興真牛乳 (1)興真牛乳 (1) 興真牛乳 (2)興真牛乳 (2)
興眞牛乳 (1)

興真牛乳(株)
千葉県千葉郡八千代町大和田新田
徳永硝子S29年製・市乳180c.c.底面陰刻
昭和20年代後期〜30年代初期
興眞牛乳 (2)

興真牛乳(株)
千葉県千葉郡八千代町大和田新田
製瓶元不明・市乳180c.c.側面陽刻
昭和20年代後期〜30年代初期

興真牛乳 (3)興真牛乳 (3) 興真牛乳 (4)興真牛乳 (4)
興真牛乳 (3)

興真乳業(株)
千葉県千葉郡八千代町大和田新田135
山村硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期〜後期
興真牛乳 (4)

興真乳業(株)
千葉県千葉郡八千代町大和田新田135
山村硝子製・正180cc側面陽刻
昭和40年代初期

興真牛乳 (5)興真牛乳 (5) コーシン牛乳コーシン牛乳
興真牛乳 (5)

興真乳業(株)
千葉県八千代市大和田新田135
山村硝子製・正180cc側面陽刻
昭和43年頃〜50年代中期
コーシン牛乳

興真乳業(株)
千葉県八千代市大和田新田135
東洋ガラス製・正200cc側面陽刻
昭和50年代後期〜平成5年頃

明治39年、興眞舎の屋号で開業した県下有数の老舗。昭和2年の法人化を経て、同30年に興真乳業(株)が成立。45年頃よりブランド表記は「コーシン」を併用。正式な商号は漢字のまま、近年は「コーシン牛乳/乳業」の名乗りが定着した。

マキビシみたいな三角マークは、創業家の家紋・剣片喰(けんかたばみ)の翻案。親戚関係にある県下の古谷乳業(フルヤ牛乳)さんも、同様の商標を用いていた。

◆慶応大学から牛乳屋さんへ

興眞舎の創始・古谷精一氏は千葉県山武郡松尾村の出身。若き日は慶應義塾で学問探究を志すも、眼病を患い断念。商業に活路を求める。

その頃、郷里で牛飼いの盛んな様子を見聞し将来性を確信、まずは東京巣鴨の辻村牛乳店で働いた。

努力が実って明治39年に独立。東京市小石川区氷川下町(現・文京区大塚)に、興眞舎牛乳店を開く。


画像上:興眞牛乳のポスター(昭和30年代初期〜中期)…坊やが手にしている瓶は、(1)(2)番瓶のようだ。

興眞牛乳のポスター(昭和30年代初期〜中期)

◆都市化の煽りを受け千葉に進出

日露戦争後の好況に乗り、事業は漸次拡大。大正4年、池袋にも牧場を増設した。しかし東京の急速な都市化に接し、昭和3年に飼育乳牛の郊外転出を決断。現代に続く生産拠点、千葉郡大和田町(現・八千代市)に習志野牧場を据える。

同7年、酪農先進国アメリカを視察。乳質向上と生産量アップを狙い、コーシンの代名詞となるガンジー種を大量輸入。飼養は総計600頭に及び、東洋一の大牧場と謳われ、絞った乳は「特別牛乳」の名を冠して商った。

大和田町には南葛飾郡大島村(現・江東区)から転入した地元出身の高橋傳次郎氏(昭和2年)を皮切りに、東京での牧舎運営に見切りをつけた有坂、秋葉、鈴木、上代、山岸牧場などが続々と移り来て、俄かに大産地を形成する。

◆戦時の空襲被害・戦後の用地喪失

昭和20年、空襲で小石川本店・工場を焼失。終戦を迎えると今度はGHQ肝入りの農地解放令が出て、習志野牧場の大半を失う大打撃を蒙った。

いっぽう、食生活の西洋化が進み牛乳需要は急増。戦時に衰退した千葉の酪農も力強く復活に向かい始める。昭和25年、かろうじて残された習志野牧場の敷地に新しくミルクプラント(八千代工場)を建設し、市乳事業の再開に至っている。

◆マスコットキャラクター・ピロコ

牛乳グッズ愛好家には保証牛乳と双璧をなす、コップでお馴染みの銘柄。きっぷの良い一気飲みが印象的な女の子、昭和40年代後期?の登場で名前は「ピロコ」。各種のパッケージに採用される、コーシンのアイキャッチだ。

