グリコ牛乳 グリコ牛乳
グリコ協同乳業株式会社
東京都昭島市武蔵野2-14-1(東京グリコ乳業/旧グループ本社)
www.glico-dairy.co.jp ⇒ www.glico.com (江崎グリコ株式会社)

キャラメル依存の単品経営を脱すべく、「グリコ百年の計」に製酪部門(乳原料の自給)を求め、明治・森永を追った第三の製菓資本。「グリコ乳業」「グリコ栄養研究所・乳業部」「グリコ東海乳業」を経て昭和31年、創業者の故郷・佐賀に地場酪農組合との共同出資でグリコ協同乳業(株)が誕生、市乳事業へ本格参入した。以降、酪農振興を旗印に地域会社を次々設立。昭和41年、全国7社をグリコ協同乳業(株)に統合。平成12年にグリコ乳業(株)へ改称。25年の構造改革で各工場は再独立・分社化に至る。


グリコ牛乳 (1)グリコ牛乳 (1)グリコ牛乳 (2)グリコ牛乳 (2)グリコ牛乳 (3)グリコ牛乳 (3)
グリコ牛乳 (1) (2) (3)

日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代初期

石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期〜後期

石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和41〜43年頃

グリコ牛乳 (4)グリコ牛乳 (4)
グリコ協同乳業のパンフレット(東京市場向け)・グリコ牛乳<健康>(昭和40年代中期)

画像上:グリコ協同乳業のパンフレット(東京市場向け)・グリコ牛乳<健康>(昭和40年代中期)…「原乳は那須高原で搾られた新鮮な牛乳を主体に厳選」。紙パック前面には、内容量が一合ビン何本分かを示すアイコンを添えてある。
グリコ牛乳 (4)

広島硝子工業製・正200cc側面陽刻
200cc移行期〜昭和50年代

グリコ牛乳 (5)グリコ牛乳 (5)グリコ牛乳 (6)グリコ牛乳 (6)グリコ牛乳 (7)グリコ牛乳 (7)
グリコ牛乳 (5) (6) (7)

石塚硝子製・正200cc側面陽刻
昭和40年代中期〜後期

山村硝子製・正200cc側面陽刻
昭和40年代後期〜平成4年頃

山村硝子製・正200ml側面印刷
平成5〜12年頃

<ロゴマーク・ブランドの変遷>

ゴールインマーク(ランニングマーク)、片仮名/アルファベットの社名ロゴ、ともに江崎グリコの策定を踏襲。グリコ協同乳業の独自CIは未確認。同じく練乳・粉乳確保のため乳業に進出した明治製菓や森永製菓では、乳業側が自らのキャラクターを色々作っていた。しかしグリコは広告展開について、グループ全体の足並みを揃える方針だったらしい。

景品の牛乳コップに、その傾向が良く表れている。明治のミルク坊や、森永のホモちゃんに対抗したのは、「鉄人28号」「遊星少年パピイ」「ロボタン」など、当時グリコがスポンサーになったアニメ番組である。これらは江崎グリコの菓子製品キャンペーンとも繋がり、製菓・乳業が同じマスコットを用いる連動型の宣伝活動だった。

平成4年の全面刷新後・現行ロゴマーク旧ロゴ(2世代)、四代目ランニングマーク(昭和28〜41年)、五代目(昭和41〜46年)、六代目(昭和46年〜平成4年)
画像左:平成4年の全面刷新後・現行ロゴマーク
画像右:旧ロゴ(2世代)、四代目ランニングマーク(昭和28〜41年)、五代目(昭和41〜46年)、六代目(昭和46年〜平成4年)

マークの変遷は、江崎グリコの公式サイトにあったゴールインマークの歴史(IAキャッシュ)に詳しい。初代は「顔が怖い」の不評で引退、二代目はオリンピック選手の快活な姿を参考に描き直した…とか、牡蠣の煮汁から抽出した栄養素グリコーゲンがグリコの由来…というのは、既に良く知られたエピソードと思う。

(3)〜(5)番瓶の五代目、(6)番瓶の六代目、(7)番瓶の当代…は揺るぎないが、(1)(2)番瓶に登場する四代目ゴールインマークは、印刷精度が低く線も潰れがち。商標の完全な統一もされておらず、特に(1)番は三代目(昭和20〜28年)の髪型と四代目のボディーを組み合わせたような絵になっている。

江崎グリコ創立70周年、「全社変革運動」の一環、平成4年のロゴ変更が大きな節目。(7)番瓶、斬新な筆記体のglicoでイメージ刷新、ともすれば古臭い…の判断で消えてしまいそうなバンザイマンは、むしろ若返って堂々の現役だ。ただ、現行の牛乳瓶や牛乳キャップには、ゴールインマークの標示が無くなって久しい。


