長谷川牛乳舎 (1)長谷川牛乳舎 (1) 長谷川牛乳舎 (2)長谷川牛乳舎 (2)
長谷川牛乳舎 (1)

長谷川三郎/安平/四郎(3牧場共通瓶)
岡山県真庭郡勝山町/同・落合町/新見市新見
新東洋硝子製・180cc側面陽刻
昭和30年代中期
長谷川牛乳舎 (2)

長谷川三郎/安平/四郎(3牧場共通瓶)
岡山県真庭郡勝山町/同・落合町/新見市新見
東洋ガラス製・正200cc側面陽刻
200cc移行後〜昭和50年代

長谷川牧場長谷川牧場

(記事下段)

長谷川牧場

長谷川進
岡山県真庭郡勝山町三田104
山村硝子製・正180cc側面陽刻
昭和50年代〜平成5年頃

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創始は明治24年。真庭郡勝山町の長谷川牛乳舎を原点とする、県北のローカル銘柄。 (1)(2)番瓶は、かつて3拠点に及んだ一族の牧場・ミルクプラントで共用したもの。一括発注でビン代を抑える合理的な構えだ。

新見市の工場は昭和39年に廃止。真庭郡落合町は同48年の閉鎖。勝山の長谷川本家も平成12年頃ついに撤退、銘柄は消滅した。

◆長谷川牛乳舎の元祖・春吉氏

勝山町は、岡山県で初めて本格的な乳牛飼養が始まった所だ。嚆矢は明治11年、星山山麓に拓かれた池田類治郎氏の大杉牧場。短角種やジャージー種、デボン種を積極導入し、同14年、岡山市内に牛乳販売所を設けた。

冬季積雪に難あり、のち牧場は邑久郡に移転も、24年に至って長谷川春吉氏が勝山町新町に長谷川牛乳舎を興し、数頭の乳牛を繋いで処理販売に乗り出す。以来継承3代、業歴は100年を超すが、平成12年前後に廃業。創業地の商いは終息した。

◆分家した安平氏が落合町に開業

勝山に隣接する落合町の先駆は、獣医師の山崎清太郎氏(山崎牛乳舎)で、明治末年の発足。大正期、桑園の厩肥用に牛を入れた岩元宇一郎氏(岩元牛乳舎)や、片岡菊太郎氏が追随。昭和11年、岩元さん方より独立の本名忠治氏も西原に店を構える。

長谷川安平氏は昭和3年、勝山町の長谷川牛乳舎より分家、落合町に移って搾乳牛3〜5頭から牛乳屋を始め、昭和48年まで営業したという。

片岡氏は昭和9年の水害で廃業。山崎・岩元の両舎も昭和20年代に相次ぎ店仕舞い。本名氏は高速道路の用地買収を受けて市乳処理を断念。町内移転して酪農および雪印牛乳販売店の兼業となり、今なお本名牛乳店として存続する。

◆勝山・落合の酪農発展は戦後から

戦前の牛飼いは搾乳業者が中心で、いわゆる酪農は少ない。「和牛で名高い真庭に白黒牛など笑止」農家側にそんな風潮もあった。しかし昭和21年、農村窮乏の打開を期す県農業会が、千葉産のホル系7頭を勝山に、2頭を落合に斡旋。白黒牛の普及を進めた。

農家有志は長谷川牛乳舎を見学するなどして、技術を習得。苦心のすえ搾った生乳を、長谷川/山崎牛乳舎に卸したり、サイダーの空壜に詰めて近所に売り歩いたりしたそうだ。

◆酪農拡大の気運醸成・雪印の進出

この頃、落合キリスト教会(美作落合教会)は「酪農普及総会」を開催。酪農郷・乳業工場建設を議論した記録も残る。戦前のキリスト教系新聞には、春吉氏や三郎氏の消息が載っており、長谷川家は信徒さんだったらしい。総会にも参加されていただろう。

一帯の酪農は飛躍的に発展。昭和23年に作備酪農協(岡山県北部酪農協⇒ホクラク農協⇒現・おかやま酪農協)が成立、津山酪農工場「北酪牛乳」の展開を経て、北海道バター(クロバー乳業)と提携。同41年に雪印乳業落合工場の完成を見た。

◆三番手・新見市に四郎氏が進出

新見市に開業した長谷川四郎氏は、かつての安平氏に同じく、勝山本家よりの独立か。戦後、昭和20年代後期の立ち上げと思う。最後発の拠点ながら製造撤退は長谷川牛乳の中で最も早く、昭和39年には既に販売店さんとなっていた。

ただ、昭和45年以降の流通らしき(2)番瓶にも、「新見」の標示は残る。自家処理を止めた後も、勝山ないし落合側から移送を受け、しばらく長谷川ブランドを堅持していたようだ。のち雪印製品の販社に転じ、現在はメグミルクと白バラ牛乳の取り扱いである。

― 参考情報 ―
新見市 長谷川牧場訪問 (ジャンボフェニックス)
長谷川牧場(勝山・落合)の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
骨董市 (愛する人に花を-貴方の愛で救える命)


■勝山町(春吉さん⇒三郎さん⇒進さん)
創業> 明治24年
昭09> 長谷川春吉/岡山県真庭郡勝山町
昭31〜56> 長谷川三郎/岡山県真庭郡勝山町三田104
昭58〜平10> 長谷川進/同上
廃業> 平成12年前後?
電話帳掲載・公式サイト> 未確認

■落合町(安平さん)
創業> 昭和3年
昭09> 長谷川安平/岡山県真庭郡落合町
昭31〜47> 同上/岡山県真庭郡落合町大字垂水367
廃業> 昭和48年
電話帳掲載・公式サイト> 未確認

■新見市(四郎さん)
創業> 不明ながら戦後?
昭31〜39> 長谷川四郎/岡山県新見市新見42
電話帳掲載> 長谷川牛乳店/同上
自家処理撤退・独自銘柄廃止> 昭和39年
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、牛乳新聞社「大日本牛乳史」・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成19年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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