おまけカードを50点分集めて、カバヤ文庫をもらおう!カバヤキャラメルの大ヒットに沸くカバヤ食品が、原料練乳の自給を目指し、昭和28年に大日本乳業を設立。同31年、オハヨー牛乳を発売。今や県下最大の地場メーカー、飛躍的な発展を遂げている。
◆練乳不足から始まった乳業部門
往時のカバヤ食品は全国的なキャラメル景気に乗って、明治・森永の両製菓へ肉薄も、練乳は他社からの仕入れに依存。需要期は売り惜しみに遭い、充分量を確保できない状況が頻繁に起こった。結果、自家生産・完全自給を目指すことになる。
カバヤは敷地内に加工場を建設。練乳会社立ち上げの抜擢要員は、県外のミルクプラント(東洋乳業広島工場の前々身、安芸酪農協?)で約半年間の研修を受け、昭和28年、カバヤお抱えの練乳屋さん・大日本乳業(株)が発足した。
◆練乳たぶつき苦境にあえぐ
とはいえ県南の酪農地帯は大手乳業の支配下、生乳調達は容易でない。争奪戦・交渉合議を重ね、旭東酪農協(邑久郡豊村)との大型取引が決まり、ようやく安定。大日本乳業は所期の目的に従って加糖練乳を製造、カバヤにどんどん送り始める。
ここで肝心のキャラメルが大コケ。類似品の百出、市場飽和で伸び悩み、間もなく膨大な余剰在庫を抱える窮地に。カバヤに頼んで練乳使用量の多い高級キャラメルや、HIPPO(カバ)印のコンデンスミルクを発売してもらっても、全く売れなかった。
画像右:オハヨー牛乳・バターの広告(昭和33年)…カバヤの製乳工場がおくる逸品!写真は(1)番瓶。 |
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画像左:オハヨー牛乳の発売予告広告(昭和31年)…紙フード冠帽。「初めてわが国にお目見えした完全密封ワイヤーシール壜詰(針金を軽く引くだけで簡単に栓がとれます)」との説明。 |
◆事業転換・オハヨー牛乳の大成功
かくて練乳専業の道は早々に塞がり、事業転換を迫られる。生乳は日々大量に受け入れる生モノだから、市乳化は必然の流れだ。昭和31年、乳業としての自立・オリジナルブランドの展開を期して、「オハヨー牛乳」の売り出しが始まった。
個性的な銘はカバヤ宣伝部の考案。県外資本の本格進出に先んじた、岡山随一の最新鋭ミルクプラント、ホモジナイズ処理、広告宣伝の大量投下で、たちまち人気を得る。
滑り出しは日産2万本を完売、手応えありと踏んだ大日本乳業は、32年、オハヨー乳業へ改称。操業数年で一日5万本規模に達し、ラインナップも順次拡張。昭和35年までにスーパー牛乳、フルーツにチョコレート、ビタミン牛乳といった定番を揃えた。
画像上:カバヤ食品と大日本乳業(オハヨー乳業)のペア広告(昭和32年・33年)
(2)番瓶が載っている。オハヨー牛乳が1本13円、オハヨースーパーが15円の時代だ。 |
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画像上:カバヤ食品とオハヨー乳業のペア広告(昭和34年・35年)
写真は(3)番瓶に交代しているようだ。カバヤ食品はキャラメルの紹介が続く。 |
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画像上:カバヤ食品とオハヨー乳業のペア広告(昭和36年・37年)
この頃まで紙フード・ワイヤーシールの封緘。カバヤは粉末ジュースの宣伝が登場。 |
◆商圏の拡大・諸メーカーの合流
特に昭和30年代は学校給食牛乳のスタートや、消費拡大キャンペーンほか世相の後押しもあり、オハヨーは順調に商圏を拡大、大手に負けない確固たる存在感を示す。
県下では自家処理をやめ、オハヨー牛乳の販売店になる事業者も多く現れた。倉敷の大熊酪農場(大熊乳業)、金藤牧場(キントー乳業)、橋野牛乳に加え、岡山市の岡山牛乳(株)などが独自ブランドを廃止、オハヨーの看板へ切り替えている。
◆本社・工場の移転と首都圏進出
昭和41年、業容拡大のすえ手狭になったカバヤ食品の庇から巣立ち、自社工場を岡山市神下に落成。この年に新発売した乳酸菌飲料「ママイ」(カバヤに同名の菓子があった)は3年間で三千万本超を出荷の大ヒットを飛ばし、前途洋々の船出だった。
