戦後およそ15年ほど商われた、市域のローカル銘柄。出自はやや珍しく、当地に病院を経営する篠田家(慶済会)の一事業で、本項ミルクプラントのほか、土地建物の賃貸、食堂や商店、理髪店を併せて営んだ関係会社、篠田第一(有)によるものだ。
山形牛乳を筆頭に、香澄町に3軒あったミルクプラントのひとつ。昭和37年前後に牛乳屋は閉じている。撤退時期から推すに、山形酪農農協(カスミ牛乳)と同じく、森永乳業の進出に応じて事業譲渡を行ったのではないかと思う。
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画像上:篠田病院の広告(昭和15年)…創始者・篠田甚吉氏のお名前が見える。篠田第一(有)の社長だった篠田コウ氏は、甚吉氏の妻のようだ。 |
祖業は大正7年に開かれた篠田産婦人科医院(現・篠田総合病院)。JR山形駅前にあり、かつては拡幅前の病院の敷地の一角に処理場があったらしい。往時は病院給食/院内売店への展開が、当然あっただろう。(⇒関連:慶応義塾大学病院)