白水舎牛乳 (1)白水舎牛乳 (1) 白水舎牛乳 (2)白水舎牛乳 (2)
白水舎牛乳 (1)

白水舎(白水舎牧場)⇒(有)白水舎乳業
宮崎県宮崎市大和町48
広島硝子工業製・正180cc側面陽刻
昭和30年代後期
白水舎牛乳 (2)

白水舎(白水舎牧場)⇒(有)白水舎乳業
宮崎県宮崎市大和町48
石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代後期

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現役乳業では県下最古の老舗、およそ100年の商いを誇るローカル銘柄。学校給食などを通じ地元の知名度は高い。近年は直営店舗や移動販売車のソフトクリームが評判、さらに牛乳甘酒「百白糀」(乳飲料)の展開で、ラインナップの多角化が進む。

掲載は過去流通の隣り合う二世代。現行ビン製品は白牛乳・コーヒーの2種。いずれも青い牛乳缶を描いた200cc瓶。従前は丸々と肥えた牛さんの赤刷り一合瓶もあった。

◆女主人とアメリカ帰りの男

白水舎の前身・原点は遡って大正5年、宮崎市高松通に開業した泉セツ氏の牛乳屋さん。女主人が颯爽と切り盛りする、珍しいお店だったと思う。しかし市内は同業者が乱立、競争は極めて激しく、やがて経営不振に陥ってしまった。

その頃、明治から大正にかけての9年間、アメリカへの長期滞在で酪農を研修し、牧場経営を実地に学んだ鹿児島出身の都成仲二氏が日本へ帰国、宮崎に移住してきた。

北海道に名だたる町村農場を拓いた、町村敬貴氏を彷彿とさせるプロフィールだ。町村氏も同時期に単身渡米、10年間の留学・実習を経て酪農技術を習得している。

◆「泉」から「白水」へのバトンタッチ

都成氏は牧場開設の好適地を求め、宮崎県に移ったらしい。両者邂逅の経緯は不明だが、大正8〜9年頃、運営に行き詰まった泉氏の牛乳店(泉舎)・飼育乳牛ほか一切を譲受。

屋号はご婦人の創業の労をねぎらってか、「泉」の字を2つに分け「白水」とし、ここに「白水舎牧場」が生まれた(正式発足は大正12年頃)。いっぽう公式の会社概要では都成氏の営業文句「牛乳は命の白い水」が由来と案内。たぶんダブルミーニングだろう。

牧場は当初、氏と弟さんの協働によって支えられた。のち弟さんは独立、パン屋「ミカエル堂」を立ち上げ、今も県下に代々営業中。暖簾から想像できる通り、ご兄弟は敬虔なクリスチャン。教会・伝道史にも、そのお名前を見出せる。

― 関連情報 ―
人生のらせん (ユウキの独り歩記) / 手を取り合って… (夢みるくのブログ)
白水舎の紙栓 (牛乳キャップとは) / 同・紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
白水舎牛乳 200mlビン (牛乳トラベラー) / 白水舎 (北摂百貨天 営業報告書)
自由に見学できる宮崎市の白水舎乳業 (愛しの牛乳パック)


創業> 大正8〜9年頃、泉セツ氏の牛乳店を継承
          同12年頃までに白水舎牧場として発足
昭02> 泉舎・都成仲二/宮崎県宮崎市高松通 ※旧屋号で掲載
昭09> 都成仲二/同上
昭10> 宮崎市高松町から大和町へ移転
昭12> 白水舎・都成仲二/宮崎県宮崎市高松通1 ※移転を反映せず
昭31> 白水舎・都成林造/宮崎県宮崎市大和町48
昭36〜平04> 白水舎/同上
平07> (有)白水舎乳業を設立
平13> (有)白水舎乳業/同上
電話帳掲載> 同上
公式サイト> https://hakusuisha.jp/

処理業者名と所在地は、[宮崎市商工人名録]・牛乳新聞社「大日本牛乳史」・[宮崎県商工人名録]・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成19年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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