東根牛乳東根牛乳

(記事下段)

東根牛乳

東根町農協⇒北村山郡中南部酪農協
山形県北村山郡東根町字東根9266
製瓶元不明・市乳180c.c.側面陽刻
昭和30年代初期

TwitterFacebookこの牛乳屋さんの記事を共有

戦後およそ50年ほど商われた、県央東部の農系ブランド。創始は町農協によるが、数年で経営難に陥り、生乳出荷をしていた酪農組合が事業を継承。学乳メインに以降長らく存続も、平成11年、地元4工場の統合で奥羽乳業を設立。間もなく「東根」銘は消滅している。

◆村山地方における酪農の発展と明治乳業

一帯の本格的な酪農業は、県下の先進地・置賜地方に近い上山町から始まった。昭和6年、地元代議士で熱心な牛飼いでもあった高橋熊次郎氏が、有志と相計り上山製乳販売組合を旗揚げ。しかしこの組合のバター工場は、わずか1年で行き詰まる。

産直の試みは頓挫も、昭和8年には明治製菓が企業誘致に応じ上山製乳工場を設置。県当局は周辺村落への乳牛導入を支援、各地に小規模な組合が勃興。搾乳業を営んでいた高谷定七氏を中心に、北村山産乳組合も発足している。

◆東根牛乳の誕生と挫折・再生

こうした酪農普及を背景に、東根町農協は戦後の昭和28年、市乳処理・バター加工に着手。掲載はその「東根牛乳」の、恐らく初代の印刷瓶装と思われる。

当時1,200万円もの巨額を費やして建設した製酪工場だったが、商売を軌道に乗せるには至らず、農協はギブアップ。施設・設備を明治乳業に売却し、ミルクプラント経営から手を引いた。

この際、農協工場や明治に生乳出荷を行っていた北村山中南部酪農組合や、村山・東根エリアの酪農家が決起。農協の畜産部メンバーと、一部資材(牛乳瓶・紙キャップ)を引き継ぎ、「東根牛乳」の自家処理・直売体制を堅持した。

観光東根の広告(昭和27年)
画像上:観光東根の広告(昭和27年)…恐らく旧・東根町章と思われる図像が左上に見える。掲載瓶の農協マークは、これと組み合わせたものだろう。

◆北村山中南部酪農農協と奥羽乳業協同組合

酪農組合は250名・300頭ほどの陣容でスタート。昭和37年には規模拡大により専門農協として法人化する。前後して販路市域における学校給食の脱脂粉乳を、生乳100%へ移行すべく啓蒙活動に取り組み、基盤を確立。往時出荷アイテムの6〜7割は学乳が占めたという。

時代は下って平成11年、乳業施設再編合理化に応じ、山形県牛乳事業協同組合(⇒関連:山形牛乳)、河北町酪農農協(河北牛乳)、みちのく村山農協の各乳業工場と統合。新規設立の奥羽乳業へ参画することで、組合単体の展開は手仕舞いとなった。

― 関連情報 ―
北村山中南部酪農農協の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)


昭28> 東根町農協が工場建設・市乳事業開始
昭31> 東根町農協・深瀬民吉/山形県北村山郡東根町字東根9266
昭32> 北村山中南部酪農組合が発足
昭33> 東根町農協は採算悪化を受け、明治乳業に工場を売却
          北村山中南部酪農組合が別途、東根牛乳の商いを継承する
          東根町は市制施行し、東根市となる

昭34〜36> 東根牛乳/山形県東根市大字東根字下川原
昭37> 酪農組合が法人化し、北村山郡中南部酪農協となる
昭39〜40> 北村山郡中南部酪農協/山形県東根市字東根甲1086
昭41〜42> 北村山中南部酪農協/同上
昭43〜53> 同上/山形県東根市大字東根甲1088
昭56> 同上/山形県東根市大字東根甲1086
昭58〜平11> 同上/山形県東根市宮崎1-3-17
平11> 北村山中南部酪農農協ほか3組合が、奥羽乳業協同組合を設立
平12〜13> 同上
平20> 奥羽乳業協同組合/山形県西村山郡河北町大字吉田字花ノ木2150-3
令04> 協同組合は奥羽乳業(株)に改組
電話帳掲載> 同上 ※令和3年時点
公式サイト> https://www.ouu-milk.or.jp/ (奥羽乳業)

処理業者名と所在地は、全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



漂流乳業