興真牛乳のノベルティーコップ(昭和40年代)興真牛乳のノベルティーコップ(昭和40年代)

たぶん一時は引退の危機もあった。平成20年前後、公式サイトはピロコの画像を撤去。さらに軽量新瓶の導入で装飾を簡素化、ビンからも姿を消す。

どっこい近年の商品リニューアルでシュリンク包装に再デビュー。ピロコおすすめコーシン牛乳サブレは新展開。


画像左:ゴールデン興真牛乳のノベルティーコップ(昭和40年代)

本項掲載のコーシン牛乳200cc青瓶は二代目。上掲コップが初代のピロコ。左右反転、3本指のコミカライズを直した違いがある。レトロな魅力を再認識か、平成23年頃にはウェブに堂々復活、専用ページ「ピロコの部屋」で不思議な名前の由来も明らかに。

piroko.gif
昔、乳性飲料に、「ピロコ」という(カルピスのような)商品があり、その商品に初めてこのキャラクターが登場しました。コップで牛乳を飲むその姿はまるでピッコロ(楽器)を吹いているよう…? ピッコロ → ピロコになった…とされています。この商品以降、当社のメインキャラクターとして、牛乳をはじめとした様々な商品に登場していきます。(⇒ピロコの部屋・名前の由来/公式サイト)

古瓶は「ガンヂー種」の標示が特徴的。乳質・風味濃厚なガンジー乳混合の「ゴールデン牛乳」ほか、長く商っていた証だ。(⇒ゴールデンミルクとは?/ガンジーファーム)

◆現行ビン商品・掲載瓶の意外な出所

今は瓶装のアイテム全てを、外部調達で賄う。コーシン牛乳/ゴールデン/カルキープ/コーヒーの4種(180ml)は、協同乳業(名糖牛乳)。「低温殺菌牛乳」(200ml)は東毛酪農協、「草原の朝」(720ml)はタカハシ乳業への製造委託品だ。

掲載の旧字体・興眞(1)(2)番瓶は、解体業者さんが取り壊し家屋の縁の下で発見。興真(4)番は三宅島農協さん残存ビン群に混入の一本。往時の旅客持ち込みと思う。

(5)番はコーシンと無縁な大手乳業の関東拠点に山積み、誤回収の長期放置か。リサイクル業者さんが引き取り、ガラス再生工場にサンプル送付。これを望外のご好意で頂戴できた。印刷瓶はインクに金属成分を含むため、他と分けて処理されたという。

― 関連情報 ―
興真乳業の紙栓 (牛乳キャップとは)
同・紙栓(1) / (2) / (3) / 同・習志野工場 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
同・紙パック製品 (愛しの牛乳パック) / コーシン牛乳 200mlビン (ミルクトラベラー)
ガーンジー島-牛とセーターとタックスヘイヴンの島 (フォートラベル)


創業> 明治39年、興眞舎牛乳店として
設立> 昭和2年、興眞牛乳(株)として
昭03> 千葉郡大和田町(現・八千代市)に習志野牧場を新設
昭09> 古谷精一/東京府東京市小石川区氷川下町34
昭11> 興眞牛乳(株)・古谷精一/同上
          同・特別牛乳工場・古谷吉造/牛込区市ヶ谷山伏町5
          同・特別牛乳牧場・古谷吉造/江戸川区一之江440
昭20> 都下拠点は空襲により焼失・習志野牧場の大半を農地解放で喪失
昭25> 習志野牧場の残余敷地にミルクプラントを開設して事業を再開
昭29> 大和田町は隣村と合併して八千代町となる
昭30> 興真乳業(株)へ改称

昭31> 興真乳業(株)/千葉県千葉郡八千代町大和田135
昭34〜41> 興真乳業(株)八千代工場/千葉県千葉郡八千代町大和田新田135
昭42> 八千代町は市制施行して千葉郡より離脱
昭42〜平13> 同上/千葉県八千代市大和田新田135
電話帳掲載> 同上
公式サイト> http://www.koshinmilk.co.jp/

処理業者名と所在地は、牛乳新聞社「大日本牛乳史」・「日本酪農史」・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成19年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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