くまもと牛乳 (1) くまもと牛乳 (2)くまもと牛乳 (2)
くまもと牛乳 (1)

熊本牛乳(株)
熊本県熊本市本山町115
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期
くまもと牛乳 (2)

熊本牛乳(株)
熊本県熊本市本山町115
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和42〜44年頃

くまもと牛乳 (3)くまもと牛乳 (3) 熊本牛乳の会社広告(昭和26年)
画像上:熊本牛乳の会社広告(昭和26年)…戦後、熊本合同牛乳より改称した頃。
くまもと牛乳 (3)

熊本牛乳(株)⇒熊本乳業(株)
熊本県熊本市本山町115
日本硝子製・正200cc側面陽刻
200cc移行後〜昭和50年代

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昭和12年の設立以来、県下に長らく操業する現役メーカーさん。かつて熊本市内外にあった十数軒の中小乳業が、段階的に合併して出来た、歴史のある会社だ。

昭和30年代に森永乳業傘下入り。近年は合理化で地域子会社(森永宮崎乳業九州森永乳業)の閉鎖が相次ぐも、熊本乳業は統合先ポジションを獲得。森永グループにおける九州唯一の製造拠点・主力工場に位置付けられている。

熊本牛乳の会社広告(昭和27年)
画像上:熊本牛乳の会社広告(昭和27年)…当時の紙栓をあしらった広告。ビンのイラストは誰が描いたのか…社長の鴻池氏は松田工業の重役さん(後述)、副社長の高木氏は弘乳舎創業者のご子息、光永性のお二人は光乳舎からの合流だった。

◆中小団結・熊本牛乳の起こり

往年集約の経過は資料によって異なり、不明瞭な点が残る。ともあれ起点は昭和11〜12年頃、牛乳営業取締規則の改正を受け、多大な設備投資を要する近代的ミルクプラントの建造を巡り、熊本の搾乳業者さんらが糾合に至ったことだった。

結果、肥後牛乳と銀杏牛乳、熊本牛乳の3社が生まれ、これに個人経営の高木弘乳舎、岡田省牧園を加えた5社が、有意な規模を持つ代表的な所となり、業界は大変動する。

◆戦時企業統合による規模拡大

間もなく昭和16年、戦時の企業統制で上記の5社と、最終的には残余の諸メーカーを含めた18社?が合併し、熊本合同牛乳(株)が発足。社長には熊本の酪農乳業の先覚、明治16年創業の老舗・高木弘乳舎の高木第四郎氏が就任した。

取締役は<旧>熊本牛乳の坂根嘉明氏を筆頭に、ラムネ・サイダーの製販を手掛ける松田工業の松田乙女氏、同社役員・鴻池仙市氏(戦後の<新>熊本牛乳社長)、光乳舎の光永立身氏(戦後、高木氏の申し出により弘乳舎を再興)らが就く。

◆三菱サイダーの松田工業

のち短期間ながら社名を松田牛乳(株)とした時期があり、再編に係る原資は市内迎町の松田工業(株)さんが相当部分を担った背景がありそうだ。

当時の清涼飲料業界では屈指の規模。昭和初期、海軍への売り込みに成功し、横須賀・呉・佐世保の各軍港に出荷。台湾・朝鮮・満州にも進出。原料の砂糖消費量は日本一と言われた。牛乳も取り扱っていたため、熊本合同牛乳に参画する。

松田工業の会社広告(昭和10年)
画像上:松田工業の会社広告(昭和10年)…堂々たる三菱マーク。甘味エキス・果実蜜・サイダー・セーピス製造・甘草醸造資料直輸入、とある。この松田工業の解散後、セーピスと三菱サイダーの商標は、戦後再興の弘乳舎が引き継いだ。

セーピス&松田サイダー (こんなんみっけ) / 三菱クリームサイダー (ねこプラ)
ご当地サイダー、幻の「三菱サイダー」を飲む (Excite Bit コネタ)
岩崎弥太郎は、一切登場しません! (懐かしのドリンクに関するブログ)

創業者は松田敬三郎氏、生家は薬舗「益城屋」。アメリカ留学でシロップの製法を学び、帰国後、大正8〜9年頃から飲料事業に着手。セーピスや三菱サイダーを世に送り出す。しかし空襲被害と外地資産の喪失で、戦後は著しく衰退した。

◆森永乳業資本を容れ系列下へ

熊本合同牛乳は戦後、社名を熊本牛乳に復し、昭和34年に森永乳業と資本・業務提携を結ぶ。系列下にあったが地元の意向が尊重され、社名は変わらなかった。

森永は既に昭和13年、大矢野島の工場誘致に応じて登立町に進出。29年には熊本牛乳と同じ本山町に熊本工場を設けるなど、地元に大きな影響力を持っていた。

同社は九州においては練粉乳の加工に注力していたが、熊本牛乳の傘下入り・受託製造開始で飲用乳(森永牛乳)の本格展開に乗り出す。前後して雪印乳業グリコ熊本協同乳業も熊本に工場を据え、市場競争は激化していった。

◆商い銘柄・商標・現行製品について

森永ブランドの傍ら「くまもと」銘も長期併売。主に学校給食向け、平成の頃まで存続した。丸く描いたM(Milk)の内側に、社名の頭文字を置く商標は、九州地方のメーカーが良く使った手のもの。たぶん元祖の弘乳舎さんにあやかるマークだろう。

昭和63年、熊本乳業(株)と改称。平成8年、資本関係が変わって森永の連結子会社となり、「くまもと牛乳」はついに廃止。現在は森永製品を中心に、ご当地銘柄は「阿蘇山麓(熊本山麓)牛乳」を売り出す。ビン詰め健在も、無地の軽量新瓶に切り替え済みだ。

― 参考情報 ―
会社概要 / 沿革 (弘乳舎) ※IAキャッシュ / 畜産の年譜 (熊本県畜産協会)
熊本牛乳の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
同・紙栓 (牛乳キャップとは) / 同・紙パック製品 (愛しの牛乳パック)


創業> 昭和11年
設立> 昭和12年、熊本牛乳(株)として
昭16> 松田牛乳(株)に改称
           さらに銀杏牛乳、高木弘乳舎、岡田省牧場、肥後牛乳と合併し、
           熊本合同牛乳(株)となる
昭18> 熊本合同牛乳は光乳舎ほか約10社を吸収合併
昭25> 熊本牛乳(株)に改称

昭28〜31> 熊本牛乳(株)・鴻池仙市/熊本県熊本市本山町115
昭34> 森永乳業と資本・業務提携を締結、同社傘下入り
昭34〜62> 熊本牛乳(株)/同上
昭63> 熊本乳業(株)に改称、61〜63年にかけて現在地に工場を移転
昭63〜平04> 熊本乳業(株)/熊本県熊本市鹿帰瀬町431-1
平08> 森永乳業の連結子会社となる
平24> 熊本市は政令指定都市となり、行政区が設置される
平30> 熊本森永乳業(株)に改称

電話帳掲載> 同上/熊本県熊本市東区鹿帰瀬町431-1
独自銘柄廃止> 平成8年前後
公式サイト> https://www.kumamoto-morinagamilk.co.jp/ ※熊本森永乳業
                 http://www.kumamotomilk.co.jp/ ※旧・熊本乳業、閉鎖

処理業者名と所在地は、[日本乳業年鑑]・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成19年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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