観光地・保養地として名の知られる、軽井沢のローカル銘柄。往年の地元農協さんが商うも、昭和30年代末期には市乳事業より撤退。操業期間はごく短く、組合は平成期の合併で呼称も変わり、今や記憶に留める人は少なそうだ。
往時の処理量は夏の最盛期で日配6千本ほど。組合員の生乳生産では需要を満たせず、明治乳業長野工場より原料乳を補充してもらう協力関係にあった。ご近所の小林ミルクプラントさんも夏場は不足を来たし、協同乳業(名糖牛乳)の支援を受けている。
◆キャベツと氷と牛乳と
明治初期には既に著名な避暑地。海外観光客も珍しくなかった稀有な土地柄。外国人別荘地の需要に応じ、県下初のキャベツ(甘藍)栽培が始まり、全国有数の高原野菜産地を形成。かつては製氷(天然氷の製造)も盛んに行われた。
明治〜昭和初期の日本において、牛乳は幼児・病人の栄養食・高級な嗜好品。それに比べれば軽井沢は乳製品を売りやすい地域、相応のニーズがあったはずだ。しかし古くより馬の育成が中心で、積極的な乳牛導入の記録はあまり出てこない。
男爵芋で有名な川田龍吉氏は明治35年、軽井沢の別荘に農場・牧場を併設したが、乳肉とも売上不調で大正4年に撤退。本格的な酪農は戦後になってから。本項の軽井沢農協さんが有畜農業を推進し、牛乳処理場を建設して以降の話らしい。
◆平成期の合併・掲載瓶について
農協独自の牛乳工場経営は早々に打ち切られたが、酪農の営みは絶えず続き、現在は佐久浅間農協として長野牛乳や信州ミルクランド(協同乳業系列)への原料乳出荷を手掛ける。(⇒農産物・生産者情報-牛乳/JA佐久浅間)
掲載は旧式のぼってりした五合瓶。当時流通の絶対量が少なく、残存も稀な貴重品ではあるものの…収集家にとっては場所喰いで保管に困る逸物だ。同種のビンは山形・鹿野牛乳と、鳥取・鴨川牛乳さんのものを掲載している。
― 参考情報 ―
軽井沢タイムス・各号 (軽井沢町立図書館デジタルアーカイブ)