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<瓶の世代と流通時期> (加工乳・色物・ジュース等の専用瓶を除く)

(1)(2)番瓶は地域会社の勃興時代、(3)〜(7)番はグリコ協同乳業に束ねられた昭和41年以降の流通。ビンは全拠点同じものを利用。古い空き瓶の残存は、大型工場が早期にできた九州・中国方面に多い。

赤刷りメインの白牛乳瓶装に異彩を放つ(4)番の200cc青瓶。往年の新規ブランド「健康」シリーズ向けで、濃厚系加工乳「グリコG牛乳」の瓶装も兼ねており、外見はポリフード色分けで区別。後継(5)番瓶より再び赤色に戻った。

グリコ協同乳業のパンフレット/表紙・裏表紙(昭和40年代初期)グリコ協同乳業のパンフレット/乳製品一覧(昭和40年代初期)
画像上:グリコ協同乳業のパンフレット/表紙・裏表紙と、乳製品一覧(昭和40年代初期)

大変動は平成4年。筆記体glicoほか各種ロゴを一斉にモデルチェンジ。グリコ乳業へ改称の平成12年、独特な瓢箪ビン(IAキャッシュ)に移行。この時ゴールインマークは姿を消す。走ってどこかへ行ってしまったか。間もなく商号の印刷標示も削除、完全無地と化し、のち平成26年頃に汎用の軽量新瓶を導入した。(⇒現行ビン製品/公式サイト)

昭和50年代後期、熊本工場以外の瓶装ラインを廃止。以降のビン牛乳は中国・九州地方の流通に限られ、全国的には馴染みが薄い。平成15年に熊本工場を閉鎖してからは、佐賀工場で瓶詰めグリコ牛乳の生産を続けている。

同業大手のなかで唯一、グリコ乳業には自らの社史がない。総本山・江崎グリコの[創意工夫・江崎グリコ70年史](平成4年・同社刊)にも、ダイジェスト的な来歴記載あるのみだ。抜群の知名度を誇る乳業ながら、まとまった過去史は得にくい。


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<市乳事業の歩み・全国工場の開設と変遷>

かつてグリコは競合の製菓系列・明治乳業森永乳業から原料を仕入れており、自社の規模拡大につれ調達に不安を生じた。市乳事業への本格参入は昭和31年、佐賀県(江崎グリコの創業者・江崎利一氏の出身地)に「グリコ協同乳業(株)」設立によるが、製菓専業だったグリコの乳業分野開拓にはいくつか前史がある。

遡って昭和22年、「グリコ乳業(株)」で原料の自家生産に暫定着手。27年、飲用乳進出を計る「グリコ栄養研究所・乳業部」を置く。そして佐賀より一足早く昭和30年に、岐阜県鳥羽市の練乳製造工場を「グリコ東海乳業(株)」となし、中規模ミルクプラント附設のうえ、グリコ牛乳の最初期テスト販売に及んだ。

昭和41年、各地の分社化工場をグリコ協乳に統合。その7社の勃興と変遷を以下にまとめる(工場落成順・法人格省略/すべて後株)。前記の通り平成12年、グリコ乳業への再編を経て、平成25年に再度の工場分社化を実施した。

