武見牛乳武見牛乳

(記事下段)

武見牛乳

武見牛乳
新潟県長岡市関原町西関原8114
石塚硝子製・180cc側面陽刻
昭和40年代初期

少なくとも50年に渡って商われた、県央のローカル銘柄。昭和59年前後に製造より撤退、ブランドは消滅。「TN」マークは「たけみ・にいがた」の意か。跡地は現・武見歯科医院さん。代替わりで牛乳屋を手仕舞い、後継は医業に就かれた…のだと思う。

掲載は黄緑の刷り色が珍しい八角一合瓶。保存状態により色が醒めてしまうので正確には分かりにくいが、静岡の浜松牛乳や、滋賀のツヂ牛乳さんと同じような風合いだ。

武見一族はかつて当地の豪農・米穀商として名を馳せた家柄。戦後、日本医師会のカリスマ・首領と呼ばれた武見太郎氏の出身地(生家)でもある。

◆武見家による創業の歴史

太郎氏の父・可質氏は、日蓮宗僧侶の兄・武見日恕氏に感化され、身延山で修業に臨むも一転、明治半ばに渡米する。滞在15年、2つの大学を修了し、哲学の博士号を得て帰国。東京に移り住んで教員〜会社員となった経歴の持ち主だ。

昭和9年時点の乳業者名簿に現れる往時の牧場主・武見權平(権平)氏は、可質氏の弟さん。新潟の武見本家を継ぎ、各種事業を営んだ人らしい。

過去のご商売について詳しい資料が見つからないものの、多角経営の一環で牧場運営・搾乳販売に乗り出したのだろう。あるいはアメリカ帰りの可質氏から、乳利用の発展した海外の様子が伝えられ、将来有望の見立てに基づく着手かも知れない。

― 関連情報 ―
武見太郎氏についてのページ (CMINC-文殊ML) / 中越の医学史雑考 (柏崎通信)
母のおもいで / 黒川鍾信「東京牛乳物語」とDavid Munrow (みずすまし亭通信)


創業> 不明ながら大正〜昭和初期
昭09> 武見權平/新潟県三島郡関原村関原
昭31> 武見ヒロ/新潟県三島郡関原町西関原乙114
昭32> 関原町は長岡市に編入される
昭34〜36> 同上 ※住所変更を反映せず
昭39〜44> 武見牛乳/新潟県長岡市関原町西関原8114
昭46〜58> 同上/新潟県長岡市関原町3
電話帳掲載> 武見歯科医院/新潟県長岡市関原町3-乙114
廃業> 武見牛乳としては昭和59年前後
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、牛乳新聞社「大日本牛乳史」・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成21年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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