戦後45年ほど商われた、県央の農系銘柄。平成11年、地元4工場の統合で奥羽乳業を設立し、以降は同社の新ブランドに転換。間もなく「河北」銘は消滅している。掲載は往年のオリジナル。厳めしいロゴマークは、竜胆(りんどう)紋?の翻案らしき構えだ。
◆河北町の酪農発展と河北牛乳の誕生
一帯における酪農の嚆矢は旧・北谷地村。行政・農協の支援を仰ぎ、21名と22頭が昭和23年に酪農組合を立ち上げ、周辺部落をリードした。
牛飼いは順調に増えていくのだが、利害調整は難航。河北エリア酪農家の大同団結には至らず、生乳卸し先も明治乳業、森永乳業の2系統に分かれたまま、集約ができなかった。
そんな状況下、従来は明治に出荷していた谷地地区の24名が決起。昭和31年、谷地酪農利用組合を旗揚げ、ミルクプラントを据えて「河北牛乳」の自家処理・直売に乗り出す。まずは町域限定・日量500本。一合8円50銭という安価に、競合業者は震撼した。
◆河北町酪農農協と奥羽乳業協同組合
しかしやがて、大手資本の本格的な市場進出に直面。生産・販売両面への投資拡充が不可避の情勢となるや、昭和35年、諸組合がまとまり河北町酪農農協が成立。農協は谷地酪農利用組合の市乳事業を引き継ぎ、山形市など大消費地への進出を図っていく。
時代は下って平成11年、乳業施設再編合理化に応じ、山形県牛乳事業協同組合(⇒関連:山形牛乳)、北村山中南部酪農農協(東根牛乳)、みちのく村山農協の各乳業工場と統合。新規設立の奥羽乳業へ参画することで、組合単体の展開は手仕舞いとなった。
― 関連情報 ―
河北町酪農農協の紙栓
(牛乳キャップ収集家の活動ブログ)