グリコ東海乳業(岐阜県羽島市桑原町)
昭和30年設立、長良川酪農農協(共営牧場)との合弁会社・共栄牛乳が母体。組合側で起業に臨んだのが江崎利一氏の知人で、当初は後援の格好でグリコ資本を入れ、商標の利用を許可したという。
●岐阜市六条に移転(S32〜33)⇒グリコ協同乳業・岐阜工場(S41)(東海事業部)
   ⇒工場改造のうえ、グリコ岐阜アイスクリームに転換(S42)⇒岐阜グリコに改称(S49)⇒解散・閉鎖(S62)
●グリコ東海乳業・安八工場(安八郡安八町)を増設(S40)⇒グリコ協同乳業・安八工場(S41)(東海事業部)
   ⇒東海工場から岐阜工場に改称(S40〜50年代)⇒グリコ乳業・岐阜工場(H12)⇒岐阜グリコ乳業(H25)
グリコ協同乳業(佐賀県佐賀市上多布施町)
昭和31年設立、県下酪農諸団体(県経済連)と共同出資。グリコ協乳の発祥地・旧本社。当初は江崎グリコ・九州工場に同居、製菓原料を直接供給。佐賀郡大和町への移転は天山脊振山系集約酪農地域の基幹工場として、県・自治体の招致。
●佐賀郡大和町に工場を新設(S37)⇒上多布施町の同居工場を廃止(S39)
   ⇒グリコ協同乳業・佐賀工場(S41)(九州事業部⇒西日本事業部)⇒グリコ乳業・佐賀工場(H12)⇒佐賀グリコ乳業(H25)
●グリコ協同乳業・福岡工場(福岡市諸岡、現・博多区)を増設(S33)⇒閉鎖(H2〜3)
   ※日本酪農協同・住吉工場(福岡市因幡町、前身は東洋カーネーション酪農)の諸権利を買収して進出
●福岡第二工場(福岡市馬出寺中町、現・東区)を増設(設置・操業期間不詳、昭和30年代の一時期のみ)
グリコ山陰協同乳業(島根県大田市大田町)
昭31年設立。大田市への進出は県・自治体の招致による。(⇒島根県を中心とした産業発展の歴史・昭和編III
●グリコ協同乳業・大田工場(S41)(山陰事業部⇒中国事業部)⇒閉鎖(H12)
●グリコ山陰協同乳業・乃木工場(松江市浜乃木町)を増設(S33)⇒グリコ協同乳業・乃木工場(S41)⇒閉鎖(S43前後)
   ※地元農協の酪農部門(島根県東部酪農農協?)の市乳事業を買収して進出
グリコ中国協同乳業(広島県安佐郡安古市町)
昭和34年設立、安佐・大野・鯉城の各酪農協との共同出資。
●安佐郡佐東町(現・広島市安佐南区)に移転(S37〜38)、同時期にグリコ山陽協同乳業(賀茂郡)を吸収
   ⇒グリコ協同乳業・広島工場(S41)(中国事業部)⇒グリコ乳業・広島工場(H12)⇒広島グリコ乳業(H25)
グリコ東京協同乳業(東京都昭島市上川原町、現・同市武蔵野)
昭和35年設立、出資参画者の仔細不詳。昭和41年の統合時、グリコ協同乳業の本社は佐賀から新宿区西大久保に移動、さらに47年に昭島(東京工場)へ移される。以降、新宿の旧本社は「新宿分室」となった。
●グリコ協同乳業・東京工場(S41)(東京事業部)⇒本社となる(S47)⇒グリコ乳業・東京工場(H12)⇒東京グリコ乳業(H25)
グリコ熊本協同乳業(熊本県熊本市健軍町)
昭和36年設立、阿蘇町・県酪連・地元農協との共同出資。
●グリコ協同乳業・熊本工場(S41)(西日本事業部)⇒グリコ乳業・熊本工場(H12)⇒閉鎖(H15)
グリコ那須協同乳業(栃木県黒磯町下厚崎)
昭和37年設立、那須山麓酪農業協同組合連合会との共同出資。前年には江崎グリコ直系のグリコ那須畜産協同(那須塩原市、現・グリコハム)も出来ており、当地のグリコ進出は乳肉全般に影響を与えた。
●グリコ協同乳業・那須工場(S41)(那須事業部⇒東日本事業部)⇒グリコ乳業・那須工場(H12)⇒那須グリコ乳業(H25)

加えて過去には、富士岡農協ほか10組合と合資のグリコ富士協同乳業(静岡県御殿場市、昭和37年頃設立〜42年解散)、グリコ山陽協同乳業(広島県賀茂郡、設立年不詳〜昭和37年解散・グリコ中国協乳が吸収)、地元メーカーのヤシマ乳業を買収・発足したグリコ大阪乳業(大阪府茨木市、昭和41年設立〜46年頃工場閉鎖?)が存在。

単一グリコ資本らしき子会社は、現役操業中の東北グリコ乳業(宮城県加美郡加美町、昭和52年〜)、奈良グリコ乳業(奈良県添上郡月ヶ瀬村、昭和55年〜平成4年)、近畿グリコ乳業(兵庫県朝来市和田山町、昭和60年〜平成25年)など多数。拠点によって製造品目は違い、普通の牛乳は作っていない所もある。

グリコ協同乳業のパンフレット「あなたはどのグリコ?栄養たっぷりおいしいグリコがせいぞろい」(昭和40年代中期)
画像上:グリコ協同乳業のパンフレット「あなたはどのグリコ?栄養たっぷりおいしいグリコがせいぞろい」(昭和40年代中期)…上掲「グリコ牛乳<健康>」の続き(中面)。まだ瓶装が主流も、ゲーブルトップ/テトラパック紙容器、プラカップが現れ始めている。


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