山羊乳専門ミルクプラント、東京都山羊農業協同組合の処理施設が目黒にできたのは、昭和27年。その時の様子を報じる昔の新聞記事で、往時の状況が良く分かる。
日本ではじめてというヤギ乳を処理する工場が、このほど目黒区柿ノ木坂二九五「東京都山羊農業協同組合」内にできました。ヤギのお乳は牛乳と比べてクサ味が強かったので、同組合では農林省から補助金をもらい、クサ味をぬいて、バイキンを殺す立派な機械をそなえたのです。
これからはおじさんたちの労力もはぶけ、能率もグンと向上、八百五十頭いるヤギから二石(二千本)もとれるそうです。二十五日の落成式を前に大きなオッパイをぶらさげたヤギさんは「メエ、メエ」と大喜びです。(⇒【泉麻人の東京版博物館】目黒のヤギ乳工場/朝日新聞デジタル) ※掲載終了 |
一合瓶換算で日産2千本の供給は、当時ちょっとした規模感。記事は牧歌的なまとめだが、工場落成の2年ほど前に厚生省令が変わり、牛乳と同じ殺菌処理を山羊乳にも義務付けている。ミルクプラント建設はやむを得ず…の側面があった。
引用冒頭の「日本ではじめて」は、景気付けの煽り文句。山羊乳生産を機械化した先駆、くらいの意。手造りの小規模工場なら、もっと古い所がたくさん存在した。
◆東京都山羊農協の陣容
山羊の飼育頭数は約850頭。柿ノ木坂の併設牧場だけでなく、組合員全体の話だろう。農協には都下多数の山羊牧場が参画。その一部を過去の“山羊乳キャップ”に見て取れる。
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安藤牧場/目黒区高木町1511
碑文谷牧場/目黒区碑文谷2-2190
三島山羊園/目黒区衾町105
臼田牧場/太田区馬込町東1-1263
※大手紙器加工メーカーの保存品より抽出 | |
目黒工場に原乳を持ち寄り、統一ブランド「東京山羊乳」として殺菌・瓶詰め。操業期間は短い。掲載の瓶装が初代〜最晩年までの容器か。キャップの標示は農協名義のほか、上記の通り個別業者を記すフタも多く、実売は各自の商流に任せたようだ。
◆東京山羊乳から昭和牛乳に転換
山羊さんメエメエ大喜びも束の間、肝心の売り上げは低調に沈む。立ち上げ僅か一年半で農協は事業より撤退。組合理事の西形氏が工場資産一切を引き受け、昭和29年に昭和牛乳(株)を設立。牛乳の製造販売に転じる。
昭和牛乳は家庭宅配、学校・企業向け集団飲用、喫茶・洋菓子店・レストランへの食材卸しで順調に伸びた。昭和33年、フルーツ牛乳の請け負いを契機に雪印乳業と提携、受託増加にともない南多摩郡(現・多摩市)へ工場を新設する。
◆雪印グループ時代の流転
雪印の資本参加を得て、40年代に同グループ会社に転換。平成2年に多摩雪印牛乳(株)、同14年・多摩ビヴァレッジ(株)と改称。平成18年、日本ミルクコミュニティが吸収合併し工場を閉鎖するまで、長らく雪印ブランド乳飲料の製造拠点だった。
・昭和牛乳〜多摩ビヴァレッジの紙栓 (牛乳キャップとは)
・同・紙栓(1) / 同・(2) (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
独自銘柄は提携過程で消滅も、遡って昭和36年、昭和牛乳の営業部門が独立して出来た昭和物産(株)は、雪印系の販社として存続。親会社を雪印アクセス(現・日本アクセス)から伊藤忠食糧、さらにトーホーへと変えながら、なお商号が健在だ。