地元に100年以上商われた、県北西部の老舗。創業は明治期まで遡ると見られる。三重では数少ない低温殺菌牛乳メーカーだったが、平成25年に製造撤退、ブランドは消滅。
往時は鵜川原村(菰野町吉沢)に福村兵十郎氏、5kmほど離れた千種村(同・音羽、現・森永牛乳販売店)にご親族の?兵吉氏が各々「福村牧場」を構え、搾乳販売を手掛けた。掲載は標示の通り、かつての鵜川原(うがわら)側のビンである。
当地には昭和61年に開通した広域農道・県道140号(四日市菰野大安線)が走る。沿道に牧場が多く、その牛乳運搬を担うミルクロードと称された。昨今牛飼いは減少傾向も、四日市酪農さんが処理工場を据え、今なお畜業全般が盛んな土地柄だ。
◆菰野の乳牛飼養黎明期
一帯は鈴鹿山麓に属し、山草地に恵まれ、古くから牛馬の導入が進んだ。牛は耕起・運搬や厩肥の確保を目的に飼育が始まり、明治中期には乳牛も50頭ほどいたという。
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画像上:鵜川原の福村牧場と、近在の伊藤/小沢牧場の広告(大正9年) |
大正末期、鵜川原村では5軒の農家が10数頭を繋ぎ、保々村(現・四日市市)の天春牛乳と堀牛乳、朝上村の諸岡牛乳、竹永村の伊藤牛乳へ生乳出荷を行った。福村牧場さんも最初は卸し専門で、のち直売に臨んだ経緯があったかも知れない。
◆掲載びん・商い銘柄について
牛乳瓶を抱える坊やのイラストは、福島県の石幡牛乳さんと同じ絵だ。愛知の大府牛乳や、長野の本郷牛乳、山本牛乳さん採用の図案とも前髪の様子が似る。すべて石塚硝子の製瓶で、一連のシリーズは同社(代理店)の定型素材だと思う。
瓶の名乗りは「福村牧場」のみだが、牛乳キャップ収集家諸氏のサイトで過去の紙栓を確認すると、昭和40年代には「コモノ(ホモ)牛乳」、「コモノ(低温殺菌)牛乳」の呼称が使われており、晩年に「福村牧場牛乳」へ変化したことが分かる。
― 関連情報 ―
牛乳の旅 【三重県+滋賀県】〜後編 (ほどほどCollection)
福村牧場の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
福村牧場牛乳 (牛乳キャップ収集と販売情報)