慶応義塾大学病院 食養課慶応義塾大学病院 食養課

(記事下段)

慶応義塾大学病院

慶応義塾大学病院 食養課⇒食養管理室
東京都新宿区信濃町35
石塚硝子製・正200cc側面陽刻
昭和60年代〜平成初期

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かつて入院患者さん向けの給食に供されたらしい、「慶応義塾大学病院 食養課用」の牛乳ビン。慶大のペンマークと"三色旗"のシンボルカラーをあしらった、堂々のオリジナル品だ。

「食養課」(現・食養管理室)は、食餌療法や栄養管理、病院食の献立作成、調理提供を行う部署で、大正15年に発足した慶大医学部「食養研究所」がその原点。昭和8年、実践応用を目的に病院へ「食養部」が設けられ、日本初の病院給食が生まれたという。

仔細不明ながら、掲載瓶は昭和の終わりから平成の初め頃にかけて、配膳する牛乳の小分け容器・コップとして利用されたものだろう。つまり名入りの病院食器の一種であって、乳業メーカーが生産を請け負い工場で瓶詰めしたような、特注製品ではない。

◆過去には病院直営の牛乳工場もあった

慶大病院の現在の食事はどうなっているのか?Web検索してみると、入院患者さんがその料理を撮った写真がいくつかヒットする。傍らに添えて見えるのは森永名糖の紙パック牛乳で、専用瓶はもちろんビン牛乳自体が無くなって久しい感じだ。

いっぽう過去には、病院直営のミルクプラントというのが2例ほど存在する。いずれも古くは結核療養所(サナトリウム)だった。新鮮な乳製品の調達が必ずしも容易でなかった当時、栄養源を安定確保したいニーズを受け、開設に至ったようだ。

◆埼玉県・朝倉病院のミルクプラント

北葛飾郡庄和村(現・春日部市)にあった朝倉病院(南埼病院)。昭和30年代、牛乳工場を併設し自家処理を手掛けた記録が残る。敷地は広く、牛舎を建てる余裕もありそうな所だが、牛飼いまでやっていたかどうかは良く分からない。

この病院はちょっと曰く付き。昭和40年代に山谷ドヤ街の結核・アル中患者斡旋を巡る行政収賄事件と不正請求、地下保護室への放置、衰弱死を巡って社会問題化。結核予防法・生活保護法指定医療機関の取り消し処分を喰らった。

後年は規模を縮小、精神病院として痴呆症の高齢者受け入れ中心に運営されたが、平成12年、元職員の告発で患者拘束や静脈栄養注射の乱用、40名に及ぶ不審死が露見、ついに閉鎖。跡地は廃墟探索・心霊スポット化も、近年解体整地済みである。

◆山口県・国立療養所山陽荘のミルクプラント

現在の山口宇部医療センター。昭和17年、傷痍軍人療養所として発足、戦後は国立結核療養所への転換、ニュージーランド軍の接収を経て同23年に復帰した歴史を持つ。

牧場・牛乳工場の稼働は遡ること昭和30〜40年代。荘長に就いた八塚陽一氏が、病院建物の老朽化と食事・入浴の不備を憂い、再建に奔走。進駐軍に働きかけ、厚生省へ乗り込んで座り込み、地元企業から寄付金を募るなど、環境改善に尽くす過程でのことだった。

病院食堂メニューの拡充を期して敷地内の数ヘクタールを開墾、「山陽荘農場」とし、野菜栽培と乳牛・豚・鶏の飼育に着手。昭和25年頃に始まった乳牛5頭と豚数頭の導入は、宇部市内の嚆矢であり、一般農家へ普及するきっかけにもなったという。

― 参考情報 ―
山口宇部医療センターだより No.21 (山口宇部医療センター)
山陽荘(現 国立病院機構 山口宇部医療センター) (防長里山歩き)
朝倉病院事件/患者全員に身体拘束 (Marco Cavallo@YouTube
南埼病院/埼玉地労委昭和59年(不)第3号 (労働委員会命令データベース)


■慶応義塾大学病院 <掲載瓶>
大06> 慶應義塾大学部医学科が発足
大09> 大学医学部の開校、同時に大学病院が開院
大15> 医学部附属の食養研究所が発足
昭08> 大学病院に食養部を開設
平02> 食養研究所は閉鎖
電話帳掲載> 慶應義塾大学病院/東京都新宿区信濃町35
公式サイト> http://www.hosp.keio.ac.jp/

■朝倉病院
昭25> 朝倉記念埼玉病院として発足
昭27> 医療法人朝倉病院に改組・改称

昭31〜36> 朝倉病院・朝倉忠孝/埼玉県北葛飾郡庄和村大字大衾516
昭39> 庄和村は町制施行する
昭41> 朝倉病院は南埼病院と改称
昭44> 結核予防法・生活保護法指定医療機関の取消処分を受ける
平13> 保険医療機関の指定取消処分を受け、廃院
平17> 庄和町は春日部市と合併する

電話帳掲載> 南埼病院/埼玉県北葛飾郡庄和町大衾516 ※平成12年時点
牛乳工場閉鎖> 昭和37〜38年頃
公式サイト> 未確認

■国立療養所山陽荘
昭17> 軍事保護院傷痍軍人療養所山陽荘として発足
昭20> 厚生省に移管され、国立療養所山陽荘となる
昭21> 占領軍(ニュージーランド軍)に接収される
昭23> 接収解除・返還を受ける

昭36> 国立療養所山陽荘/山口県宇部市東岐波区685
昭39〜42> 国立山陽荘処理場/山口県宇部市大字東岐波685
昭52> 国立療養所山陽荘病院に改称
平09> 国立療養所山陽病院として再発足
平16> 国立病院機構 山陽病院となる
平20> 国立病院機構 山口宇部医療センターに改称

電話帳掲載> 独立行政法人国立病院機構 山口宇部医療センター/同上
牛乳工場閉鎖> 昭和43年前後
公式サイト> https://yamaguchiube.hosp.go.jp/

処理業者名と所在地は、全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は令和2年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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