八重樫牛乳 (1)八重樫牛乳 (1) 八重樫牛乳 (2)八重樫牛乳 (2)
八重樫牛乳 (1)

八重樫農場
岩手県花巻市轟木12-31
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期
八重樫牛乳 (2)

八重樫農場
岩手県花巻市轟木12-31
新東洋硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期〜後期

八重樫牛乳 (3)八重樫牛乳 (3) 八重樫牛乳 (4)八重樫牛乳 (4)
八重樫牛乳 (3)

八重樫農場
岩手県花巻市轟木12-31
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期〜後期
八重樫牛乳 (4)

(名)八重樫農場
岩手県花巻市上諏訪422
東洋ガラス製・正200cc側面陽刻
昭和50〜60年代

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戦後の創業以来、約70年に渡って市域に商われる、現役の地場メーカーさん。ちょっと癖のある、力強いロゴタイプが印象的。 今はヨーグルトのみ自家製造。飲用乳は平成15年から大石乳業さんに委託。八重樫オリジナル瓶+大石キャップでの運用だ。

主要な販路は花巻・北上両市の学校給食と、病院・老人施設への卸し、宅配も若干。着手期は不明ながら、遅くとも平成の頃には社業に木工・製材が加わっている。

◆掲載びん・生乳処理の変遷

赤瓶は昭和30〜40年代に流通の2世代。ホモヂナイズ(均質化)の宣伝がウルトラ殺菌(UHT・超高温瞬間殺菌)のアピールへ変わる様に、往時の乳業界のトレンドが見える。

200cc移行後の青瓶は公正競争規約に対応済み。前面の銘柄標示を商号表記に改め、陳腐化した「均質牛乳」の強調を廃止。現行ビンも同様デザインを継承する。紙パック製品は「牛乳星めぐり」のブランドを展開。個性的な構えで存在感は抜群だ。

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画像上:八重樫農場の製品集合写真(平成16年頃)…旧公式サイトより。コーヒー、デラックス、ヨーグルトのビン詰めは終売。今も残るのは白牛乳の紙パックと瓶装、紙カップ/ブリキ缶(1kg入り)のヨーグルト。

◆八重樫家と諸事業について

岩泉・八重樫家は、県下畜産史に名を残す先達。遡って明治4年、八重樫市右衛門氏は民部省勧農寮がアメリカより輸入した短角洋種牛の配布を受け、南部牛と交配し改良に取り組み、また別途ホルスタイン種の買い付け・繁殖も手掛けた。

一灯照隅 歴史 (龍泉 八重桜) / 泉金物産社長 八重樫義一郎氏 (ナリケンがゆく)

明治中期に至り、市右衛門氏は盛岡市内に「開養舎」を興し、又蔵氏らと共に搾乳販売に臨む。のち八重樫長吉氏の「元倉牛乳店」がその営業を引き継いだようだ。

昭和初期は盛岡内丸の長吉氏に加え、岩泉町に長八、良八、徳次郎の各氏、岩手郡沼宮内町の庄五郎氏ほか、八重樫一族と思しき牛飼い・牛乳屋の痕跡が多い。本項メーカーを含め、各々の関係は分からないが、どこかで繋がる所はありそうだ。

◆岩手牛乳からの独立?

昭和12年、盛岡と近郊の搾乳業者17軒が、岩手牛乳販売購買利用組合を結成。ここに八重樫長吉氏も参画したらしい。組合は昭和25年に企業化、現在の(株)岩手牛乳となる。

八重樫牛乳は同年の創業。経営変動に際し、八重樫氏は脱退・独立、花巻に新拠点を求めた…のかも知れない。八重樫牛乳のロゴは岩手牛乳の旧瓶装に瓜二つで、そんな経緯があったとすれば、古巣のイメージを借りた字形ということだろう。

― 参考情報 ―
(名)八重樫農場 (花巻地域データブック) / 八重樫 (乳業探訪記)
八重樫農場の紙栓 (牛乳キャップとは) / 同・紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
八重樫牛乳 星めぐり・ミルキーウェイ (Tabacoya / 田葉子屋)


創業> 昭和25年
          ※資料によっては「創業:昭和22年、設立:昭和25年」、あるいは「創業:昭和27年」とも
昭31> 八重樫礒/岩手県花巻市轟木12-23
昭34> 同上/岩手県花巻市轟木12-31
昭36> 八重樫牛乳/同上
昭39〜52> 同上/岩手県花巻市上諏訪422
昭53〜平13> (名)八重樫農場/同上
電話帳掲載> 同上
公式サイト> http://www1.ocn.ne.jp/~milkkobo/ ※運用中止

処理業者名と所在地は、全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成24年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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