界隈に根差して120年。松永牛乳とアイスまんじゅうで良く知られる、県沿岸・浜通り地方のローカルメーカーさん。グリコ乳業の「牧場しぼり」OEM製造も担う、冷菓に強い会社だ(那須グリコ乳業にも生産ラインがあり、全量受託ではない)。
牛乳屋さん(搾乳販売)の創始は明治30〜40年頃。しかし松永家は幕末より当地に商いを営む老舗で、古くは松永商店という煙草屋さんだった。同家の起業支援先は「松永一門」と呼ばれ、維新前後に大活躍。原町の近代化に貢献している。
◆アイスキャンデーから始まった復興
戦時は全国の例に漏れず、物資欠乏に難渋。牛乳・アイスクリーム作りを細々と続けながら、松永牛乳店/ミルクパーラー(喫茶店)をかろうじて維持。終戦を迎えても満足量の原乳確保は望めず、松永時雄氏は苦心惨憺、金を工面して東京に向かう。
空襲後、一部が焼け残った江東楽天地で製氷機を入手、福島に持ち帰る。そうして作り始めたアイスキャンデーは馬鹿売れ、当座を凌ぐに充分な利益をもたらした。
再興のとっかかり、水と甘味料さえあれば出来る氷菓は、各地の食品メーカーに散見される、戦後史のひとコマ。利益率は高く、異口同音に「飛ぶように売れた」という回想が残っている。(⇒関連:東京・冨士アイス牛乳、静岡・浜松牛乳)
・松永のアイスキャンデー物語 / 松永ミルクパーラー (はらのまち100年史-おはようドミンゴ)
・朝日座が建てられたころ (朝日座わが青春の活動写真館-おはようドミンゴ)
・錦糸町昼間立ち飲み「丸源新店」ボンクラ座礁酒場 (GONZO SHOUTS)
◆東日本大震災による事業中断と復活
平成23年の東日本大震災。海辺に近い立地ながら、津波の直撃は辛くも免れた。当時、公式サイトが無かったため状況不明のところ、Web上に相次ぎ再開の報が流れる。遠く高知県のひまわり乳業さんとも仕事上?の交流があるらしい。
昔から懇意にさせて頂きゆう乳業メーカー、松永牛乳さんがあるがです。工場は、奇跡的に津波を免れちょりました。ほんのちょっと、100mくらい離れた所は、津波直撃で家も何も完全にやられておりましたので、工場が助かったのは不幸中の幸い、奇跡的でした。なんとか、操業を再開しておられます。
(⇒今日のにっこりひまわり-あれから初めて、被災地に来ました 2011/07/13) |
容易に代替の利かない人気商品、アイスまんじゅうの復活を喜ぶ声も多い。
最新情報!松永牛乳のアイスまんじゅうは数日前から生産再開!スーパーに出回ってるのは在庫じゃないそうです! しかし残念なことに、取寄せの場合、1ケース(20個) 送料込4200円だったのが、4620円に値上がりしでだ(泣) 1個231円のアイスまんじゅうだぞ!…でも注文完了!!
(⇒Venom_Snakeman@Twitter 2011/08/26) |
・老舗訪問記-南相馬市の老舗 (ファミリー・ビジネス・ネットワーク・ジャパン)
・桜の札所・食の逸品-夜の森公園のアイスまんじゅう ※PDF (東北・夢の桜街道)
◆掲載瓶・現行ラインナップについて
昭和30年代中期の流通と思しき(1)番瓶は日本硝子製。この時代のビンとしては、電話番号の文字製版が凄く綺麗だ。後継(2)番は「松永牛乳KK」の商号標示に変化。「要冷蔵」を「冷蔵して下さい」と、丁寧に言い換えてしまうのは珍しい。
200cc増量後の(3)番は旧世代を継ぐ素直な構え。以降デザインはほぼ変わっていない。ただし平成13年頃までに小容量ビンは無地の軽量新瓶・シュリンク包装に転換、印刷瓶は大瓶のみ取り扱い。22年頃には瓶詰め(委託)自体が打ち切られた。
― 関連情報 ―
松永牛乳店の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ) / 同・紙栓 (牛乳キャップとは)
北海道・東北地方の牛乳キャップ01 (ほどほどCollection)
松永牛乳の宅配受け箱 / まつなが3.6牛乳 200mlパック (牛乳トラベラー)