小林牛乳 (1)小林牛乳 (1) 小林牛乳 (2)小林牛乳 (2)
小林牛乳 (1)

小林牛乳店
長野県埴科郡戸倉町1445
石塚硝子製・市乳180c.c.側面陽刻
昭和30年代初期
小林牛乳 (2)

小林牛乳店
長野県埴科郡戸倉町1445
石塚硝子製・市乳180cc底面陽刻
昭和30年代初期〜中期

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明治後期の創業以来、およそ70年に渡って商われた、県北のローカル銘柄。昭和40年代に自家処理より撤退され、ブランドは消滅。現在は八ヶ岳乳業雪印メグミルク明治乳業製品ほかを取り扱う販売店さん、ミルクマーケットとして営業中。

掲載の2本は昭和30年代のオリジナル。流星に腰掛ける天使、可愛らしく跳ねた字形はまるで童話の世界。同じ長野県下のオブセ牛乳さんとも通じる雰囲気だ。このレトロな図案は近年トレードマークとして看板宅配保冷箱に復刻されている。

◆足袋職人から牛飼いへの転身

初代の仔牛一頭に始まる牧歌的な創業エピソード(公式サイト)が面白い。「戸倉精養舎・小林牛乳搾取所」「戸倉ミルクプラント」など、過去商号の変遷も分かる。

足袋職人だった小林小一郎氏が、知人の誘いに応じて仔牛一頭を買い取り、本業の合間に育て上げる。種付けを行い、泌乳期に入った親牛から搾った乳を、試しにご近所へお裾分け、これが大評判。とうとう牛乳屋さんを開いたのだという。

郷土史には、大正11年の戸倉村に乳牛8頭、導入は明治末で牛乳販売もあった、と記録される。事業者の名前は出ていないが、小林牛乳さんの存在を示すものだろう。商いは少しづつ伸び、乳牛を順次増頭した経過を見て取れる。

◆戦後は商協組・晩年は会社法人を設立

販路は地元の各戸宅配に加え、近在の戸倉上山田温泉の旅客需要が多く、掲載(2)番瓶には上山田にあった支店(直営販売所)の電話番号も載っている。

大手紙器加工メーカーの資料室で確認した昭和20〜30年代の牛乳キャップは、「小林の牛乳<戸倉>埴科牛乳商業協同組合」の標示。往時は県下のトレンドだった商業組合を組織し、協業体制を採った?ようだ。(⇒関連:山本牛乳

経緯不詳ながら最晩年に高原乳業(株)を設立、「高原ホモゲ牛乳」の銘に転換。[MILK CAP〜牛乳ビンのふたの本](平成14年・きんとうん出版)にその頃の紙栓が載っている。銘は違えど、小林時代と同じ天使のイラストは健在だった。

◆自社製造より撤退・雪印販売店へ

大手メーカーの進出、市況変動を受け、昭和47年前後に工場を閉鎖。以降は雪印ブランドを中心に取り扱うベンダーに転換。(⇒関連:長野牛乳

いっぽう温泉街は企業の団体客で賑わい、最盛期は年間130万人が来訪の活気に沸く。ホテル・旅館相手の卸しが増え、乳類の売り上げは絶好調。ところが平成に入り、嗜好の変化で宿泊客は激減。宅配サービスに傾注の方針を採った。

平成12年に代替わり、「ミルクマーケット」の店名を掲げ、まき直しも束の間。雪印の集団食中毒事件が発生、その煽りで多数の得意先を失う。廃業寸前に追い込まれたが、顧客との繋がりを意識した営業努力で復活を遂げ、今なお当地に商いが続く。

― 謝辞 ―
ミルクマーケット様より現況についてお知らせ頂きました。

― 参考情報 ―
小林牛乳 / 信濃毎日新聞 (ミルクマーケット公式ブログ)


創業> 明治37年
昭31> 小林ミルクプラント・小林幸親/長野県埴科郡戸倉町1445
昭34〜40> 小林牛乳店/同上
昭41〜44> (有)小林牛乳店/同上
昭46> 高原乳業(株)/同上
平15> 戸倉町は周辺自治体と合併し、千曲市となる
電話帳掲載> ミルクマーケット/長野県千曲市大字戸倉今井1431-2
自家処理撤退・独自銘柄廃止> 昭和47年前後
公式サイト> http://www.milkmarket.biz/

処理業者名と所在地は、全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成19年時点。電話帳の確認は平成19年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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