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画像上:オハヨー乳業の初期製品…紙フードからポリフードに変わったビン製品(昭和39年)、「オハヨーママイ」(41年)、ストロー付きブリックパック(55年)、ゲーブルトップ型紙カートン(48年)。 |
しかして収支は創業以来初の経常赤字を記録。新工場建設の影響はもちろん、カバヤに居た頃は電気・蒸気・施設の維持管理を賄ってもらえる居候の身。一人暮らしを始めた途端、それら本来の必要経費が降って沸いたようなものだったという。
現在の製造拠点は神下の本社工場を筆頭に、アイテム多角化の役割を担う長船工場(瀬戸内市・昭和38年開設、ヨーグルト・プリン・紅茶類)と、関東工場(茨城県鉾田市・平成元年開設)を擁し、首都圏市場にもデザート系の乳製品を供給する。


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| ◆現行ロゴへの移行と瓶装の改廃
上掲(1)(2)番瓶は大日本、(3)番以降がオハヨー乳業世代。(4)番から登場する小悪魔っぽいキャラ(パンマーク)の採用は昭和39年。シンプルな社章(二つ輪マーク)はいつしか廃止された。
画像左:パンマークと現行ロゴ…後者は爽やかな朝のブルー、元気な若葉、未来に伸びる「A」をイメージ。製作はデザインオフィス・シュガーポット。 |
従前は牛乳・チーズ・ヨーグルト、商材ごとに異なるブランド・マークを用い、商標は不揃いに推移。昭和60年、CI導入で古いロゴを一掃、トレードマークを一本化する。この際に(5)番瓶は引退、現行ロゴ採用の(6)番瓶へリニューアルした。
平成期、宅配と小売は180cc赤瓶、学校給食は標準食品構成表に基づく200cc青瓶…の使い分けを経て、平成22年「環境への配慮と安全性向上」を目指し、プラ栓・シュリンク包装・無地の軽量新瓶に移行。紙栓と印刷瓶装を廃止、現在に至る。
◆半獣半神の妖精・パンマーク
ギリシャ神話に登場する牧羊神・パーン(Pan)をモチーフにした、かつてのオハヨーの顔。名前をパンマーク(パン坊や)と呼ぶ。
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画像上:オハヨー牛乳の広告(昭和40年)…(4)番瓶がお目見え。<パン>のマークの説明がある。「たくさんの眼」が品質を厳しくチェックの趣旨。ちょっと怖い。 |
パーンは羊や羊飼いを守る牧畜・農牧の神。原典では上半身が人間の男、額に二本の角を生やし、下半身は山羊。半獣半神の妖精だ。手に持つのは角笛でなく、シュリンクス(パンフルート)。いわゆる葦笛(あしぶえ)らしい。
◆パニックの神様・パンマークの引退
酪農・乳業と縁がありそうで、イメージ的にはぴったり、のはずだったが…人々を驚かせるイタズラ好き、パニック(Panic)の語源という曰く付きの神様でもある。20年以上使ったパンマークの続投を、オハヨー乳業が見合わせた理由のひとつだ。
なお、200cc瓶のパンマークは少なくとも2種類を確認できる。180cc時代と同じ絵に加え、顔の輪郭・表情を微妙に簡素化したタイプがあり、本項掲載は後者のデザイン。葦笛の唄口(ベック)部分が口元に突き出していない所が分かり易いと思う。
― 参考情報 ―
「キャラメルのクーポン」の巻 (まぼろしチャンネル)
給食・宅配向けのビン牛乳が変わります / 岡山県は85.1% (オハヨーブログ)
オハヨー牛乳 / オハヨー牛乳、瓶を軽量化 (ジャンボフェニックス)
― 関連情報 ―
オハヨー乳業の紙栓(1) (2) (3) (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
同・紙パック製品 (愛しの牛乳パック) / オハヨー牛乳の木箱 (古今東西舎)
続・カバヤ文庫『鮮血のモヒカン族』 (ホームズ・ドイル・古本 片々録)