浜松牛乳 (1)浜松牛乳 (1)

(記事下段)

浜松牛乳 (1)

浜松牛乳(株)
静岡県浜松市助信町257
石塚硝子製・市乳180c.c.底面陰刻
昭和30年代初期

浜松牛乳 (2)浜松牛乳 (2)浜松牛乳 (2)
浜松牛乳 (2)

浜松牛乳(株)
静岡県浜松市助信町257
石塚硝子製・180cc底面陰刻
昭和30年代初期〜中期

TwitterFacebookこの牛乳屋さんの記事を共有

戦前〜戦後の約17年間に渡って商われた、浜松のご当地銘柄。掲載はいずれも昭和30年代の流通品。初代の印刷瓶装と思しき(1)番赤瓶と、(2)番黄緑瓶は後継デザインか、あるいは色物・加工乳向けだったか、ちょっと判別がつかない。

中核は明治乳業で、発足時に資本の過半を拠出。直系子会社ではないため、浜松牛乳として独自ブランドを展開した。それでも明治の代紋・アサヒマークに“浜”の字を据えた商標は、大株主を強く意識した構えだろう。

◆原点は明治乳業主導の統制会社

設立は昭和17年。戦時の企業整備令に基づく、浜松牛乳統制(株)が振り出し。すでに磐田市中泉へ進出していた明治乳業を筆頭に、浜松市内に販路を持つ同業者25名が集結した、大所帯の船出だった。

翌18年に新工場を落成、「浜松牛乳」の生産・出荷がスタート。間もなく「統制」の文字を外して浜松牛乳(株)と改称する。もとより参入各社は顧客を開拓済み、独占企業ゆえ業績は安定。販売日量は1万3千本に達した。

浜松牛乳の会社広告(昭和29年)
画像上:浜松牛乳の会社広告(昭和29年)…ビンが写っているものの、柄は良く見えない。
浜松牛乳の本社正門(昭和30年)
画像上:浜松牛乳の本社正門(昭和30年)…上掲の広告にも写真があるが、建物の様子が結構違う。

◆戦後の存亡危機を救った菓子類

しかし浜松は米軍の空襲で大打撃をこうむる。社屋・工場は直接被害を免れたが、あらゆる物資が欠乏、集乳量は激減。原料不足で製品を満足に作れない。戦後、市乳処理は一日わずか1,000本まで落ち、会社の解散も検討されたという。

そこで昭和21年以降、三河湾で水揚げされる天草の寒天「三色ゼリー」、附近で収穫できるサツマイモ(芋粉)を使った羊羹や即席しるこ、夏季にはアイスキャンディー、別会社を設立のうえ、パンや各種の食糧品を手掛け始めた。

急場しのぎの多角化だったが、駅売りで好評を博し、本業である牛乳部門の赤字を補って余りある業績を挙げ、浜松牛乳は消滅の危機をどうにか乗り越えていく。

浜松牛乳の取り扱い製品一覧(昭和57年)
画像上:浜松牛乳の取り扱い製品一覧(昭和57年)
大半は明治ブランドだが、ダイエーのキャプテンクックやボランタリーチェーンのセルコなど、草創期のPB牛乳も並んでいる。[創業40周年を記念して](浜松牛乳/浜松明治牛乳販売・共刊)より。

◆浜乳ブランドの終焉

一帯の酪農が復興した昭和20年代末からは、要の牛乳部門が急速に伸びる。消費も極めて旺盛で、34年頃には日量5万本を超える大商いが常となった。

同時に乳業界は大手メーカーの地方進出・熾烈な販売競争はもちろん、全国に農協系生産者の勃興を見、予断を許さない市場争奪戦の様相を呈する。

浜松牛乳(株)は生乳調達や経営基盤の安定・強化を模索。昭和35年、販売部門を分割して浜松明治牛乳販売(株)を興し、工場は明治製品の請け負いに集中する方針を採った。この際、大半の独自アイテムを廃止、浜松牛乳の銘は無くなっている。

◆浜乳ラクトン・フルーツヨーグルト

例外的に残った自社オリジナル商品もあった。昭和42年まで「浜乳ラクトン」(乳酸菌飲料・35cc壜詰)、「浜乳オレンジジュース」(180cc壜詰)を併売。さらに昭和50年代まで「浜乳フルーツヨーグルト」(100cc壜詰)が存続した。

往年の「浜松牛乳」の紙栓は、牛乳キャップコレクター諸氏の捕捉率が極めて低い。対して唯一「浜乳フルーツヨーグルト」の大判キャップだけは見る機会に恵まれる。恐らく上記の流通事情により、比較的残存しやすかった…ということだろう。

◆晩年は子会社化・工場は袋井に移転

紆余曲折を経て、ご当地に60年余の歴史を刻んだ浜松牛乳。しかして集約合理化の波は果てしない。平成5年、明治乳業が完全子会社化すると浜松明治牛乳(株)へ改称、同15年には他の系列子会社と合併し、東海明治(株)に衣替え。

浜松市のミルクプラントは同年中に袋井市へ移転、一時代を終えた感がある。かつて独立の販社も平成13年に中部明販(株)傘下入り後、明治フレッシュネットワーク(株)に転換。のち中部エリアの宅配事業はフード・エキスプレス東海(株)が吸収している。

― 参考情報 ―
浜松牛乳の紙栓(1) / 同・(2) / 同・(3) (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)


設立> 昭和17年、浜松牛乳統制(株)として
昭19> 浜松牛乳(株)に改称
昭31> 浜松牛乳(株)・成田忠/静岡県浜松市助之信町257
昭34〜39> 浜松牛乳(株)/静岡県浜松市助信町257
昭40> 明治牛乳(株)/同上 ※商号誤記?
昭41〜47> 浜松牛乳(株)/同上
昭48〜53> 同上/静岡県浜松市助信町254
昭56〜平04> 同上/静岡県浜松市助信町266
平05> 浜松明治牛乳(株)に改称
平13> 浜松明治牛乳(株)/同上
平15> 日本ブルガエリー(株)と合併、東海明治(株)となる
           袋井市に移転、浜松の工場を閉鎖

電話帳掲載> 「中部明販(株)宅配課」「浜松明治牛乳宅配センター」
                   /静岡県浜松市中区助信町5-28 ※平成19年時点
                   東海明治(株)本社・袋井工場/静岡県袋井市久能3001-1
独自銘柄廃止> 「浜松牛乳」銘は昭和35年に廃止
公式サイト> https://www.meiji.co.jp/corporate/group/101_tokai.html (東海明治)

処理業者名と所在地は、全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。電話帳の確認は平成27年時点。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



漂流乳業