昭和31年、県東部の諸組合が団結、三原市に新工場を作り、統一ブランド「ニコニコ」で商い始めた地場連合メーカーさん。地元消費者はとにかく、耳慣れない余所者には不思議な銘。岡山のオハヨー牛乳と同様、まるで物語上の架空の商品名のようだ。
中国酪農協同(株)の新設、平成初年の製品事故、全酪連による会社再建…幾多の流転を経て、現在は山陽乳業(株)となっている。
ニコニコから山陽の時代まで、昔ながらの紙栓+ポリフード+印刷瓶装を堅持。平成21年に瓶詰めラインを廃して以降の瓶装は、やまぐち県酪乳業(⇒シモラク牛乳)へ委託。先方設備に拠り、プラ栓+シュリンク包装+軽量新瓶に切り替わった。
・180cc新瓶⇒山陽牛乳 180mlビン (牛乳トラベラー)
・200cc旧瓶⇒おふろやさんドリンク 牛乳編その5
(銭湯に行こう)
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画像上:ニコニコ牛乳・吉岡販売所(三原市)・早朝の配達準備の様子…昭和55年の教育映画「あすへ走る車」(科学映像館)より。静音性が住宅街の配達に好適、最初期の電気トラックの活用例として紹介されていた。Googleストリートビューには35年後の同店舗の姿が写っている。
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◆東部酪連・ニコニコ牛乳の始まり
一帯では零細経営に対し不安感が強く、大きな連帯を望む気運が高じていた。昭和31年「広島県備後集約酪農地域」政府指定を契機に各団体が相計り、広島県東部酪農業協同組合連合会を発足。中核は三原酪農協さんだった。
連合会は3市4郡(三原・尾道・因島・御調・世羅・豊田・賀茂)にまたがる諸組合の市乳処理場や集乳所を継承。32年、三原市に集約基幹工場たる新鋭プラントを落成。メンバーの出荷生乳を全部引き受け、「ニコニコ(印)牛乳」の販売に乗り出す。
全容は不詳ながら、設立時に御調酪農協さんほか複数の酪農専門農協が加盟。のち福山酪農協、因島酪農協(もと重井農協・酪農部会)、世羅郡酪農協(世羅郡畜産農協連)、そして河内町農協さんも合流した大所帯だ。
◆ニコニコと全酪連の牛さんマーク
とぼけた表情の牛さんマークは全酪連(ゼンラク牛乳)の商標で、これに東部酪連の独自ブランド「ニコニコ」が加わり、ひょうきんな印象がパワーアップ。何とも愉しい。
東部酪連は昭和33年、全酪連に団体加入。全酪は三原工場の操業応援・技術指導にあたる。後年の中国酪農協同にも資本参加し、新しいミルクプラントの設計を指南。両者の協力関係が、ゼンラクのシンボル導入の背景だ(採用時期は不詳)。
同じく全酪連系統会員の鹿児島県・川内市酪農協さんは川酪ニコニコ牛乳を商うなど、どんな経緯・取り扱いなのか、遠隔地に不思議な傍系も生まれた。
◆福山新工場の撤退と系列化の固辞
昭和35年、生産漸増に応じて第二工場(福山新工場、福山市西神島町)を開くが、若干勇み足、運営に難渋したと見える。翌36年には雪印乳業と事業提携(福山の施設貸与)を結び、ニコニコと雪印の並行生産・併売が行われた。
雪印は同年中にこの拠点を買収、新・福山工場と位置付け。先年傘下に収めた広谷農協(広谷酪農協)の旧・福山工場(府中市鵜飼町)から什器を移転・拡充し、昭和50年まで操業。東部酪連は福山を早々に撤退、三原に集中することとなる。
ドタバタの状況に前後して、雪印ほか大手乳業メーカーは全面売却・系列化を打診。どっこい東部酪連はニコニコを手放さず、農系プラントの牙城を三原に守り続けた。
◆全額農民資本・中国酪農協同の新設
紆余曲折を経て軌道に乗った経営は、やがて日産15万本(一合瓶換算)の急激な規模拡大に直面。応急措置で凌いできた工場用地や組織体制の限界が浮き彫りに。
東部酪連は抜本的対策のため、組合の市乳事業を分割、企業化を検討。広島県酪連および全酪連の出資を得て、昭和46年に中国酪農協同(株)を設立した。新会社はニコニコ牛乳を続投も、49年以降、主力銘柄は「酪農協牛乳」へ変わっていく。
◆全酪山陽乳業への転身
好調の同社に深刻な危機が訪れる。平成3年、苛性ソーダ(洗浄剤)の製品混入、翌4年は大腸菌群汚染のヨーグルトで行政指導。回収・出荷停止が間に合い、食中毒発生の事態は免れた。とはいえ不祥事2連発、糾弾報道は避けようがない。
県衛生部はヨーグルトの製造禁止を命じ、学校給食向け牛乳は自粛。その他顧客の取引撤回も相次ぎ、ついには処理全般を断念に追い込まれ、万事休す。東部酪連は自力復活を諦めて経営を退き、全酪連に会社再建を委ねる。
ゼンラクは役員の更迭、株式増資、設備改善を進め、平成4年、全酪山陽乳業(株)に社名を変更、操業再開。メインブランドを「山陽牛乳」とし、牛さんマーク・ニコニコの名前は商品から完全に消える。悪印象と決別したかったのだろう。
◆ゼンラク牛乳水増し騒動で山陽乳業へ
旧弊を改め出直しの結果、売り上げは徐々に回復。このころ酪農事情は大変動。平成6年、長期検討のすえ、県下18の専門農協が広域合併に至り、広島県酪農業協同組合を結成。翌7年には東部酪連、広島県酪連の事業全部を吸収した。
そして平成8年3月、全酪連は新潟・長岡工場での牛乳水増し事件が発覚、食品スキャンダルの渦中に落ちる。巻き添えのイメージダウンを避けるためか、全酪山陽乳業は同年7月、「全酪」の字を削って「山陽乳業(株)」と商号変更した。
11月、ゼンラクは直営の市乳処理部門を、自ら新設のジャパンミルクネットへ移管。平成15年には日本ミルクコミュニティ(現・雪印メグミルク)に統合。中国酪農協同を衣替え・再建した指導者もまた、苦渋の出直しを味わう羽目になっている。
◆広島県酪農協・地元経営に回帰
上記改廃や乳業再編のうねりは山陽乳業にも及び、平成17年、全酪連は筆頭株主の座を広島県酪農業協同組合に委譲、経営主体は再び地元の農系資本に還った。
現在、山陽乳業は広島県酪農協の子会社(持分66%)で、引き続き一部(26%)を保有する全酪連の関連会社だ。商い銘柄は「山陽牛乳」と「らくのう牛乳」。また、平成9年に広酪へ合流した県北部酪連の「げんき牛乳」製造も手掛けていた。
― 関連情報 ―
学校給食だより 第77号
(広島県学校給食会)
中国酪農協同・山陽乳業の紙栓(1)
(2) (3)
(牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
同・紙栓
(牛乳キャップとは) / ニコニコ牛乳の販売店 (QP blog)
ニコニコ牛乳の宅配受箱(1)
(2)
(むにゅ’s のぉと) / 同・宅配受箱
(牛乳箱を訪ねて)