もともとは県下加美郡で戦前より酪農・搾乳販売を営み、ご当地に四日市場牛乳を商った老舗。昭和44年、古川市(現・大崎市)への移転を決し、会社法人およびミルクプラントを新たに設け、銘を古川牛乳に変えての再出発だった。
自社製品以外に生協・スーパーのPBを手掛けたほか、給食用など一部アイテムはみちのくミルク(大崎市岩出山・雪印系)に委託、古川乳業(株)岩出山工場の名義も展開。新天地に約50年の歴史を刻んだが、平成31年に廃業、ブランドは消滅している。
◆掲載瓶・往年のビン商品について
初代と思しき(1)番瓶は、四日市場時代を踏襲した超シンプルなデザイン。続く(2)番は200cc移行後の色物専用か。いずれも広島の高田牛乳さんに迫る、素っ気ない構え。のち(3)番への世代交代で、賑やかな装いにリニューアルした。
過去にはコーヒー牛乳、濃厚牛乳もラインナップ。しかし晩年の瓶詰めは「ジャージー牛乳」大瓶一種のみ。本項に掲載したような小容量ビンは廃止されて久しかった。
◆加美郡から古川市への移転
長らくの創業地を離れ、陣容を刷新した背景は良く分からない。ただ、当時は競争激化でローカルメーカーが次々に淘汰された頃。売上不振とか原料乳の調達困難とか、危機打開のため思い切った決断が必要だったのかも知れない。
旧所在の加美郡中新田町は、戦後酪農の発展とともに農民主導の意識高まり、昭和34年に中新田酪農農協が成立。これに応じて全酪連(ゼンラク牛乳)が集乳基盤の構築に乗り出し、既存業者への直接納入が減少傾向にあったようだ。
いっぽう移転先の古川では、昭和41年に古川市酪農農協が発足。さらに国の施策で指定生乳取引団体が生まれ、全国の酪農事情は大変動。古川乳業の立ち上げは、各農系団体と何らかの提携・調整が生じた結果?とも思える。
― 参考情報 ―
古川乳業の紙栓 (牛乳キャップとは) / 同・紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
同・紙パック製品 (愛しの牛乳パック) / 古川牛乳200mlパック (牛乳トラベラー)