発足は昭和43年頃。仙台の老舗・早川牧場を中心とする、県下中小メーカー32社の協業体。東北地方で初めてテトラパックを導入。統一銘柄「みやぎ牛乳」は、合流各社の販路に乗って広く商われた。平成10年前後に廃業、ブランドは消滅している。
◆宮城県牛乳事業協同組合の起こり
組合の結成は、森永と手を組み飛躍的発展を遂げた宮城酪農(ウルトラ牛乳)や、明治乳業ほか大手の宮城進出を受け、基盤拡大で対抗の企図があったのだろう。
旗振り役は(株)早川牧場さん、組合理事長には同社社長が就任。また当初ミルクプラントも同社工場を継承利用した。国の酪農政策・生乳調達事情の変転、中小処理施設の老朽化に際し、生産拠点を集約・刷新整備する目的も大きかったはずだ。
◆統一ブランド「みやぎ牛乳」の共販体制
昭和44年3月、工場にテトラパック充填機を新たに据え付け、紙容器入り牛乳の販売に先鞭をつける。これを機に加盟事業者は統一ブランド「みやぎ」の共販体制を確立していった。
処理量は学校給食向け日産2万7千本、その他市販ルート13万5千本(1本200cc換算)。組合に参画の諸メーカーを通じ、県全域へ供給。「みやぎ」テトラ製品のラインナップは、白牛乳に加工乳、コーヒー、フルーツの4種類。ビン詰めも併売した。
◆早川牧場の倒産・協同組合のその後
構成32社の詳細は不明。初期は関わり方がそれぞれ異なる。統一ブランドに一本化したところもあれば、自社銘柄を残し製造だけ委託するメーカーもあった。ともあれ各社のアイテム・会社法人は、漸次統廃合に至ったと見られる。
昭和52年に盟主・早川牧場が倒産。組合は存続し、後年は小岩井牛乳のOEM生産や首都圏生協へ低温殺菌牛乳の販路を築くなど、一定の成果を収めた。平成初年の工場移転?で瓶装を廃止、以降は紙パックのみ。市況厳しき折、平成10年頃に解散・廃業となる。
― 謝辞 ―
組合の首都圏進出などにつき、和田安郎様にご教授頂きました。
― 関連情報 ―
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