市内で唯一のミルクプラントとなった。沖縄森永(ゲンキ乳業)や沖縄明治(オキコ乳業)のような大資本、比較的手広い商いの宮平乳業さんを除き、本島で小規模な個人経営を続ける最後の一軒だ。

◆統治時代の「市区班」機構

(1)番瓶「石川市1区5班」の住所標示は占領時代の名残り。戦前の石川市域は中頭郡美里村に相当するが、ここは島内最狭部、幅4キロ足らずのくびれ。米軍は侵攻時、要衝として真っ先に確保。本島を南北に分断して戦局を有利に導いた。

また当地には避難民の収容所ができ、沖縄全域から住民が送り込まれ、最終的に人口は3万を超える。昭和20年9月、石川収容所・16地区をもとに石川市が発足。内地とは異なる行政措置により、「市区班」制の住所指定が生まれた。

◆「石乳」マークは「沖乳」由来?

縄模様で囲った力強い“石乳”の商標は、「沖乳連会」(沖縄乳業連合会?)を示す、“沖乳”トレードマークの翻案だろう(⇒関連:知名牛乳)。

沖乳連会は昭和40年代、本土資本の進出・系列化に対抗すべく、中小メーカーさんらが立ち上げた協業体。石川牛乳さんも往時に参画したはずだ。

「全乳」標示も目を引く。もとは明治期の規定で、100%生乳を指すwhole milkの訳語。その後「市乳」〜「牛乳」の呼称に改められ、戦後は殆ど見かけなくなった。漂流乳業では前記の宮平乳業さん、岡山の長谷川牧場さんの瓶が、数少ない類例だ。

― 参考情報 ―
石川牛乳の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
石川牛乳 180mlビン (牛乳トラベラー)
米国統治時代の「琉球」(2)居残った「石川市」
終戦後の沖縄に生まれた市とは (都道府県市区町村)


創業> 不明ながら戦後?
昭46> 石川真清/沖縄県石川市石川
昭48〜50> 石川牛乳/沖縄県石川市字石川314
昭51〜平13> 同上/沖縄県石川市字石川293
平17> 石川市は周辺市町と合併してうるま市となる
電話帳掲載> 同上/沖縄県うるま市石川2-28-3
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、[沖縄県農林水産行政史 第5巻]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成19年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



漂流乳業