富谷牛乳富谷牛乳

(記事下段)

富谷牛乳

富谷牧場⇒富谷牛乳(株)
茨城県西茨城郡岩瀬町富谷684
大和硝子製・正180ml側面陽刻
昭和30年代中期〜後期

創業は昭和24年、今も当地に健在の牛乳屋さん。一帯では学校給食などを通じお馴染みの銘だった。平成10年度の再編合理化で自家処理より撤退。以降は同根のトモヱ乳業や、小岩井乳業の製品を取り扱う販売店さんとなっている。

合理化後、「富谷牛乳」はトモヱ乳業が請け負い、2社ブランド併記の共通瓶で数年存続。しかし最終的にはトモヱ側の「ふるさと牛乳」に統合され、自社銘柄は終息した。

◆牛さん、農地解放を少し阻止する

町の大地主だった中田繁氏は戦後、GHQの農地解放でその大半を喪失。僅かに残った山間部だけでも維持すべく、未経験ながら緬羊・乳牛飼養に挑んだ。小作地として貸与/未開拓のまま放置の所を自営牧場に転換、一部没収を免れたらしい。

緬羊は気候が合わず斃死続出、早々に乳牛メインへ転換。昭和初年から地元で搾乳業を営む藤井貞雄氏のミルクプラントを買い取り、市乳の処理販売に乗り出す。

商いは好調で県西部に進出を図るも、人手が足りない。繁氏は余所で会社勤めをしていた長男の清一氏を急遽呼び戻し、富谷牧場の運営は次第に安定を得た。

◆酪農組合の結成と下館市進出

自家飼育のみでは充分量の生乳確保が難しい。開業後、付近の農家へ乳牛導入を勧めるともに、隣接町村の牛飼いにも呼び掛け、出荷団体の結成を促す。結果、昭和26年には富谷牧場を中心に、茨城西部酪農業協同組合が発足した。

販路も積極的に拡張。下館市では杉山牛乳店の諸権利を得て、同商圏に処理販売を手掛ける下館酪農協(下館牛乳)の傘下配達員を、一挙に10数名引き抜く荒業を披露。昭和33年、県指定工場の認定を受け、学乳への参入も果たした。

◆トモヱ乳業の派生・平成期の合理化

中田清一氏の実弟・俊男氏は、昭和31年に富谷牧場から独立。古河市の古河食品工業を買収し、既存部門(食肉・ハム製造)を撤廃。トモヱ牛乳のブランドで市乳事業を興し、今や県を代表するメーカーに発展を遂げている。

地名によって立つ実家の「富谷」銘はローカル色が濃い。新天地・古河への定着、将来の広域展開を見据え、新たな名前を決めたようだ。仔細はトモヱの項に譲る。

富谷側の業容も順調に伸びた。しかし後年の消費不振と原料高騰、合理化圧力、加えて同根のトモヱ乳業が大躍進した兼ね合いで、自社工場・独自銘柄を堅持する必要は薄れていったかも知れない。前記の通り、現在は販社さんとしてご盛業だ。

― 参考情報 ―
富谷牛乳の紙栓 (牛乳キャップとは)
同・紙栓 / 同・トモヱ乳業OEM (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
高齢者見守り隊[富谷牛乳株式会社] (VSOP運動)
茨城県筑西市 松の湯 (銭湯探訪人が行く-レトロ銭湯を求めて)


創業> 昭和24年
昭31> 富谷牧場・中田清一/茨城県西茨城郡岩瀬町富谷684
昭34〜46> 富谷牧場/同上 ※昭和44年、富谷牛乳(株)を設立
昭47〜平04> 富谷牛乳(株)/同上
平10> 乳業施設再編合理化で自家処理を中止
平17> 岩瀬町は周辺町村と合併し、桜川市となる

電話帳掲載> 同上/茨城県桜川市富谷684
独自銘柄廃止> 平成13年前後?
公式サイト> http://www.tomiyamilk.co.jp/

処理業者名と所在地は、全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成19年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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