日の丸牛乳 (1)日の丸牛乳 (1)

(記事下段)

日の丸牛乳 (1)

(資)日の丸牛乳(山本牧場)
宮崎県延岡市平原町1-1446
広島硝子工業製・正180cc側面陽刻
昭和30年代後期〜40年代初期

日の丸牛乳 (2)日の丸牛乳 (2)日の丸牛乳 (2)
日の丸牛乳 (2)

(資)日の丸牛乳(山本牧場)
宮崎県延岡市平原町1-1446
新東洋硝子製・正180cc側面陽刻
昭和40年代中期

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戦後に創業した延岡のローカルメーカーさん。往時は牛舎併設で一貫処理を手掛けた。昭和47年、地元酪農協との折半出資により、(有)はまゆう牛乳舎を新規設立。「日の丸」銘は漸次廃止、以降「はまゆう牛乳」の販売が平成まで続いた。

掲載は日の丸時代の2世代。「みんなが飲んでる」キャッチは白水舎さんと同じ。(1)番瓶は確かに日本国旗だが、反転(2)番はバングラディシュな趣だ。

◆昭和の協業・はまゆう牛乳への転換

一大消費地である延岡には戦前戦後、地元資本の牛乳屋さんが複数勃興するが、同時に大手乳業の進出も激しく、中小各社は協業・合理化を目指す。

昭和47年、山本牧場さんと延岡酪農協さんが手を組み、東臼杵郡門川町に(有)はまゆう牛乳舎を旗揚げ。48年には両者とも自社銘柄を廃止(もしくは既存銘柄に「はまゆう」を併記)、統一ブランド「はまゆう牛乳」の集約処理・共同販売へ移行した。

日の丸と組合の一体化は著効あり、山本さん方は「はまゆう牛乳 日の丸販売社」の看板を掲げ、新ブランドは大躍進。ところが昭和60年前後に運営方針を巡る対立が生じ、延岡酪農は共販を打ち切り。歩調が乱れてしまった。

◆平成の協業・宮崎県乳業協同組合の成立

市況なお厳しく、地元各社は再び連携を模索。平成2年、はまゆう牛乳舎と旭牧場、日向市の丸山乳業社の3社は、処理工場の統合を相計り、宮崎県乳業協同組合を設立する。

県乳協は「はまゆう」ミルクプラントを全部借り上げ、増強整備のうえ基幹工場とし、鋭意操業を開始。この新組合に対しては、引き続き延岡酪農さんも一部アイテムの製造を委託。協調・融和路線がついに確立、と思われたのだが…。

ここでも経営を巡る内部紛争が勃発。数年でグループ運用は頓挫してしまう。旭牧場および延岡酪農は県乳協の集約製造から離脱、丸山さんは資本参加に留まり自家処理を継続していたため、組合には実質的に「はまゆう牛乳」山本牧場だけが残る結果となった。

◆牛乳屋さんを閉じて介護事業へ

その後、「はまゆう」単体での継続には限界があったと思われ、平成12年前後に県乳協は解散・廃業、銘柄は消滅。山本さん方は乳類の製販を手仕舞い、現在は(株)企照として、在宅介護支援・老人ホームの運営を行う。

住宅型有料老人ホーム「コリドールくしつ」 (九州保健福祉大学)
居宅介護支援事業所「はまゆう」 (OpenCare)

牧場・乳業から(代替わりにともなう)異業種への転換・多角化は多い。冠婚葬祭業に変わった北陽牛乳さん(山形)、歯科医院になっている武見牛乳さん(新潟)、水産物加工に特化した中部乳業さん(愛知)。前出の旭牧場さんの場合は、冷凍食品に乗り出していた。

― 関連情報 ―
はまゆう牛乳の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
同・紙栓 (牛乳キャップとは) / 同・紙パック製品 (愛しの牛乳パック)


創業> 昭和30年 ※資料によっては32年とも
昭34〜43> 日の丸牛乳(日ノ丸牛乳)/宮崎県延岡市平原町
昭43> (資)日の丸牛乳を設立
昭46〜47> (資)日の丸牛乳/宮崎県延岡市平原町1-1446
昭47> 延岡酪農協との共同出資で、(有)はまゆう牛乳舎を別途設立
昭48> はまゆう牛乳に製造を集約、自工場の稼働なし
昭50> 同上 ※乳製品工場として
平02> 宮崎県乳業協同組合が発足、はまゆう牛乳の工場は同組合の運営となる
平20> 日の丸牛乳経営の山本照明氏は、(株)企照を別途設立

電話帳掲載> (資)日の丸牛乳販売/宮崎県延岡市平原町2-1446 ※平成12年時点
                    ※後年に設立の(株)企照も同住所
独自銘柄廃止> 昭和48年に「日の丸」銘は廃止、「はまゆう牛乳」へ転換
                      以降、平成12年頃まで「はまゆう」販売店を営業
公式サイト> http://www.kishou.info/ ※(株)企照・運用中止

処理業者名と所在地は、食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



漂流乳業